第五話

 ユキジが茶屋に入るとすでにツクネが席に座っていた。まだ朝も早い時間なので、他の客はほとんどいない。ツクネはいつになく真剣な表情をしている。ユキジはツクネの向かいの席に座って問いかける。


「どうしたんですか? 朝からこんなところに呼び出して……それに何も言わずに出ていくなんて。ヒビキさんも心配していましたよ」


「……何の心配しているかはわからんけどな」


「えっ?」


「いや、こっちの話や」


 ツクネは目の前のお茶をすすった。


「まどろっこしいのはあんまり好きじゃないから単刀直入に言うで……ユキちゃん、もうこの街から出た方がええわ」


 ツクネはあれから一晩、どのようにユキジに伝えるか考えていた。真実を隠して、うまくごまかしながらユキジをこの街から去らせる方法はないかと思案したが、結局思いつかない。昨日の様子から見るとヒビキがユキジを襲うとは考えにくい。共感できないがヒビキなりの善悪の判断があって辻斬りを行っているのだろう。


 ただそれもヒビキが刀に飲み込まれない限りだ。昨日のように妖怪化してしまったら、自分自身で制御で来ていない様子だった。正義感の強いユキジのことだ、この街にしばらくとどまっていたら辻斬り騒ぎに首をつっこまないと限らない。


「ツクネさん、いったいどういうことですか?」


 突然のツクネの言葉にユキジはとまどってしまう。


「どういうことも、こういうこともあらへん。そのままの意味や。ユキちゃんは早くこの街から出た方がええ」


「だから、それが何でなんですか?」


「……」


 ツクネは少し思案した後、観念したように言葉を続ける。


「昨日の夜、うちは例の辻斬りと出会った」


「えっ⁉ ツクネさんが?」


「ああ、昨日は取り逃してしもうたけど、今夜もう一度あいつをおびき寄せてとっつかまえる予定や」


「それなら私も手伝いますよ!」


 ツクネの予想通り、ユキジも話に乗っかろうとしてくる。それをツクネは左の手のひらを出して制する。


「いらん! もう十分間に合ってる。ほら、前に会った妖怪のお嬢ちゃん! すでにあの子に手伝ってもらうことになってるんや」


「それなら、余計に私も手伝いますよ!」


「あかん! ユキちゃんは絶対連れて行かんつもりや」


 ツクネの言葉に思わずユキジはムッとする。


「足手まといにはならないつもりです」


「……そうやない」


「だったらなぜ?」


 ツクネの態度がユキジには納得がいかない。本当のことを言うべきか否か、ツクネは少し迷った。ただ後からわかるより、自分なら先に知っておきたいと思い直し、ツクネはユキジに真実を伝えることにした。


「例の辻斬りの男の正体は……ヒビキや」


「えっ⁉」


「あいつは妖刀に憑りつかれとる。……初めは本当に人助けのつもりやったかも知らん、ただ街を守りたかったのかもな。でも今のヒビキはいつの間にか心も鬼になりつつある。まるで『哭き鬼』の話のように……」


「……嘘だ」


 ユキジは茫然とした表情を浮かべ、あきらかに動揺している。


「ヒビキさんがそんなことあるわけない……あのヒビキさんが……」


 ユキジにとってヒビキはかつて兄同様に接してきた人物だ。あの面倒見のいい兄弟子と、辻斬りという言葉がどうしても頭の中で結びつかない。


「ユキちゃん、残念やけど間違いない」


「そんな……」


 状況が呑み込めず、動くことのできないユキジ。その向かいでツクネは席を立ち、その場から出て行こうとする。その背中にユキジが声をかける。


「……ツクネさん。私も連れて行ってもらえませんか? どうしても自分自身で確かめたい」


「……」


 ツクネは立ち止まって、背中で聞いたいたが、冷たく言い放った。


「ユキちゃん……あんた、ヒビキを斬れるか?」


「えっ⁉」


 振り向かずともユキジが困惑した表情を浮かべていることはわかった。


「無理やろ……妖刀に心奪われたあいつはためらいもなくユキちゃんを襲うかもしれない。そういう覚悟のない奴は連れて行くことはできへん」


「……でも」


「あいつはうちと嬢ちゃんで止める。ユキちゃんはさっさとこの街を離れて、今回のことは忘れてしまうんや」


「……ツクネ……さん」


「こないだの分もあるし、ここの分は払っとく。あとはさっさとここを出るんやで」


 そう言ってツクネは店員に代金を支払うと出ていってしまった。ユキジは席に着いたまま動けない。あの様子からしてツクネが嘘をついているとは思えない。それでもヒビキが辻斬りの犯人だとは信じられない。


 優しい性格のヒビキのことをユキジは本当の兄のように慕っていた。剣術を始めたころ厳しいヤシロの指導にべそをかいていたユキジの面倒をいつも見てくれていたのもヒビキだった。ヒビキが剣術道場を辞めて、自分の街に帰ることになった時、まだ十二歳だったユキジは泣いて駄々をこねていた。


 茶屋を出た後もユキジはまだ迷っていた。ツクネの言っていたこの街をすぐに出てしまうという選択肢はユキジにはなかった。仮にヒビキが本当に辻斬りであったのなら、なおさら他人事としてほっておけない。だからといってヒビキと闘うなんてことはしたくない。


 まずは話し合うことが先決だ。できればツクネの誤解であってほしい。そうだ、その可能性だってある。ツクネ達より先にヒビキに問いただそう。誤解、あるいはきっと何らかの深い事情があるはずだ。


 そう思ったユキジはヒビキの店へ向かう。ヒビキのことを信じている一方、もし本当にそうであればと不安が胸を締め付ける。いつもより重い足取りでまだ日も低い街を歩く。


「ただいま」と無理にいつもより努めて明るく店へ入る。奥からは声は聞こえない。ユキジの胸に不安が広がっていく。ユキジは草鞋を脱ぎ、祈るような思いで奥の部屋へ向かう。そこにもヒビキはいない。ただ一枚の手紙が机の上に置かれていた。


 そこには急用ができて今晩は帰らないこと、次の旅の支度ができるまでこの店を自由に使ってもよいとのこと、そして、久々にユキジと再会できてうれしかったなどということまでが書かれていた。


 最後の一文がまるで遺言のようで、ユキジは気が気でなくなる。そのまま奥の部屋から店の外へ出ようとした時にユキジは気づいてしまった。今朝にはかかっていたはずの哭き鬼の面と刀がなくなっていることに。


 心当たりがなくても、片っ端から探してやる‼ 店から出たユキジは全力で通りを駆けて行った。それでもまだユキジの頭の中は迷ったままであった。

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