第六話

 街の中心部から外れた少し開けた場所にさびれた寺院の跡地がある。すでに誰も住んでいないのか廃墟になっている建物の庭の部分には雑草が生い茂っていて、それが人がいなくなってからの年月を表していた。


 その寺院の境内の部分にツクネが腰かけている。あたりはすっかりと夜が更けている。十六夜の月も夜空に輝いている。その月明かりに照らされて、ツクネのそばにすっと影が伸びる。


「……約束通りちゃんときたようやな」


 こちらの方に真っすぐ向かってくる足音に向かって言葉を投げかける。鬼面の男は無言のままさらに近づく。まだ刀は腰に下げたままだ。横からすっとカリンも現れる。すでに二刀の小太刀を両手に持ち、男を警戒している。


 この場所に呼び出したのはツクネの方だ。朝早くから周りに迷惑がかからなそうなこの場所を下見しておいた。そして、ヒビキの店に手紙を届けておいた。ユキジを呼び出す手紙をユキジの眠る部屋に投げ込んでおいたのもその時だ。


「こうやって二人がかりで待ちかまえているとこっちが悪もんみたいやな。どうや、素直にお縄についてはもらえんやろか?」


「……」


「こちらも一宿一飯の恩もあるし、なるべくなら手荒な真似はしたくないんや、なあ、ヒビキさん」


 ツクネはそう言って縁側から立ち上がる。


「……今の私は白鬼。もはや止まることはできない」


 そう言って男は刀を鞘から抜く。漆黒の刃が凍てついた冷気のような光を放つ。


「ヒビキさん、あんたは根から悪い奴やない……そやけど、やるしかないみたいやな」


 ツクネも鋼鉄製の南京玉すだれを取り出して構える。それに合わせて男も正眼に構える。もちろん横で控えるカリンへの警戒も解かない。


「待ってください‼」


 三人警戒の外側で突然大きな声が響いた。息を切らしながら寺院の跡地に駆け込んでいたのはユキジである。


「待ってください! ツクネさん」


「……ユキちゃん」


「……それにヒビキさん」


 ユキジはヒビキの背中に声をかける。かけられたヒビキは顔だけユキジのいる寺院の入口の方に向けた。形としてはヒビキが三方を囲まれた状態だ。


「ヒビキさん……どうして?」


 声にならない声でユキジが問い詰める。哭き鬼の面で隠れてヒビキがどんな表情をしているのかユキジからはわからなかった。


「ヒビキさん、あなたは誰よりも優しかった。幼いころの私はあなたの優しさに何度も助けられたんです……そんなあなたが、なぜ辻斬りなんかを」


「……先ほどその者たちにも言ったが、今の私は『ヒビキ』ではなく『白鬼』、もし私の邪魔をするというのなら、ユキジ……お前でも容赦はしない!」


 ヒビキは左手に持った刀をユキジの方へ突き出す。それを見てツクネが横やりを入れる。


「ちょい待ち、先約はユキちゃんじゃない、うちらのはずや」


「あたしは昨日の借りを返しに来ただけだ」


 カリンも口を出してくる。


「そういう訳やから、ユキちゃん、悪いけどあんたの出番はなさそうやな……同門対決なんてするもんやない」


 ツクネはユキジにウインクをする。ツクネなりにユキジを気遣っているのだろう。それはユキジにも十分伝わった。それでも……いや、だからこそ。大きく息を吸い込み、ユキジは自分自身の決断に発破をかける。


「ツクネさん! ありがとうございます。でも……」


 ユキジも刀を抜き、片手で持ち、ヒビキの方へ刀を突きだし返す。


「もし本当にヒビキさんが妖刀に憑りつかれ、辻斬りを重ねているのなら……それを止めるのは私の役目! ヒビキさん……いや、白鬼! 私が相手になる!」


「ユキちゃん……でも……」


 ユキジの言葉にツクネは戸惑う。そこに突然、乾いた拍手が鳴り響いた。音の方向に視線が集まる。


「いやいや、たいした決断だ。さすがはあの有名なヤシロさんの娘さんだ」


「……お前は⁉」


「確か……あの時の!」


 闇の中から拍手とともに現れたのはコハクだった。


「せっかくに、自分自身で兄弟子を止めようと決心なされたのです。本人の思うようにさせてあげては?」


「‼ ……勝手なことぬかすんやない!」


 ツクネは玉すだれをコハク目がけて、思いっきり振る。鞭のようにしなる鋼鉄の玉すだれが、闇夜を切り裂き、コハクの目の前まで迫る。それをコハクは指先二本だけで、軽く触れて玉すだれの方向を変えた。


 コハクのすぐ横の空を切った玉すだれが地面に叩きつけられた。あたりに砂ぼこりがまきあげられる。コハクはすっとその場から飛び退き、寺院を取り囲む塀の上に着地する。


「同門対決に水を差すのも何ですしね……あなた方にはこちらの相手をしてもらいましょう」


 いつの間にかツクネやカリンの周りを異形の者が囲んでいる。尖った耳に赤黒い肌、鋭く尖った牙とそれぞれに刀や鎌のようなものを持っている。


「彼らは魍魎もうりょうといって本能のままに死体を喰らう低級な妖怪です。あなた方からすれば大した力ではないかもしれませんが、これだけ数がいればどうでしょう?」


 コハクが手を挙げると妖怪たちは、じりじりとツクネたちを囲む輪を狭めようとする。チッと舌打ちをしながらツクネがその妖怪たちに向かって玉すだれを振り回す。鋼鉄の玉すだれの遠心力で数匹の妖怪がなぎ倒される。


「嬢ちゃん! 半分は任せた! ユキちゃんのところに行かせたらあかん!」


 ツクネはユキジとヒビキを挟んで反対側にいるカリンに向かって叫ぶと、そのまま魍魎たちに向かって火薬球を投げつけ、そのまま妖怪たちの群れの中に突っ込む。火薬玉の爆発音とともに乱戦が始まっていた。


「ふん、アタシはあの男にも借りがあるんだった……そいつはお前にくれてやるよ」


 カリンもユキジにそう言って、ツクネとは反対側の魍魎の群れに飛び込む。逆手に持った二刀の小太刀を閃光のように振るうとたちまち、一匹の妖怪が切り刻まれた。


 ツクネさん、カリン、ありがとう……ユキジは心の中でつぶやいた。ヒビキに向かって伸ばしていた刀を再び構えなおす。それに呼応してヒビキも大上段に構えなおす。


 ツクネとカリンが妖怪の群れを食い止めているおかげで、寺院の中央部ではユキジとヒビキが一対一の形で対峙できていた。今のところコハクは塀の上からこの状況を静観している。


 ユキジとヒビキはお互いに構えたまま、じりじりと間合いを詰める。お互いの一挙一足の間合いのギリギリ外側で、目に見えない駆け引きが繰り広げられる。二人の外の喧騒も気にならないほどユキジは集中していた。


 ほんの一寸ほどの間が詰まるや否や、ユキジの胴への水平な斬撃とヒビキの大上段から振り落とした斬撃が交差する。


 あたりに響く金属音。お互いの掌に衝撃が走るがそれを押し込めて、鍔迫り合いが繰り広げられる。グッと丹田に力を込めて押し込んだ反動で再び距離をとる。たった一合のぶつかり合いで、ユキジはその太刀筋に懐かしさと、それがまぎれもなくヒビキであることの悲しみが混ざった複雑な想いを抱えていた。


 込みあげてくるかつてのヒビキへの想いを押し殺しながら、再び間合いを詰める。今度はユキジが大上段なのに対してヒビキは正眼だ。


「どうしたユキジ……踏み込みが浅いぞ。私を止めるんじゃなかったのか」


「……ヒビキさん、あなたもしかして……」


 ユキジの言葉を待たずにヒビキは正眼から突きを繰り出す。それをユキジは体さばきで躱しながら、大上段からヒビキの刺突を刀身で受ける。ユキジの間合いがヒビキの側面をとらえるが、ユキジはとっさにためらって距離をとってしまう。


「今の私はヒビキではないと言ったはずだ……ユキジためらうな」


 先程までの数合でユキジは察していた。もともとヒビキは剣才があるとは言えない方だった。真面目な性格で誰よりも練習を重ね、剣を愛していたが、実際の実力でいうとヤシロの弟子の中でも最も低かった。


 すでに五年前の時点で試合ではユキジがヒビキに勝っていた。それでも周りの皆から一目置かれていたのはひとえにヒビキの人柄のおかげだった。


 どのような事情があったのかはわからないが、今更ながら誰かに止めてもらいたかったのかもしれない。もちろん本気で打ち込んできているのであろうが、そこにはこれで楽になれるというような一種の清々しさのようなものが見られた。


 五年前のヤシロが開く剣術道場時代のようなやり取りが続く。そこには言葉はない。だが剣を使ってお互いの心の対話がなされていた。数合の剣による対話の後、ヒビキが振り下ろした刀をユキジが思いきり跳ね上げる。ユキジは刀を返し、がら空きになったヒビキの小手に鋭い一撃を入れた。


 ヒビキは衝撃で刀を落とし、右の手首を抑えながらうずくまる。そこにユキジがヒビキの顔の前に刀を突きつけた。


「ヒビキさん……勝負ありです」


「……いや、まだだ」


 ヒビキは右の手首を気にしながら立ち上がる。峰打ちとは言え骨ぐらいは折れているだろう。


「そのケガではもう戦えません……もうやめてください」


「ユキジ……もう私はヒビキではない。刀に魅せられた一匹の妖怪、白鬼だ。とどめを刺すことを気に病むことはない」


「……ヒビキさん。いったいどうして?」


 ユキジの問いかけに、ヒビキは顔を背ける。鬼面の奥ではどのよう表情をしているのかまではわからない。


「……私にとってヤシロ先生はあこがれだった。いつか先生のように人々のために剣を振るっていきたいと思っていたよ。剣術が好きだった……才能は全くなかったが、ユキジ、お前たちと剣を振るっていた日々は幸せだったよ」


「……」


「古道具屋の店主になった後も、心の奥底にあるその思いは消えることなかった……きっと妖刀にそんな心を見透かされたのだろうな。妖刀は私に力をくれた。そして、その力は少しずつ私を壊していった。あれほどヤシロ先生には力の使い方について教えてもらったのに……」


「……ヒビキさん」


「さあ、お喋りはここまでだ。妖刀を使うたび少しずつ私は侵食されていった。私自身の心が残っているうちにすべてを終わりにしてほしい」


 懇願するような声でユキジに伝える。ユキジは刀を振り上げるがそこで止まってしまう。やはりできない……ユキジがそう思った瞬間、ヒビキが落とした漆黒の刀からたくさんの触手が伸び、ヒビキの右半身を覆う。


『ここまで来て器を失う訳にはいかん……力を与えてやる』


 腹の底に響くような低い声が聞こえた。赤黒い触手に覆われたヒビキの右腕が刀を振るう、とっさにユキジは刀で受け止めたが、その威力で後方に弾き飛ばされる。ヒビキは咆哮のような唸り声をあげた。すでにヒビキの心はここにないのかもしれない。


「さて『紅喰』が完全にあの男の魂を喰ってしまったようですね。どうします? ユキジさん」


 塀の上でコハクが笑みを浮かべている。コハクは特に自分自身で手を下すこともなく、ただこの三局の戦いを眺めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る