第八話
「さて、そろそろ大将のおでましかいな」
ツクネが目の前の襖を蹴破る。代官屋敷の一番奥にある広い座敷にうろたえる代官と、対照的に落ち着き払った手代とが控えていた。
「妖怪をたくさん買うて、ずいぶんと悪どいこともしてるみたいやな」
すでにツクネとユキジの着物はボロボロになっている。屋敷の中に入ってからも、ずいぶんとたくさんの妖怪の相手をしてきた。
「誰かと思えば茶屋であったお嬢さんじゃないか。あまり俺らには関わらない方が身のためだと忠告したはずだが……」
代官の一歩前に踏み出し、手代が言う。ユキジも一歩踏み出し、手代に返す。
「お前たちの悪事はもうすでに分かっている。素直に罪を認め、奉行所に行くんだ」
ユキジは刀を突きあげ、代官たちの方を指す。ユキジの強い言葉に代官は「どうする?」などと手代に聞き、さらにうろたえる。手代はそんな代官を制し、語気を強めた。
「死人に口なしという言葉を知っているか? そんな話が広がることはない。お前たちが生きてここから帰ることはできないからな」
手代が冷酷な表情で言う。その時、突然、大広間の側面の襖が開かれた。
「残念だがこいつらを殺しても、もう手遅れだ」
皆の視線がそちらの方に集まり、ゆっくりとカリンが入ってくる。
「何だ? お前は?」
「捕まっていた人間たちはすべて解放した。お前らのことを書いた瓦版を持って行ったから、今頃はこの屋敷のことも広まっているんじゃないか?」
カリンが薄ら笑いを浮かべる。
手代の後ろで控えていた代官の顔が青ざめる。自分と妖怪とのつながりが明るみに出ることを防げないと知り、激しく動揺した。代官は手代の着物をつかみ「どうしたらいい? どうしたらいい?」と繰り返す。
手代は代官の方に向き直り、笑みを浮かべて「いい方法があります」と話す。涙を浮かべ、取り乱していた代官は安心したような表情を浮かべ「それでどのような……」と言いかけたとき、手代の肩口から伸びた蜘蛛の足の先の鋭い爪が、代官の頭を引き裂く。
「あの世にまで瓦版はないだろう?」
唐竹割に二つに引き裂かれた代官の亡骸を踏みつけ、手代が三人の方に振り返る。
「さて、次はお前たちの番だ」
手代が先ほどまでの人間の姿から、巨大な蜘蛛の化身に変わる。
黄土色の細かな体毛の生えた大きな胴体からは八本の足が伸びている。その一本一本には鎌のような鋭い爪が備わっている。鬼を思わせるような険しい表情の顔には縁取られた隈が見られ、頭部に二本の角と口元には鋭い牙が見える。
「土蜘蛛か……そういや昔、偉い侍大将さんが退治するとかいう昔ばなし読んだことあるわ」
「無駄話してる場合じゃない! 来るぞ!」
大きな体のわりにかなり素早い。一気に間を詰めてツクネとユキジ目がけて爪を振り下ろす。二人は大きく後方に跳び、土蜘蛛の爪を避ける。土蜘蛛の一撃が代官屋敷の畳や床を完全に削り取った。
削り取られた畳や床の破片が周囲の視界を奪う。土蜘蛛の側面を取ったユキジが大上段から刀を振り下ろす。土蜘蛛は足の一本で難なくそれを受け止める。そうしながらもツクネ目がけて別の足を伸ばす。
ツクネは素早くいつもの鋼鉄製の南京玉すだれを取り出し、伸びてくる爪を受け止めるが、その勢いにそのまま後方へ弾き飛ばされてしまう。
「ツクネ! そっちはだめだ!」
カリンが叫ぶ。ツクネが飛ばされた先にはすでに蜘蛛の巣が張られている。勢いよく飛ばされるツクネはもう方向転換できない。
飛び込むにしても間に合わないと思ったカリンは、炎の尾を蜘蛛の巣に目がけて放つ。炎の渦が蜘蛛の巣を焼き払うとほぼ同時にそこにツクネが飛び込む。
あちちちちと転がるツクネ目がけて、土蜘蛛の足がふりおろされようとするところにカリンの小太刀が飛んでくる。それを振り払っている間にツクネは妖怪から距離を取る。
「あっちいな、無茶苦茶やで、嬢ちゃん! でも、まあナイスや」
「首から先が飛ばなかっただけでも感謝しておけ」
ツクネの近くまで駆け寄ったカリンがツクネに声をかける。そこに土蜘蛛と鍔迫り合いの状態だったユキジも押し切られ、勢いを逃しながら転がり込んでくる。
「ツクネさん、カリン、外でやろう。屋敷の中じゃ巣を張る場所が多すぎる」
「そんなもの、あたしが全部焼き払ってやるよ」
「あほか! そんなん屋敷まで火がついて、うちらまで焼き払われるわ」
「来るぞ!」
三人で固まっているところに糸が吐き出される。三人は素早くばらけてそれを躱す。土蜘蛛が追い打ちをかけようとするところにカリンが炎の尾を放ち牽制する。その隙にユキジとツクネは庭に飛び出す。
「ツクネさん、あの足を何とかしないと! 援護お願いできますか?」
「ああ、任しとき」
二人が言葉を交わしているところにカリンと土蜘蛛が外に飛び出してくる。
カリンが鬼の手で土蜘蛛の爪を受け止めている。カリンの鬼の手も相当力が強いが、土蜘蛛の爪はそれ以上らしい。少しずつ押されて、地面を踏ん張っているカリンの足が後方にめり込んでいく。
「これでもくらい‼」
両手の指の間に挟んだ火薬玉をこれでもかというくらいツクネが投げつける。突然の雷雨のような激しい爆発音が、小刻みに鳴り響く。爆風にあおられて周囲に砂ぼこりが立ち込める。
「こんな爆発が効くと思うかぁぁぁ!」
土蜘蛛はツクネ目がけて糸を吐き出すが、ツクネは蛇の目傘を広げてそれを防ぐ。
「効くなんて初めから思うとらんよ……なあ、ユキちゃん」
周囲の砂ぼこりに紛れて、大上段に振りかぶったユキジがカリンの受け止めている足の側に現れる。
火薬は初めから砂ぼこりを巻きあげるため⁉ 土蜘蛛がユキジの存在を認知した時にはすでにユキジの刀が勢いよく振り下ろされる。先ほどの一合で爪の部分の硬さを理解していたユキジは土蜘蛛の足の先から二つ目の節あたりを狙う。
剣術の基本通り衝突の際、手首を内側に締め、肚で斬るつもりでしっかりと左手を走らせたユキジの剣閃は土蜘蛛の足をぶった斬った。
「カリン‼」
着地と同時にユキジが叫ぶ。先ほどまでの重さがなくなった瞬間、カリンが思いきり跳躍する。空中で前方に転回し、大きく右手を振りかぶって土蜘蛛の頭を狙う。土蜘蛛はカリン側の残る三本の足で、それを打ち落とそうとするが、足がうまく動かない。
「⁉」
いつの間にか、ツクネのトリモチのついた網が土蜘蛛の足に絡んでいる。
「行っけぇー! 嬢ちゃん!」
渾身の力で叩きつけた鬼の手の勢いで、土蜘蛛の大きな体がそのまま側方に転がる。大きく地面に引きずられた跡が残り、傷ついた土蜘蛛の胴体部分からは体液のようなものが漏れている。
確実にカリンの攻撃が効いている。ユキジたちはこの隙を逃さず、土蜘蛛を取り囲む。
「このクソガキどもがぁー!」
土蜘蛛は腹部にある裂け目のあたりに力を込めると、中から子蜘蛛がたくさん飛び出す。あたりにまき散らされた、優に二十匹を超える子蜘蛛たちが、それぞれ頭部が蜘蛛の姿の人間のような妖怪の姿に変わる。
口元に鋭い牙が見られる子蜘蛛たちは、土蜘蛛の囲みを解くように三人を数の地力で襲ってくる。あたりはたちまち乱戦の体をなしていた。
数が多いので囲まれてしまってはこちらが不利だ。土蜘蛛本体を守るように配置している子蜘蛛たちを、できるだけ正面から対峙するように三人は位置取りをする。
ユキジは目の前の子蜘蛛に向かって、膝を抜き重力の加速を使って鋭く踏み込み、喉元に刀を突きたてる。そのまま、右側に薙ぎ払い、もう一匹の子蜘蛛も斬りつける。……浅い!
ユキジの斬撃に構わず、噛みつこうとしてきた子蜘蛛に対して、転身して側面を取り、攻撃をいなし、がら空きになった背後から逆袈裟に切り捨てた。
一匹目の白い輝きが消えないうちに、二匹目の妖怪も白く輝き、霧散する。残心を取る間もないまま次の妖怪が襲ってくる。飛び込んできた妖怪に対して、抜き胴で切り捨てる。
「⁉」
一瞬の隙をつき背後に妖怪が迫る。
ユキジは視線だけ移し、後ろ蹴りのような形で、子蜘蛛の腹部に蹴りを入れて、詰まりすぎた間合いを外す。そのまま半回転しながら、体勢の崩れた妖怪の肩口から斬り下げた。
すぐさま態勢を立て直し、刀を正眼に構えて、次の子蜘蛛に向き直す。じりじりと妖怪との間合いが詰まる。もう飛び込めば刀が届く距離だ。それでもユキジは構えたまま我慢する。多数を正面に相手にするときにあまり飛び込むのは得策ではない。
後の先の返し技で最小限の動きをして次に備える。乱戦での稽古もヤシロに積まされていたユキジはしっかりとその基本が身についていた。
我慢しきれず正面の子蜘蛛が爪を振り上げる。その出鼻をユキジの突きがとらえる。さらにもう一匹が振り下ろす爪を刀で捌き、無防備になった妖怪の背中から腰にかけて斜めに斬り下ろす。
あっという間に五匹の子蜘蛛が消滅させられ、残りの妖怪もユキジのことを警戒して飛び込めない。
繊細なユキジの技とは対照的に、土蜘蛛を挟んで逆の位置ではカリンがその圧倒的な力で子蜘蛛たちを蹴散らしていた。
振り下ろされた爪をカリンはそのまま右手で受け止め、そのまま力を込めて子蜘蛛の肩口から捻り上げ、力任せに切断した。切断面から体液が飛び散る。カリンはその腕を子蜘蛛に投げつけ、ひるむ妖怪の胴体をそのまま鬼の手で貫いてしまう。
そのままカリンは子蜘蛛の群れの中に飛び込む。炎の尾を出し、背後の警戒をしてはいるが、囲まれることなどお構いなしに暴れまわる。
目の前の子蜘蛛の顔面をつかみ、そのまま握りつぶす。背後から襲ってくる妖怪には炎を振り回し、ひるんだところに爪を突き立てる。普段の幼さの残る顔からは想像もできない、次々と襲い掛かる妖怪の返り血を浴びながら、妖怪たちをなぎ倒す様は、鬼そのものであった。
ユキちゃんと嬢ちゃんはほんまえげつないなぁ……
ユキジとカリンに次々と倒されていく妖怪を横目で見ながら、ツクネが鋼鉄の南京玉すだれを振るう。鞭のようにしなってスピードに乗った先端が子蜘蛛の爪を弾き飛ばす。妖怪との間に距離ができると、すかさず火薬球で牽制する。
ツクネも戦いには自信がある方だった。女一人で香具師として全国まわるにはそれなりの強さが必要だった。縄張りをめぐって地元の博徒たちともめることもあれば、妖怪に襲われることもある。
女だから、あるいは女なのに……そんな言葉を口にされないよう、ツクネは自分なりの戦い方を身につけてきた。数々の戦いのための道具を創作してきたのもその一環だ。
そんな自分よりも強い、しかも年下の二人を見てツクネは悔しさよりも嬉しさを感じていた。だから……
「うちもちょっとぐらい、ええとこ見せとかんとな‼」
ツクネが蛇の目傘を取り出し、先端の外すと、そこから鋭い刃が飛び出す。ツクネはそのまま、妖怪の懐に飛び込み、その刃を妖怪の胸のあたりに突き刺す。
さらにツクネが手元のボタンを押し、傘を開け、回転させる。傘に仕込まれた円状の刃が回転と共に妖怪を切り裂く。まさにあたりに血の雨が降る。ツクネが傘の回転を止めると妖怪がばたりとその場に倒れた。
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