第二話

 線香花火を大きくしたような形の赤い色のついた容器をカリンは不思議そうに眺める。赤く透き通るその容器は太陽の光を反射して、カリンの顔を映し出している。年頃の他の少女のように、「きれい」という言葉は出てこないが、ずっとそれを見ていられるような美を本能的に感じ取っていた。


「お嬢ちゃん、それが気になるのかい?」


 露店の店主が声をかけてくる。


「これはビードロと言ってね、ほら、見ててごらん」


 店主が軽く息を吹き込み、口を離すとポッペン! と独特な音がする。カリンは目を丸くして驚き、もう一回とせがむ。こういうところは子どもらしくていいと思うが、あまりにも何度もせがむので、店主が気の毒になり、ユキジが後ろから声をかけた。


「ほら、カリン! もういくぞ」


「なあ、これ買ってくれ!」


 自分で音を鳴らしたくてしょうがないカリンがユキジに頼む。店主はここぞとばかりに、にこにこしてユキジを見る。


「何言っているんだ。カリン、遊びに来ているわけじゃないだろ!」


「……お前」


 カリンが遠い目をして話し出す。


「さっきあたしに隠れて、何か買っていただろ?」


「なっ⁉」


「……確か『カステルラ』とか言ったな」


「⁉」


「うまかったんだろうな……あたしもカステルラ食べたかったな……」


 ユキジは渋々、がま口を取り出す。うまくまいたと思っていたのに……きっとカリンは初めから取引の材料として使うつもりで、ここまで何も言わなかったのだろう。


 毎度あり! とつり銭を返す店主の横で、カリンが嬉しそうにビードロを吹いている。


 ツクネが商売をしている間、ユキジとカリンは街に出て情報を集めているが、今のところ空振りだ。それにしてもこの野ヶ崎という街は、先ほどのカステルラやビードロなどもそうだが、さすが異国への窓口だけあって、異国の文化がうまく生活に溶け込んでいる。


 大陸の人たちは普通に街中を歩いているし、出島という小さな人工島に住まわされている西洋の人たちに出会うことはさすがになかったが、街にはところどころ西洋風の建物や服装が見受けられた。


 幕府の直轄地ということもあるだろうし、地元の業者の組合も力があるのか、これだけの規模の街にしては、治安の良さも際だっていた。


 少し大きな街になると、ケンカは街の華と言わんばかりに、いたるところで見られたが、ここではそんなことがない。それに西洋の考え方なのか、少々きざになりすぎるきらいはあるが、女性に対しての気遣いが、他のどの街の人々よりも優れていると感じた。


「おい」


 カリンがユキジに声をかける。ついさっき、治安のいい街だと思ったばかりなのに……とユキジは少し残念な気持ちになる。


「わかっている。つけられているな……五、いや六人か」


 背後についてくる気配を探る。薄っすらとだが妖気を感じる。


「……ここじゃ、他に被害が及ぶ。人通りの少ないところに誘き出そう」


 小声でユキジがつぶやき、少しずつ人気のいない方へ歩みを進める。カリンもだまって、ユキジの後を追う。


 街中の喧騒が少しずつ遠のいていく。積み荷のおろしは朝夕に偏っているのだろう。真っ昼間の船が着いていない倉庫街までやってくると、あたりには人がいない。あえて袋小路になっているとこ入り、誘い込む。


 瞬く間に五人の男に囲まれる。手にはそれぞれ、短刀のようなものを持っている。


「……隠れていないで出てきたらどうです」


 物陰に向かってユキジが言った。その物陰からすうっと侠客風の男が出てくる。片脱ぎの着流しからは、一見すると妖怪だとは思えない。侠客風の外見に似合わず、手に持った袋から、カステイラの切れ端をつまんでは口に運んでいる。


「そっちのお嬢さんが妖怪だね。あんたら、あの狐どもの仲間か?」


 カステイラを頬ばりながら、ドスの聞いた声で男が尋ねる。


「……何だって?」


「とぼけているのか、どうか確かめさせてもらうよ。おい! お前ら殺さない程度に痛めつけてやれ」


 首領と思しき男の声で、他の四人の男たちが襲ってくる。


「……カリン、殺すなよ。こいつら人間も混ざっている」


 ユキジは腰の刀を抜くと刃を返した。


「峰打ちでも骨ぐらいは折れたりするので、勘弁してください」


 両手で握りしめた短刀をもって、体ごとぶつかろうとてきた男に対して、小さく半円を描くように、体勢を入れ替え、がら空きの手首に素早く小手を入れる。衝撃で短刀を落とした男の横腹にもう一撃、胴を入れた。


 さらにそのまま抜き胴との体勢から、瞬時に大上段に構え、二人目の男に袈裟斬りに刀を振り下ろす。当たる瞬間に、手首を緩め、衝撃を逃がしたつもりだが、それでも鎖骨は折れているだろう。


 カリンの方に当たった二人はさらに気の毒だった。


 同じように振り回してきた短刀を鬼の手でつかみ、そのまま力を込めて刀身を粉々にする。呆気にとられている男の腹部に、左手でえぐるような角度で当身を食らわせた。そのまま四つん這いになってうずくまり、悶絶する男を踏み台にして跳躍する。


 すっともう一人の男の背後に音もなく着地すると、後から手刀で首のあたりに一撃を入れ、糸の切れた操り人形のように男はその場に崩れ去った。カリンなりには手加減をしているのだろうが、普通の人間や低級な妖怪にとっては、二、三日食事が喉を通らないぐらいの攻撃だろう。


 あっという間に部下を倒された首領の男に向かって、ユキジは刀を突きつける。ユキジなりの警告のつもりだ。


「……まだ続けますか?」


「いや、やめておこう」


 首領の男は部下たちを下がらせた。ただし、カリンに当身をくらった男はまだ悶絶している。


「それに、どうやら、こちらの勘違いみたいだな。非礼を詫びておこう」


「あなたたちはいったい?」


「……なに、ただのごろつきの集まりだよ」


 男はふうと息を吐いた。


「この野ヶ崎の街は、幕府の直轄地になる前から、異国だけでなく、各地のはみ出し者も集まるようになってきた。それは人間も妖怪もな……そのうち街のもめごとや、商売の縄張りを仕切る俺らみたいな、人間と人間世界で生きる妖怪混合の侠客集団が生まれたのさ」


 男は袋からカステイラをもう一切れ取り出し、それを口に入れる。もぐもぐとそれを食べながら言葉を続ける。


「……まあ、持ちつ持たれつってやつだな。人間世界に深くかかわった俺らを幕府も黙認している。まあ、俺らのおかげでこの街の治安が保たれている一面があるからな」


「あの……それで、ええっと」


 襲ってきたわけを聞こうとするが、そういえば、まだ名前も聞いていない。そんなユキジを察して、男の方から言葉をつなぐ。


「名前か? 名前なんてものはこの街に流れ着いたときに捨てちまったよ。仲間内からは名無丸って呼ばれている」


 妖怪の世界は人間以上に弱肉強食だ。人間に近いものや、化けられるものの中には、実は人間世界と共存して生きるものも多い。そして、そういった連中は大抵、やくざ者か用心棒のような仕事をしていた。この名無丸もそういった口だろう。


「それで、狐っていうのは?」


 カリンの質問に名無丸は一瞬、躊躇して答える。


「……俺ら稼業は街のもめごとを解決するためには、暴力をすることもありゃ、それなりにあくどいこともする。でも、殺しはご法度にしている。あくまでこの街と関わってしか、生きていけないからな」


「質問にちゃんと答えろ!」


 カリンがイラついて言う。


「慌てるなって! ええっと、どこまで話したかな……ああ、殺しはしないってとこだったな。この野ヶ崎にはうち以外にも三つの組があって、今までもシマを巡って争いがおこることはあった。」


「……それで?」


「だが、そのうち、うち以外の二つの組がこの一週間でつぶされた。うちも何人かの死者を出している」


 食べ終わったカステイラの袋を、名無丸は無意識に両手でねじり上げ、小さく握りつぶす。


「それが……」


「ああ、さっき言っていた狐の話だ。お前ら『九尾の狐』って聞いたことがあるか?」


「九尾?」


 カリンが首をかしげて、ユキジの方を見る。


「おとぎ話にも出てくる妖怪だよ。大陸の王朝を滅ぼしたり、日の本では宮中に入り込み、混乱を招いたとか」


 ユキジの説明にもカリンはあまりピンとこない。決して賢くないわけではないが、幼いころから、一人で生きてきたカリンは知識に偏りがある。


「ああ、その九尾だ。そいつが手下連れて、野ヶ崎に入り込んでやがる。目的はたぶん四菱。それに……」


「それに?」


「この件は幕府も絡んでいると、俺は見ている」


「幕府が⁉」


 幕府が妖怪とつながっているという名無丸の言葉にユキジは驚いた。だが、そこで思い直す。ジョウケイから聞いた大老ツクモならあるいは……。


「こういう裏家業をしていると、それなりに耳も早くなる。おおかた四菱の財力をうまく取り込みたいんだろうよ。今度の大老は強引で有名だからな。妖怪とつながった黒いうわさも絶えねえ」


 奇しくも大老の話題が出てきたので、もう少し情報を探ってみる。


「……その大老について他に何か知りませんか?」


「大老? あんたら敵討ちか何かか?」


 驚きの表情を見せる名無丸に、ユキジは手を振って否定する。


「そんなんじゃ、ありませんよ」


 当たらずとも遠からずといったところだ。ユキジの言葉に名無丸は含みのある表情を浮かべる。


「……深くは聞かないでおこう。残念だが、あの天戸への入国規制ができてから、ほとんど情報が入らなくなってね。昔から言われている悪評以外はこれといって、話すことはないね」


「そうですか」


 これといって有力な情報がなさそうで、ユキジはがっかりした表情見せる。


「力になれそうになくて、すまないな」


「いえ、ありがとうございます」


「……もし、幕府のことを探るなら四菱をまず調べた方がいいかもな。ただし、狐とぶつかる可能性はあるが」


 名無丸の言葉にうなずくユキジの横で、カリンが口をはさむ。


「お前、さっきからべらべらと怪しくないか? ここらの親分のくせに、そんな簡単に事情を話して」


 カリンが警戒して名無丸を睨みつける。ククククと笑いを浮かべ、名無丸は両手を軽く挙げ、降参のポーズを取る。


「威勢のいいお嬢さんだ。もちろん、裏はあるよ」


 名無丸はユキジの方を指さす。


「こちらのお嬢さんは、どうせ危険があると止めたところで、四菱を調べて、狐らとぶつかるだろう。お嬢さんらが狐とぶつかって倒してくれたら、俺らは丸儲け。なら、少しでも情報を与える……どこか、おかしいところはあるか?」


 名無丸とカリンの視線がぶつかる。カリンは納得したように目を逸らせた。


「……それに、お嬢さんらみたいに人間と妖怪がつるんでいる奴らを見ると、手助けしてやりたくなるのも半分だ」


 名無丸の言葉に改めて、ユキジが頭を下げる。調べるべきは「四菱」。何も手がかりがないよりずっとましだ。名無丸に礼を言ってその場から立ち去ろうとした時に、再び声をかけられる。


「そういえば、大老のことでもう一つ思い出した。あまり関係ないかもしれないが、天戸で武術大会が開かれるらしい。何でも各藩の推薦の武芸者が一堂に集まるそうだが、その主催者が大老だとかいう話を最近聞いた」


 武術大会? 大老が主催の?


 ユキジにとってかなり興味深い情報だったが、まずは「四菱」だ。もう一度、街で四菱についての聞き込みから始めてみよう。名無丸の元を去ったユキジの足取りは、先ほどよりも軽くなっていた。

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