第七話

 ツクネとカリンは無言のままにらみあっていた。カリンの右手は依然として妖怪化したまま戦闘態勢を解いていない。一方、ツクネは武器も籠にしまっている。カリンと戦うつもりなど全くない。


「別に嬢ちゃんの生き方にとやかく言うつもりはない。嬢ちゃんが人間だろうと妖怪だろうとうちには関係ない。でも、自分がやりたくもないことをやらされてるんなら、うちはそれをやめさせたい」


「……」


「押し付けだろうがなんだろうが、うちは嬢ちゃんの笑顔がみたいんや」


「……」


 ツクネの言葉にカリンは黙っている。言葉には出てこないがイライラしているのが様子には見てとれる。


「……アタシは人間でも妖怪でもないんだ」


「えっ⁉」


 ぼそっとこぼしたカリンの言葉をツクネが聞き返したときである。


「危ない‼」


 カリンがツクネを突き飛ばし、そのまま二人で転がる。さっきまでツクネがいた場所は巨大な鞭で叩かれたように地面がえぐれている。体勢を立て直し、まだ倒れているツクネをかばうように構えたカリンが見たのは大蛇となった蛇喰だった。


 もとの姿からは数倍の大きさであろう深くくすんだ緑の大蛇はすでにもとの姿の原型はなくなっていた。ただ長く伸び先の割れた舌で舌なめずりをする仕草でカリンはそれが蛇喰だと認識した。


「まだ十分力をコントロールできていないみたいだな。なぁ、カリン、一撃で楽にしてやろうと思ったのによぅ」


「……貴様、どういうつもりだ?」


「それはこっちの台詞だよ、カリン? 人間嫌いのお前が人間助けてどうした?」


「……」


 カリンは一瞬、横目で後ろのツクネに目をやったが何も答えない。


「ふふ、やっぱりお前は半端者だねぃ。まるで蝙蝠のようなやつだ。お前がどれだけ人間のふりをしても、そして妖怪にしっぽをふっても、お前はどちらでもないんだ。なぁ、カァーリーン」


「……だまれ!」


「どうやら図星のようだねぇぃ」


「……」


「……嬢ちゃん」


 カリンの持つ闇が垣間見えた気がした。


「そうそう、お前に持ってこさせた宝珠だけどもともと俺らのものだったって言うのは全部偽り、半端者のお前を引き入れたのも全部このため。お前は利用されただけなんだよ」


「……くっ」


 カリンの表情に怒りと困惑が浮かぶ。


「これでお前はもう用済み、あぁ、生意気なお前を何度喰ってやろうと思ったことか……やっとこの時がきた。さあ、お前を……」


「ふざけるな‼」


 恍惚の表情を浮かべていた大蛇の横面に大きく跳躍したツクネのフルスイングした玉簾が叩きつけられる。不意をつかれた大蛇だが、ダメージはない。着地と同時にツクネが大声で叫ぶ。


「こんな嬢ちゃんを使ってなんてことを……嬢ちゃん、こんなやつのいうことなんか気にしな」


 そういってツクネは再び戦闘態勢になる。左手に南京玉簾、右の指の間には4つの小さな珠を挟み、大蛇のまわりを走り出す。


「せっかく後回しにしてやったのに馬鹿な奴め! ぐちゃぐちゃに噛み砕いてやる」


 そう言って、いくつにも分かれた体をツクネめがけて伸ばそうとする。しかし、その前にツクネの指から投げられた小さな球が大蛇の体に当たる。小さな爆発音が四連発で鳴った。当然、大蛇の体にはかすり傷一つつけられなかったがツクネの狙いはそこではない。


 爆発した小さな珠から硝煙が立ちこめ、目隠しの役目をする。とにかく一発でももらえばアウトだ。煙にまぎれながら動きまわることがツクネにとって最善の策だった。


「嬢ちゃん、頼む! うちじゃ無理やわ」


 囮がわりに大蛇の攻撃を避けながらツクネが叫ぶ。蛇喰はその体を大きくうねらせ地面に叩きつけた。大蛇となった蛇喰の体は地面を引き裂き、その石つぶてが声の方にむかって広範囲に放たれる。


 暴風雨のように降り注ぐその攻撃をさすがによけきることはできず、左肩のあたりから腕にかけて被弾した。鈍い痛みと衝撃にツクネは思わず左手に持った玉簾を落としてしまう。


 ……イってもうたか⁉


 ツクネは痛みを通り越して感覚がなくなっている左肩を押さえながら思った。動きがとまったツクネの前に大蛇が迫る。目隠しの煙も薄くなっていた。


「嬢ちゃん‼」


 ツクネが叫ぶ。その声とほぼ同時に大蛇の頭の一つに大きく跳躍したカリンの右手が振り下ろされる。ツクネの玉簾フルスイングでも、びくともしなかった蛇喰の頭が大きく振れて地面に叩きつけられた。


「嬢ちゃん、ナイス‼」


 ツクネの斜め前に着地したカリンはツクネに目をやらずに「下がってろ」とだけ言った。カリンを取り巻く空気が変わったのを感じて慌ててツクネは左腕を押さえながら後ろにさがる。


 カリンを中心に周りの空気が収束していったかと思うとカリンから炎につつまれた尾が飛び出す。そしてカリンが再び大蛇に向かって跳躍しながら素早く回転し、その尾を振りかざすと鞭のようにしなった火炎が大きく弧を描き大蛇目がけて飛んでいく。


 一撃目の業火のまともに餌食になった大蛇になおカリンは手を緩めず二撃目、三撃目の炎を放つ。炎そのものから起こる熱風と舞い上がった粉塵で戦局はどうなっているかはわからないが、少し離れた場所で見ていたツクネはそのあまりにも人間離れした戦いにただ目を瞠るしかなかった。


 五発目を撃ちおえたところでカリンは攻撃を止めた。それぐらいが限界なのか先ほどの炎でできた尾はしぼんでなくなっていた。カリンは効果のほどの確かめようと粉塵に向かいよく目を凝らす。その舞い上がった粉塵の中に影が走ったと思った瞬間だった。


「⁉ ……ぐっ!」


 煙の中から伸びてきた大蛇の頭の一つがカリンのみぞおち辺りに突き刺さる。瞬時に反応し地面に叩きつけられるのだけは防いだが、そこに大きな口をあけた蛇喰の牙が迫る。小太刀で牙を受け止めるが完全には止めきれず、カリンの右肩から鮮血が飛び散る。


「さっきのはさすがに効いたよ……だが、今の私をやるにはすこし力不足だねぇ」

「……」


 カリンは無言で二本の小太刀を構えた。右肩から流れる血がさきほどの傷が決して浅いものではないことを示していた。


 その様子を見て蛇喰は下卑な笑みをうかべる。そんな蛇喰に対してカリンが再び攻撃を重ねる。カリンの攻撃は蛇喰に確かに届いてはいるが、それ以上に蛇喰の攻撃がカリンの命を蝕んでいった。


 少しずつ速度が落ちてくカリンの様子を蛇喰は楽しんでいた。妬ましく思いながらもその妖力差ゆえに手が出せなかったカリンが今は自分の前にどうしようもなくもがいている。


 ツクネもカリンの限界を感じていた。ツクネの目にも実力差はあきらかに見て取れる。……これは逃げの一手かな? そう思っていた目の前にカリンが飛ばされてきた。出血はいよいよ激しくなり、全身ボロボロなうえ大きく肩で息をしている。


「……逃げろ」


「……!?」


「早く!」


 先ほどと同じようにツクネに目もやらずに言った。そして、カリンは蛇喰に向かっていく。その後姿に背を向けてツクネはその場から立ち去ろうとした。


 一歩、二歩、三歩と歩いたところで足が止まる。ツクネの耳に岩の砕ける音や木々がなぎ倒される音が聞こえた。カリンが蛇喰と交戦しているのだろう。しばらく立ち止まってうつむいていたツクネが顔を上げた。


 カリンは残りの妖気を振り絞り、蛇喰の頭の一つに右手を振り下ろす。紙一重で攻撃が避けられたが、同時に鋭く尖った爪を大蛇の目を狙って伸ばした。


「当たれぇぇ‼」


 カリンが念じるように言った。カリンの右手から伸びた爪が大蛇の眼球を捉える。初めての有効な一撃だったかもしれない。大蛇の眼球の一つから激しく鮮血が飛び散る。


「ちくしょぉぉぉーっ! くそガキが! いつまでも調子に乗りやがって‼」


 大口を開けた大蛇の頭がカリン目がけて伸びる。カリンにそれをよける余力はない。今度こそ一撃で仕留めるつもりの攻撃だ。


 その瞬間に一度はその場を去りかけたツクネが伸びていく大蛇の頭の側面に飛び込んできた。どこから出したのか肩には大筒を抱えている。「ツクネさんばずぅかぁー」と書かれた大筒を零距離で打ち込む、これがツクネの正真正銘、最後の切り札だった。……獲った! ツクネがその引き金を引こうとした時だった。


「やっぱりもう一匹が出てきたねぇ。カリンに止めをさそうとすれば出てくるのは見えてたよ」


 ツクネの背後で声がした。大蛇の首の一つがツクネの背後を獲っている。完全に裏をかかれた。さっきの蛇喰の激昂はツクネをおびき出すための罠だったのだ。絶対的に妖力に余裕を持った蛇喰はカリンが守ろうとしたツクネから先に殺めるつもりであった。


「さぁ、観念するんだねぇ」


 すでにおもいっきり跳躍した状態では避けようがない。……嬢ちゃん、ごめん。ツクネはギュッと目を閉じた。自分の鼓動がはっきりと聞こえる。ツクネにとって永遠に思えるほどゆっくり時間が流れた。血が吹き出す音があたりに響いた。


 ……終わった。そう思った瞬間、ツクネはそのまま地面に落下した。


 胸に手を当てるが自分じゃない。恐る恐る目を開けたツクネの目の前に大蛇の大きな首の一つが落ちてきた。


 断末魔のような叫びが聞こえる。落下した大蛇の首が朝露のように白く輝き出し、それが漆黒の刀に吸い込まれていく。


「ぐっ……そういえば、もう一匹いやがったなぁ」


 その言葉が向けられた先には漆黒の刀をさげた女剣士がいた。ユキジだ。

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