第五話

 夜の闇に包まれた川辺には蛙の鳴く声が聞こえる。田に水を張る今頃の季節になると土に眠っていた蛙も一斉に姿を見せるようになる。


 代官屋敷からのかなり上流に位置する街はずれの川沿い、それもきちんと整備されたものではなく草木の伸びる河原となっている場所に一隻の小さな船がつながれている。


 ギンがその前にいた二人の男に銭を握らせると、二人の男はうなずいてその場から立ち去る。


「これは?」というカリンが尋ねる。


 天当てんとうと呼ばれる浅い平底の船形の和船は「三十石船」とも呼ばれ、この地域の主に人を運ぶ乗合船として使われていた。川の上りは岸からの引き船、下りは流れを利用して、一隻で約三十人ほどを運ぶことができる。


 荷物を運ぶ大型船と違い、小回りの利くこの船は大きな川沿いの街をつなぎ、人々の生活に密着していた。一日に四往復ほど川沿いを行き来するこの船も夜には船着き場に戻る。ギンは船頭たちに銭を握らせ、夜の間だけという約束で船を借りた。


「代官屋敷には川を下って裏口から侵入しよう。それにさらわれた人を助けるには船がいるだろ?」


「なるほどな。でも、船が襲われたらいちころだぞ」


「……わかっている」


 船をつなぐ縄をほどき、櫂を大きく一漕ぎする。川の流れに乗って少しずつ船が加速していく。夜の闇の中、遠くに街の灯りが見える。


「カリン、そこに木の箱があるだろ?」


 ギンが指さした先に小さな木の箱があった。カリンは「ああ」とうなずく。


「その箱の中には代官たちの不正を書いた瓦版が入れてある。さらわれていた人たちを助けたら、それを持たせて街で広めさせてくれ」


「……そんなことお前がやればいいだろ」


 カリンは訝しげにギンを見つめる。川沿いには少し風も出てきた。


「カリンが言ったように、せっかくさらわれた人たちを助けても、その船が襲われたらいちころだ。だから、向こうについたら二手に分かれよう。俺が騒ぎを起こして囮になるから、その間にカリンはさらわれた人たちを助け出してくれ」


「それなら、あたしが囮になる。大暴れする方が性に合っている」


「だめだ! きっと俺じゃあ、助けた人を守り切れない……カリンがやってくれ」


「……お前、死ぬぞ?」


 カリンが言い放つ。今の代官屋敷は妖怪屋敷となっている。きっとギン一人ではすぐに捕まってしまうだろう。代官の秘密を知ってしまったギンだ、口封じされてしまうことは目に見えている。


「大丈夫……うまくやるさ」


 それっきりギンは口をつぐんでしまった。カリンもそれ以上は何も言わない。


 二人を乗せた船は川の流れにのって闇の中を進んでいく。ギンは時々、櫂を使って進行方向を整える。数日前の雨のせいか、川の流れはいつもより少しより早い。浅瀬にとらわれないように気をつけながら進路を選ぶ。


 街の灯が少しずつ近づいてきた。本来はこの時間に三十石船が運航していることがおかしいので、回送の船を装い、できるだけ目立たないように船を進める。


「そろそろ着くから準備を……」とギンが言いかけた瞬間だった。代官屋敷の方に閃光が走ったかと思うと、少し遅れて轟音が夜の闇に響く。


 ……花火? いや、こんな時期に?


 突然の出来事に考えを巡らせるギンのもとへ一匹の鳩が舞い降りた。足に手紙がくくられている。ギンとツクネが連絡を取り合う際に使う伝書鳩だ。急いで手紙を広げる。


 手紙の内容に驚いているギンを見て、カリンはうつむき、控えめに笑いを浮かべる。手紙の見当はついている。ギンがカリンにも見えるよう、折り目のたくさんついた紙片をカリンの方に広げた。そこには書きなぐった汚い字で「おとりはうちとユキちゃんにまかしとき」と書かれていた。


「あいつらしい派手な花火だ」


 こらえるのを我慢しきれなくなったカリンが笑いながら言う。これだけ笑ったのはいつぶりだろう? この気持ちがツクネの来ることを信じていて、それが報われたことから来ていることにまだカリン自身は気づいていなかった。


「よし! 俺たちは救出の方に集中しよう!」


 ギンの言葉にカリンがうなずく。


 代官屋敷はもう目の前に迫っていた。

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