第二話
鬱そうと生い茂る森を奥深くまで進んでいく。獣道をしばらく歩くと少し開けた場所に出てくる。そこに自然にできたものなのか、それとも人工的なものなのかわからないが洞穴があった。
古くから信仰の対象とされていたのだろうか、洞穴の入口には風化した祠が祭られている。奥の方から風の音が聞こえる。洞穴はさらに奥の方まで続いているのだろう。
その洞穴のさらに奥深くへ男は歩みを進めていく。洞穴の中は透き通るような冷気が包み、足元が水滴で光っている。薄暗い洞穴の所々に蠟燭の灯りが見える。その灯りを頼りに男はしばらく緩やかな下り坂を下る。
突き当りまで進むと今までと違って少し広い空間に行き着く。湧き水でも出ているのか水の流れる音が聞こえる。
男がその場所に一歩踏み込むと、男の方に二つの視線が送られる。一つは手前にいた、黒色の鋼のような肉体に包まれた鬼。そして、もう一つはその奥にいた初老の人間のものだった。
鬼の眼光は鋭く、初老の人間のまなざしはすべてを見通すかのように澄んでいてその二つの視線は対照的だった。
「また悪だくみかね? コハク」
自然にできた岩に腰かけ、鞘に収まった刀を杖がわりにしている男が聞いた。その問いかけに外からやって来た男、コハクは微笑を浮かべて答える。
「ええ」
「勝手な行動は控えるように言っているはずだ」
五臓六腑に響くような低い声で鬼がコハクに言い放つ。
「わかっていますよ。あくまで個人的な楽しみの範囲で行っています。皆さんにはご迷惑はおかけしないつもりです」
「……それはどうだか」
その鬼は立ち上がってコハクの前まで詰めよる。華奢な体型をしているコハクと並ぶと体格差が著しい。
「俺らの目を盗んであんまりおイタが過ぎるとただじゃすまないぜ」
コハクと鬼の視線がぶつかる。しばらく睨み合いの状態が続いた後、コハクがいつもの笑みを浮かべる。
「……わかっていますよ」
コハクは鬼から少し離れた場所に腰を下ろしながら続ける。
「鬼ヶ島と桃太郎を同時に相手にするような馬鹿な真似をしませんよ」
コハクは鬼の方に目をやりながら付け加える。
「ねえ、玄鬼さん」
「ちっ!」
コハクに玄鬼と呼ばれた鬼は奥に座る人間と一度目を合わせた後、舌打ちをして元の場所に座り込む。二人のやり取りを見て、奥の人間がコハクに声をかける。
「……すいぶん楽しそうだな」
「ええ、新しい玩具を見つけましてね」
コハクは以前にあった鬼の子カリンを思い出していた。さらにあの女剣士ユキジ。ずいぶんと面白いことになってきた……コハクは今まで以上の笑みを浮かべながらこれからのことを考えていた。
◆
「どこまで行くつもりだ?」
編み笠を深くかぶって先を歩くギンにカリンが問いかける。先ほど妖怪に襲われた代官屋敷の近くからなるべく人通りの少ない道を選びながら川沿いを南下してきた。もう半刻ほどは歩いている。
幸いあの後は妖怪に追われることなく街外れまでたどり着くことができた。夜になって少し風も出てきて涼しくなったが、新月の今日は人通りもまばらであった。
街の中心部をはさんで代官屋敷とちょうど反対側にあたる地域はちょうど外海から運んできた荷を降ろす倉庫が立ち並んでいた。外海へは川をもう少し下っていかなければならないが、どことなく潮の匂いがする。
「もうすぐだよ、この蔵の中に俺らが隠れ家として使っているものがあるんだ」
ギンは立ち並ぶ倉庫を指さして言った。瓦版屋にかかわらず、特殊な職に就く者たちは仕事柄追われることも多い。そこで彼らのつながりの中で全国各地につくった、人目につきにくい隠れ家が成り立っている。
倉庫群の中でもさらに奥まった場所に小さな詰所のような建物が建っている。この倉庫群の管理人が詰めている建物だ。積み荷は昼夜を問わずにやってくるため、交代制で受付を行っている。
券売所のようになっている受付は代金や鍵のやり取りのみが行えるよう小窓がついており、お互いの顔は見えないようになっている。ギンは懐から手形のようなものを出して、その小窓に差し出す。
「あいつはもう来ているか?」
「ああ、少し前に来ているから鍵はあいつに渡したよ」
「そうか」
そう言って立ち去ろうとするギンに詰所の女が声をかける。
「ちょいとお待ち! あんた何したんだい? 奉行所の奴らがさっきここらにも来たよ」
「……そうか」
「一応、わからないって言っておいたけど、出ていくときは裏口から出ていくんだね」
「ああ、わかってる」
ギンはすぐ側で待っていたカリンに「行こう」と声をかけると蔵の中の一つに入る。薄暗い蔵の中には舶来品と思わしき品物が所狭しと並んでいる。
「こうやってみるとただの蔵みたいだけど、この奥に地下への入り口があって、そこが隠れ家になっている。内側からしか通れない、いざというときのための裏口も設置されているんだ」
ギンはカリンに説明をしながら歩みを進める。確かにどう見てもただの蔵にしか見えないうえにこの暗さだ。まさかこの中に地下室があるとは思えないだろう。身を隠すにはうってつけかもしれない。
薄暗い蔵の中を先に歩くギンに、カリンは先ほどの詰所での会話についても聞いてみる。
「おい、さっきの『あいつ』ってのは誰のことだ? あたし達以外にも誰かいるのか?」
「ああ、時々、情報のやり取りをしている香具師がいてね。もともと依頼を受けていて今日会う約束があったんだ」
「……香具師」
「ちょっと、うるさいやつだけど悪いやつじゃないから、仲良くしてくれよ」
ギンは奥にあった大きな棚の扉を開き、その底に敷かれていた板を取り除く。すると地下へと続くはしごが出てきた。
「さあ、こっちだ」
ギンに続いて、カリンも底の板を元通りにした後、はしごを降りる。うるさい香具師という言葉でカリンの脳裏には一人の人物が浮かび上がっていた。
まさかな……と思いながらはしごを降りるカリンの耳に聞き覚えのある甲高い声が聞こえた。
「ギン! いったいうちをどんなけ待たすねん!」
「悪い、悪い。こっちにも込み入った事情があったんだよ」
「謝って済むなら奉行所なんかいらんわ!」
二人の会話を背中で聞いていたカリンははしごをすべて降りきるとその女性の香具師に向かって言った。
「……やっぱりお前か」
いつものようにその整った容姿には不釣り合いな大きな籠を背負ったツクネがギンの隣にいた。まさかこんな場所で再会すると思ってもいなかったツクネが驚きの声をあげる。
「嬢ちゃん⁉ 何でここに?」
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