第三章:土蜘蛛の屋敷

第一話

 男は必死に逃げていた。ずっと追ってきたこの街の闇、それを白日のもとにさらすまでは殺されるわけにはいかない。


 この街で起こっていた神隠し事件。すでに二十人を超える人がこの数カ月の間に行方知れずとなっていた。ここのところ各地で妖怪騒ぎが起こっていることもあり、当初は妖怪に襲われでもしたのだろうと考えられていた。


 妖怪に襲われた場合、何らかの跡が残ることがほとんどだ。今までも各地で街や村が妖怪に襲われる事案が発生していたが、いずれも妖怪に襲われたと思しき跡が残っていた。しかし、今回の場合には全くない。神隠しにあったように忽然と人が消えてしまったのだ。


 男は瓦版屋としてこの近辺の街や村の情報に精通していた。もともと河原者とも呼ばれていた芸事や特殊な商売を生業にしている者たちには独自のコミュニティがある。男もそういった筋から得た情報で辿っていくうちに、触れてはならない真実に遭遇することとなった。


 知りすぎた男は追われる身となった。男を追っているのは人間ばかりではなく、そこには妖怪も混ざっていた。


 屋敷からは何とか抜け出した。しかし、川の中州となっているこの区画から抜け出すためには屋敷の南側にかかっている橋を渡り、大きな門扉を超えなければならない。当然、ここにも警備が置かれている。


 男は懐から知り合いの香具師からもらった煙球を取り出すと、それを門の警備をしている者たちに投げつけ、その煙幕に乗じて一気にその橋を突っ切った。


 そのまま屋敷のあった区画から飛び出すと、後を振り返らず、全力で駆けた。直に追手もやってくるだろう。まずは人気の多いところに紛れ込み、どこか安全なところに身を隠すつもりだ。男は時々振り返りながら、街の中心地へ向かって走っていった。


           ◆


 今までカリンが訪れた中でこの街は一番大きな街だった。大きな川のそばにつくられたこの街は、川をたどっていけば外海に出られることもあって、大小さまざまな船が行きかい、通りを往来する人々の数は今までに見た村や街に対してけた違いだった。


 街のはずれのちょうど大きな川の中州になってある部分に代官屋敷が建てられており、大きな橋で川沿いの街とつながっていた。


 昼過ぎにはこの街にやってきたが、人の多さに嫌気がさし、カリンは夜が更けてから街の中を歩き回る。これだけ大きな街だ、多少は妖怪の気配が紛れているのは当たり前のことだ。ただ、それにしてもこの街には多すぎる。特にあの代官屋敷の方からはずいぶんと妖気が漏れている。


 それは、人間はもちろん、妖怪同士でもかすかに気づくかどうかの程度のものだった。しかし、カリンは敏感になっていた。


 コハクと名のったあの男に借りを返す。あの整った容姿からは想像できない、禍々しい妖気をカリンは忘れていない。カリンはあれからいくつかの村や街を訪れてはコハクの手がかりを探していた。


 カリンにとって手も足も出なかったという経験は初めてだ。必ず見つけ出してやる……そう思いながらカリンは妖気の集まる代官屋敷の方へ歩みを進める。


 川沿いの道を北へ北へと歩いていく。夜風が頬に当たり気持ち良い。しばらく夜風に当たりながらの散歩を楽しんでいたカリンの耳に突如、叫び声が聞こえた。


 カリンは急いで声の聞こえた方へ駆けていく。代官屋敷にあと一町ほどの街角で男が妖怪に囲まれている。妖怪は全員、着物を着ており、一様に刀を携えていて、首から下は人間のようだが、顔の部分は蜘蛛のような姿をしている。


 妖怪の中には人間世界にうまく溶け込み、人間に化けられる種類がいる。この蜘蛛の化身のように獣や昆虫などが妖怪化したものの中にはこのようなタイプが多い。


 男を囲んでいる妖怪がじりじりとその輪を縮めていく。そのうちの一匹が刀を振り上げた。もう少しだったのに……男が諦めて目をつぶった瞬間、カリンの小太刀が、刀を振り上げた妖怪の手首あたりに突き刺さる。ギヤァァァァーと妖怪は叫び声をあげ、刀を落とす。


 そこへ大きく跳躍してきたカリンが、男と妖怪の間に割って入る。カリンはもう一本の小太刀を構えて、蜘蛛の姿の妖怪と向き合う。


「お前ら、雷を扱う妖怪知らないか?」


 カリンが問いかける。


「なんだお前は? この男の仲間か?」


 男を取り囲んでいた妖怪の一匹が逆に問いかける。


「こんな奴、知らない……それよりあたしの質問に答えろ」


 カリンは背後の男を一瞥した後、左手の小太刀を逆手に持って構えた。そこに先ほどカリンに小太刀を投げつけられた妖怪が「てめえ、許さない!!」と言って割って入る。


 その妖怪が振り下ろした刀をカリンは小太刀で受け流しながら、妖怪の顔面に蹴りを入れる。そのまま反転して、先ほどの投げつけた小太刀が落ちてある場所に着地するとそれを拾い、両手で小太刀を構えた。


 蹴りを入れられた妖怪が怒りに任せて再びカリンに向かう。男を取り囲んでいた妖怪もそれに続く。向かってくる妖怪に対して、カリンも低い姿勢のまま突進していく。相手の斬撃を紙一重で躱すと、逆手に持った小太刀で斬り上げる。閃光のように十文字の太刀筋が走るや否や、妖怪の腕が飛ぶ。


 カリンはその斬り上げた勢いのまま跳躍し、回転し二匹目の妖怪にも刀を突きたてた。突き立てた刃を引き抜こうとするカリン目がけて、妖怪の一匹が口から糸のような粘液を出す。


 蜘蛛のような妖怪の口のもとから伸びる糸が、倒された妖怪ごとカリンの小太刀を絡めとる。間一髪で糸を躱したカリンはそのまま、炎でできた尾を出し、その炎を妖怪目がけて発射した。


 カリンから放たれた炎の尾は円盤のように回転しながら飛んでいく。薄暗い夜の闇に一瞬だけ灯がともり、男からは今まではっきり見えなかったカリンの顔が映し出される。


 あんな童のような娘が……思っていたより幼い娘が、妖怪を次々と倒していくことに男は驚いていた。


 突然現れた炎の渦に妖怪が面食らっている間に、カリンは自分の放った炎に追いつきそうな勢いで飛び込み、残った一本の小太刀で次々と妖怪を斬りつける。ここからはカリンの独壇場であった。


 男にはかろうじて軌跡だけが追えるような速度で斬撃を繰り返し、その場の妖怪を斬り伏せていく。妖怪たちも斬撃や口から糸を吐くのだが、そのすべてがカリンには当たらない。決して捉えることのできない風のように、あるいは舞でも踊るかのように軽やかに妖怪の間をすり抜ける。


 男を取り囲んでいた五、六匹はいたであろう妖怪をすべて斬り伏せると、カリンはそのままその場を離れようとした。カリンの動きに呆気にとられていた男は慌てて、その背中に声をかける。


「待ってくれ!」


 男の声にカリンは歩みを止める。


「……助けてくれてありがとう。あんた……妖怪の童か?」


「別にお前を助けた訳じゃない……それに妖怪だったらなんだって言うんだ」


 カリンは振り返り、少しいらついて言った。カリンの姿を見た人間の反応は大概決まっている。初めは好奇の、そして、次第に恐れや憎しみのこもった眼で見る。幼少のころから鬼の子として避けられた過去のあるカリンにとって、それが今までの人間の反応であった。


 しかし、次に男がとった行動はカリンにとって予想外の出来事であった。


「頼む! 俺は妖怪と代官の野郎に追われているんだ! 俺のことを守ってくれないか?」


 そう言って男は頭を下げる。急に頭を下げられてカリンは戸惑う。思えば今まで他人から頼られたり、頭を下げられたことはほとんどない。


「なあ、あんた相当強い妖怪だろ? 頼むよ」


「……どうしてあたしがお前の用心棒みたいなことをしなきゃならないんだ? だいたいお前は何者だ?」


「ああ、俺か……おれはギンって言うんだ」


 ギンは自分を指さしながら言った。


「瓦版屋をやっている」


「……瓦版?」


 カリンが首をかしげる。


「まあ、ひらたく言えば情報屋だよ。いろんな筋から仕入れた情報を文に起こすんだ」


 活版印刷の技術が向上してから容易に文章を大量に作成することができるようになった。最近ではそれぞれの地域で起こった事件や出来事を扱う瓦版が多くつくられるようになった。ただギンの場合は日常の出来事よりは、そのつながりを活かして大きな事件の裏側などを伝えるものを得意としていた。


「それで、その情報屋がどうして妖怪に追われているんだ?」


「……この街の『神隠し』の事件知ってるか?」


 ギンの質問にカリンは首を振って答える。


「あたしはまだこの街にきたばっかりだ」


「そうか……実はこの街でこの数カ月の間に二十名以上の人間が神隠しにあっている。ある日突然、消えてしまったように帰ってこなかったんだ。それで俺はその事件を追っていた」


「……」


「その中で妙な噂を知ったので調べてみたんだ。『代官と妖怪がつるんでる』ってな。調べてみたら見事に当たっていたよ。代官屋敷の中には妖怪がうじゃうじゃ、それに代官の野郎、妖怪と取引をしているみたいだった。とらえた人間を妖怪に渡してるんだ……きっと『神隠し』にあった人間の一部は今も代官屋敷に……」


 情報屋としていろいろと裏家業の人間ともつながっているが、ギン自身は正義感の強い性格だった。きっとギンが一人で騒いで奉行所に訴え出たところで裏から手が回ってしまうだろう。この事実を瓦版として公表し、噂を広め、代官を追い込む必要があった。


「なあ、俺は何とかこの事件を瓦版にしたいんだ。頼む! 助けてくれよ」


 ギンがカリンにすがりつく。カリンはその手を払いのけて、ギンに背を向けた。


「悪いがあたしは慈善活動をしてるわけじゃないんだ……他をあたりな」


 そう言ってその場から立ち去ろうとする。ギンはあきらめきれず、その背中にさらに声をかける。


「そこをなんとかたのむよ! 代官は土蜘蛛とかいう蜘蛛の妖怪を配下にしている。俺だけじゃ、すぐに殺されてしまう」


「……」


「それに代官の野郎はもっと上の妖怪ともつながってる……俺は見たんだ! 冷たい眼をした金髪の妖怪が、船で代官屋敷から人間を連れて行くのを……」


「⁉」


 立ち去りかけていたカリンの足が止まり、おもむろに振り返る。


「……その話、もう少し詳しく聞かせてみろ」

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