第七話
船着き場からみると代官屋敷の裏口は二つある。一つは桟橋から見える階段を上ったところにある裏口。ここは代官屋敷をぐるりと一周する塀の内側に入るためのもので、ちょうどユキジ達が侵入した正門の裏側にあたる。通常の荷物の積み荷や川を使っての移動などはこちらの門を使う。
それに対して桟橋から階段を上らずにそのまま奥へ進んだ先にも、こちらは鉄製の扉のついた裏口があった。ちょうど屋敷を基準に考えると地下に当たる部分だ。
「屋敷への侵入は上の門から塀を乗り越えて行こう。地下からがとらわれた人たちを運び出す道になっているんだけど、頑丈な扉に内側から閂をかけられているんだ」
そう言ってギンが階段を上ろうとする。それをカリンが後ろからギンの着物の首根っこのあたりをつかんで制する。
「ちょっと待て! こっちからの方が近いんだろ?」
「ああ、でも……」
ギンが言葉を終える前に、妖気を込めたカリンの右手が二回りほど大きくなる。
「あたしが壊してやるよ」
カリンは鋼鉄製の扉の前に立ち、拳を握りしめると拳槌の部分で思いっきり叩く。周囲に鈍い音が響き、観音開きの扉の片方が衝撃を受けた部分を中心に少しへこむ。カリンが二度、三度と続けると、扉のへこみが大きくなり、腕一本が通るぐらいの隙間ができた。
大きくへこんだ方の扉から腕を差し込み、閂を外して、へこんでいない方の扉を開く。「行くぞ」とカリンが声をかけ、中に入るのにギンが続く。
石造りで造られた代官屋敷の地下部分の灯りは、所々に設置された行灯のみで、夜に外からやってきても、目が慣れるまでは薄暗く感じられた。奥の方からひんやりとした空気が流れ込んでくる。
外の騒ぎのおかげか、先ほどの扉を破る音でも、こちらに集まってくる様子はなかった。ギンは懐から小さく折りたたまれた紙を取り出し、それを広げると、指さしながら小声でカリンに話す。
「この廊下を真っすぐ行って、右に折れたとこに座敷牢がある。上からだとかなりややこしい道筋だったけど、カリンのおかげでかなり楽になったよ」
「見張りは?」
「通常だと二、三人だと思う。できれば騒いで応援を呼ばれる前に脱出させてしまいたい」
カリンはうなずき、前方に注意を払いながら歩みを進める。曲がり角のところで一旦、足を止め、様子をうかがう。
座敷牢の前の見張りは二匹。それぞれ槍を持ち、すでに妖怪化している。外の騒ぎが伝わっていないのか、何やら談笑している。
これならいける……警備に集中していない様子を見てカリンは思った。二匹を倒す手順を何度かイメージしてみる。
「あたしが先にあいつらを片付ける。お前は後からこい」
腰に二本差した小太刀を抜きながらカリンがギンに小声で言った。
壁に背をつけ様子をうかがい、飛び込むタイミングをはかる。二匹のうち一匹が見回りにでも行くのか、背を向けて歩き出した。もう一匹もそれを見送るかのようにカリンに背を向ける。
今だ! カリンが二刀の小太刀を逆手に持ち、疾風のように駆ける。膝を抜き、できるだけ足音を消しながら、妖怪へと近づく。
「あっ」と妖怪が振り向き、カリンを認識したときにはすでに低い姿勢からカリンの一撃が放たれた後であった。いかずちのように刃の軌跡が走ると、そのまま妖怪は前に倒れこむ。
カリンは振り返らず、二匹目に向かって速度を緩めない。相方の倒れこむ物音で異変に気づいたもう片方の妖怪が驚いた様子で振り返り、槍を構える。
腰を落とし、逆手に持った小太刀を左手は前、右手は側方に構えながら、自分に目がけてものすごい速度で突っ込んでくるカリンに対して、妖怪は慌てて槍を突き出す。
カリンは左に持った小太刀で、その槍の穂先を受け流し、そのまま柄に沿って刃を滑らす。妖怪が突き出した槍を引き戻すよりも速く、カリンは妖怪の槍を持った手のあたりを斬りつけ、そのまま上方へ跳ぶ。右手の刃を頭の上に振り上げると、妖怪の肩口あたりから、突き降ろす。
妖怪は声をたてる間もないまま、動きを止める。かろうじて視線だけ動かし、カリンの方を見つめる。カリンはその視線を逸らさないまま、右手の刀を引き抜く。傷口から大量の血があふれ、見張りの妖怪は前に倒れこむ。
あまりに鮮やかな手口に動きを忘れただ見つめるだけとなっていたギンに「おい!」とカリンが声をかける。我に返ったギンは慌てて座敷牢の前まで駆け寄る。
木製の格子の間から中をのぞくと猿ぐつわをされ、縄で手を後ろにくくられているたくさんの人達がいる。表情には恐怖の色が浮かんでいた。突然、現れた男に戸惑っているのかもしれない。
「大丈夫だ! 俺たちはみんなを助けに来た」
捕まっている人たちの表情を読みとって、少しでも安心させようとギンが声をかける。ギンはカリンの方に目をやり、「カリン、頼む」と声をかける。
カリンは無言でうなずき、小太刀を鞘に収めると右手に力を込める。カリンが思い切り右手を振るうと座敷牢の格子は粉々に砕け散る。ギンはすぐにその砕けた格子の隙間から中に入った。カリンは座敷牢の中には入らずに通路の部分で警戒をしている。
「待ってろ、すぐ楽にしてやる」
ギンは懐から短刀を出し、一番近くにいた男の猿ぐつわと手を縛っている縄を解き放つ。
他の者たちより、少し高級そうな着物を着た男はかなり苦しかったのか、肩で息をしながら、かすれた声でギン問いかける。
「……ありがとう……あんたは?」
「瓦版屋さ。さあ、ゆっくりしている暇はない! あんたも手伝ってくれ」
そう言ってギンは懐からもう一本短刀を取り出し、男に渡す。
二人がかりで次々と縄を切って回り、人々を解放していく。何度も歓声がおきそうになったが、ギンがそれを制する。カリンが見張っているとは言え、いつ妖怪が襲ってくるかしれないし、まだ安全な場所まで逃げてきたわけではない。
とらえられていた人をあらかた解放したころ、最初に解放した男がギンに話しかける。
「ここからの脱出はどうするんだ? 上は妖怪だらけだぞ」
「わかっている。外に三十石船をつけているから裏口から出よう」
ギンの言葉に男は納得したようにうなずく。
「あんた、もしかしてここの役人か?」
「ああ、もともとは俺が手代だったんだが、代官の奴が妖怪とつるみだしたのを諫めた結果がこのざまさ。他の仲間も殺されたり、どこかへ送られたりで、今の代官屋敷には妖怪以外は代官だけになってしまった」
「なるほどな。それじゃあ、この屋敷のことは詳しいってことだ。俺とカリンで背後を守るから、あんたが先導してくれないか?」
「ああ、任せてくれ」
男が力強くうなずく。
男はまわりの人々に声をかけ、自分が先導して座敷牢から人々を出していく。ギンは一番最後に残り、逃げ遅れた人がいないことを確認してから外へ出た。男がきちんと声をかけているからなのか、押し合ったり、パニックになる人もいなく整然と人々が石造りの通りを駆けていく。
ギンは上へと続く階段のある方の通りを見張っているカリンに「脱出するぞ」と声をかけようとした。
「⁉」
カリンは炎の尾を出し、正面の方を警戒している。先ほどまでひんやりしていた通りがカリンの熱気で一気に温度が上がる。
「カリン?」
ギンが声をかけると同時に、カリンが炎の尾を放つ。カリンから放たれた炎が渦をつくりながらカリンの真正面に飛んでいく。いつの間にかその先には一匹の妖怪がいた。
妖怪は体の前で、両手から糸のようなものを出すとそれを一気に練り上げ、盾のように使い、カリンの炎を防ぐ。カリンの炎とぶつかり合い、その糸も消えてしまったが、同時にカリンの炎もかき消されてしまった。水が大量に蒸発したような白い煙をかき分け、その妖怪が近づいてくる。
「やはり外の騒ぎは陽動だったみたいですねぇ。土蜘蛛様の読み通りです」
角の生えた髑髏のような顔に赤いたてがみ、両手・両足とは別に肩口と腰の辺りから伸びる黒いまだら模様の足。同じく蜘蛛の妖怪のようだが、今までの相手とは格が違うことは妖気を感じることのできないギンでもわかることだった。
「……カリン」
「お前は他の奴と一緒に先に行け!」
カリンが背後のギンに振り向かずに言った。
「……でも」
「瓦版をまくんだろ? それにあたしはやっぱり大暴れする方が性にあっているらしい」
カリンの言葉にギンも心を決める。「カリン! 死ぬんじゃないぞ!」と言って、裏口の方へ走りだす。
「逃がしませんよ!」
その蜘蛛の妖怪は再び指先からギン目がけて糸を飛ばす。それをカリンが横から小太刀を投げて軌道を逸らす。そのままカリンは勢いよく跳躍して、残ったもう一本の小太刀を妖怪に振り下ろした。
妖怪の脳天目指して振り下ろされた刃を、肩口から伸びた妖怪の足が受けとめる。甲高い金属音があたりに響いた。反動でカリンは距離を取る。
ずいぶんと硬いな……左手に衝撃のしびれが残っている。蜘蛛の足の部分の先端には爪がある。この外骨格の部分は小太刀では簡単に斬ることができないようだ。うまく懐にもぐってあの胴体部分に一撃を加える必要がある。
カリンは左手の小太刀を逆手のまま前に突き出す構えを取った。左手の小太刀は受けの役割だ。相手のとの距離を詰めながら小太刀で攻撃を受け、右手の鬼の手で攻撃を決める。これがカリンの考えた作戦だ。
カリンが再び距離を詰めにかかる。低い体勢から蜘蛛の妖怪に向かって一気に突進したかと思うと、間合いのギリギリ外で一瞬速度を緩め、フェイントをかけた。カリンの動きに合わせて妖怪の爪がピクリと動く。それを見て、カリンはその軌跡を左手の小太刀で捌き、右手をフルスイングする。
捉えた! と思ったカリンの右手が虚空をつかむ。受けるのも間に合わないと思った妖怪は天井からつるしていた糸を高速で縮め、上空へ逃れていた。
「なかなか素早いお嬢さんだ。それではこういうのはどうですかね」
天井から糸でぶら下がったまま、右手から大量の糸を放出する。カリン目がけて放出された糸を簡単に躱す。それでも妖怪は避けたカリンに糸を出し続ける。
「そんな攻撃があたるか!」
カリンが叫ぶ。
「さて、それはどうですかね」
蜘蛛の妖怪はにやりと笑う。口元からは鋭い牙が光る。
天井からぶら下がっている糸をさらに縮め、体勢をひるがえし、天井を思いきり蹴ると斜めに飛ぶ。そこに貼られてある糸を蹴るとさらに加速して、次の糸に飛び移る。いつの間にかカリンの周りに張り巡らされている蜘蛛の糸を次々飛び移り、加速しながらカリンとの、間合いを詰める。その速度はカリンより速い。
「知っていますか? 蜘蛛の巣の縦糸は粘性がない代わりに弾力性が強いんですよ」
カリンが振るった鬼の手を躱しながら妖怪が言う。そのままカリンの背後を取ると鋭い爪を伸ばす。ギリギリのところでカリンがわずかに左肩を開き、致命傷は避けたが、妖怪の爪はカリンの肩をかすめた。
肩口から血しぶきを吹きだしながら、カリンは飛び退き、体勢を立て直す。妖怪は肩口から伸びた足をブンと振るい、爪先についたカリンの血を振り払う。
「さて、そろそろ終わらせてもらいましょうか。逃げた人間たちを追わなくてはいけませんので」
「……あの雷野郎は集めた人間を何に使うんだ?」
「何やら人体実験をするみたいですが……あなたが知ったところで意味はないでしょう」
「もう一つ。あいつは今どこにいる?」
「さあ? いつもあちらからで、こちらからは一切連絡は取れないのです。どこで何をしているのやら」
「……そうか」
カリンが右の鬼の手にグッと力を込める。
「それじゃあ、お前はもう用済みだ」
カリンが吐き捨てるように言った。妖怪は「用済みはそちらです!」と叫びながら、再び蜘蛛の巣を蹴り、その弾力で加速してカリンに襲い掛かる。
一撃目はカリンが紙一重で躱す。さらに加速して二撃目を加えようと、妖怪がカリンの背後の糸を思い切り蹴ろうとした時、その糸がプツンと切れた。
「⁉」
戸惑う妖怪の一瞬の隙をつき、カリンの一撃が妖怪の胸を貫く。
「……な……ぜ」
「……やっぱり気づいていなかったか」
胸を貫かれ前のめりに倒れこむ妖怪の視界に、小さく限定されたカリンの炎の尾が入る。
「お前とのくだらないおしゃべりの間に、熱で糸の耐久性を弱くしておいた」
「……すばらしい」
その言葉を最後に妖怪は果てた。カリンはそれを確認すると上へと続く道を急ぐ。その場に残った無数の蜘蛛の糸だけが、行灯の光を反射して輝いていた。
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