第五話
体の奥が熱い。血が逆流しているような感じだ。山の中腹辺りから感じた違和感が山頂に近づくにつれ大きくなる。これが結界とやらの力か? とカリンは思った。
もちろんカリン自身は妖怪としての力は抑えているつもりだ。しかし、カリンの中で全ての部分がコントロールできているわけではないとカリン自身も気づかされた。
それはカリンにとって紛れもなく自分は100%人間でなければ、妖怪でもないという事実を突きつけられたようだった。胸の奥からこみ上げるイライラがどちらの種にも属しえない自分の寂しさからくることにカリンは気づいていなかった。
……あれだな。カリンの視界に古ぼけた神社が薄闇の中に映る。蛇喰兄弟から目指すべき宝珠は神社にあると聞いていたが、そんなことを思い出すまでもなく体に感じる違和感で十分にそこが結界の中心だということがわかった。
さて、はたして結界を直で通過できるかどうか? もちろんやってみなくてはわからない。違和感を感じながらもここまではこられたのだ。カリンは考えるのをやめてまっすぐ神社めがけて歩みを進める。
「⁉」
神社を目前にしたカリンの足がそこで止まる。さっきまで感じていた違和感が急に消えた。体が軽くなる。……結界が消えた?
予想もしなかった事態にカリンは驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、とりあえず神社に駆け寄る。夜の闇はすっかり更けて、月の淡い光だけがぼんやりと足元の草木を照らしている。少し風も出てきた。
境内の前までカリンがたどり着いたとき、境内の古い木戸が開く。ぎしぎしときしむ古い木戸をできるかぎり音を立てないようにとそっと動かし、忍び足で出てきたのは派手な着物を身にまとった女性であった。怪しげな荷物籠を背負い、大事そうに淡い水色に透きとおる珠を両手で抱えている。ツクネだ。
この時間にまさか人がいることを想定していなかったツクネは境内の前の人影に気づくと「おおっと⁉」と思わず声を出した。
想定外はカリンも同じだ。できれば誰にも見られず宝珠だけを手にしたかった。目の前のツクネに対して明らかに警戒をみせる。それとは逆にツクネは境内の前のカリンの姿を確認すると安心したようにカリンに声をかけてきた。もちろん、とっさに手を後ろに回し、宝珠は隠している。
「……なんや、お嬢ちゃんか。もう、びっくりさせて!」
ツクネは胸をなでおろして、境内に腰をかける。
「こんな夜更けになんや? 子どもはもう寝る時間やで!」
「……」
ツクネの性格だろうか? 初対面のカリンになれなれしく言葉をかける。夜更けに少女が一人神社に現れたことを不審にまでは思わないようだ。
「それ……」
カリンがツクネの籠を指差す。
「さっき隠した珠をくれ」
手を差し出すカリン。ツクネはペロッと舌を出してばつが悪そうに答えた。
「……何や、見てたんか」
ツクネは籠を下ろして、そのまま境内に腰掛ける。手には先ほどの宝珠を手にしている。
「嬢ちゃん、となり座り。まあまあ、遠慮せんと! 何? 遠慮はしてないって? もう、細かいことは気にしな」
「……」
パタパタと境内の隣の埃を手で払ってきれいにしてやり、ツクネは無理やりカリンの手を引っ張ろうとする。カリンはまだ警戒を解かない。
「何や若いのに景気の悪い顔をして! まあ、とりあえず座ろ! 取引はそれからや。」
「取引?」
「はいはい、話聞く気になったんやったら座る」
ツクネが笑顔で言う。フンっとそっぽを向きながらもカリンはツクネの隣に座る。夜更けの神社の境内、それも泥棒が二人並んで座っている姿もおかしなものだ。ツクネの独特なペースにいつの間にかカリンも乗せられてしまっている。
「うちはツクネ。嬢ちゃん、名前は?」
「……早くその珠をよこせ」
「何や! 愛想悪いなぁ……一応、この珠はうちが先にもらったんやからね。そら、見られたからには口止め料ぐらいは払うけど、これごと渡せはめちゃめちゃやわ。このお宝のうわさ聞いてうちははるばるこの村まで来たんやからね」
ツクネは両手で宝珠を握り締め、それをカリンから遠ざけるそぶりをみせた。力ずくで宝珠を奪うことはカリンにとっては簡単だ。しかし、なぜかそれをカリンはする気になれなかった。
「……はるばる来たのはアタシも同じだ」
カリンの言葉にツクネはちょっと考える。
「じゃあ、これでどう!」
ツクネは怪しげな荷物が満載の籠から首の据わっていない少し不気味な人形を取り出してカリンの前に差し出す。
「はるか海の向こうの異国から伝わったっていう、まりおねっとのふらんそわチャン! うちの宝物や。これを口止め料がわりにあげるわ! どや? これ以上ない破格の条件やろ?」
「……」
本気で思っているのだろうか? ツクネはいたって真剣なのだがカリンにはそれが伝わらない。ただ、目の前にいるこの女性は自分が今まで目にしてきた人間のどの分類にも属さないことだけは伝わった。
「あっ! 何やその顔、しょーもないと思ったやろ? ふふん、ちょっと見ててみいや」
そういってツクネがそのふらんそわチャンから伸びる糸を操ると、まるで生きているように動き出す。それだけじゃない。
「私、ふらんそわ。仲良くしてね!」
人形がしゃべりだす。人形から伸びている糸をみてその糸で人形を操れることはある程度予想はついていたが声まで出したことにはさすがにカリンも驚いた。
「どうなってる?」
「どうやら驚いたようやな」
やっとカリンが食いついてきてツクネは少し得意げだ。香具師のはしくれ、子どもの気も引けないようではやってられない。実はただの腹話術なのだが、ツクネにかかると本当に人形がしゃべりだしたように聞こえる。
「この人形には魂があって自分の意思でしゃべりだすんや……って、おい!」
ツクネの説明を無視してカリンはふらんそわチャンを勝手にとっていじりだす。そんなカリンを怒ろうしたツクネだが、夢中になって人形をいじっているカリンをみてそんな気もなくなった。
ひょいと境内から飛び降りると、ツクネは籠を肩に掛けそれじゃとそこから去ろうとする。宝珠を持って去ろうとするツクネに気づき、カリンが「待て」と声をかけようとしたときだった。
ツクネは前方の何かに気づき歩みをとめる。そして、籠からすばやく南京玉すだれのような道具を出し、両手で振るとそれは大きな橋のようにアーチを描き、前方に伸びた。戦闘態勢だ。
ツクネとカリンの視界の先にはひときわ目立つ大きな体をした蛇妖と、その背後に控える刀を持った妖怪たちが飛び込んできた。ひぃ、ふぅ、みぃ……妖怪たちの数を目で数えながら、これはちょっときついなぁと思う。
「その珠を渡してもらおうか」
先割れした長い舌を出しながら、中央の蛇妖が一歩前に進む。蛇喰兄弟の弟だ。少しずつツクネをとりかこむ妖怪の輪が狭まってくる。ツクネの背中にひんやりと冷たい汗が流れた。やがて覚悟を決めたツクネが叫ぶ。
「嬢ちゃん、はよ逃げ!」
後ろのカリンに向かって叫ぶと、南京玉すだれを大きく振りかぶり、片手で釣竿のように蛇妖目指して伸ばす。そのときだった。
「⁉」
背後からの不意打ちにツクネは何が起こったかわからなかった。薄れゆく意識の中でツクネが見たのは悲しそうな顔をしたカリンと「……ごめん」という言葉だった。
「……嬢ちゃん?」
そのまま前のめりに崩れ去るツクネ。そのツクネの袖口からカリンはそっと宝珠を抜き出す。去り際にカリンは何かをつぶやいたが、近くにいた妖怪たちにも聞き取れなかった。蛇妖が聞き返したが、カリンは「……いくぞ」と言って、足早にその場から立ち去る。
この女は始末しとくか? ……と蛇妖は思ったが、カリンが早々とその場から立ち去ってしまったので急いでそちらを追いかけることにした。カリンはどうでもいいとしても、宝珠を見失っては兄貴にどやされる。
カリンと妖怪たちが去った後の神社には元の静けさが戻った。さきほどまで出ていた風も止まり、夜の闇もまた一段と深くなった。
◆
遠くでぼんやりと呼ぶ声がする。どこかで聞いたことのある声だ。誰だっけ? ……はっきりとしない意識の中で考えてみる。そういや何をしていたんやっけ? 神社に行って……女の子がいて!
「嬢ちゃん‼ ……っ!」
ツクネはがばっと起き上がったが、まだ頭の奥が痛い。だがその痛みで意識も少しはっきりしてきた。そこで誰かに抱きかかえられていることにも気づく。
「……ユキちゃん?」
ツクネを抱きかかえていたのはユキジだった。ゲンタと神社に向かったユキジは境内の前で倒れていたツクネを見つけた。幸い呼吸等は正常だったので、様子をみていたところにツクネの意識が回復した。
「ツクネさん! 大丈夫ですか? ……いったい何が?」
ユキジの問いかけにツクネが答えるより早く、境内の中から慌ててゲンタが飛び出してきた。
「ユキ姉ちゃん大変だ! やっぱり宝珠がなくなっている!」
「‼」
「結界が消えちゃったのもきっとそのせいだ! 蛇喰たちに違いないよ」
ユキジとゲンタの話を聞きながらツクネはぼんやりとカリンのことを考えていた。最後にみせた少し悲しそうな顔。香具師は人を笑わして、幸せにしてなんぼや……ツクネの中で一つの決心が固まった。
「妖怪や……刀持ったんがわんさかと太った蛙か蛇みたいな妖怪。それから……嬢ちゃん。そいつらがお宝を持っててもうた」
ツクネの言葉にユキジとゲンタは顔を見合す。
「やっぱり蛇喰だ!」
「それと、あいつ」
ユキジは蛇喰との戦いに割って入った少女の顔を思い浮かべる。ユキジは同時にもう一匹の蛇喰のことも思い出していた。
「ツクネさん、蛇みたいな妖怪は一匹だけでしたか?」
「えっ?」
「大柄の奴以外に、もう一匹細身の蛇妖もいませんでしたか?」
ユキジの質問にツクネは少し考える。あのときの状況を思い返してみるがそんな妖怪は思い当たらない。
「……いや、いなかったはずや」
その言葉にほっとしたような表情をみせたユキジはゲンタの方に振り返る。
「よし! ゲンタまだ間に合うかもしれない」
「⁉」
「宝珠はきっとあの細身の蛇妖のところに届けられる。結界がなくなっても少なくとも村を襲うのはいったんアジトに戻ってからだ。そこを叩こう!」
「そうか‼ ユキ姉ちゃん、急ごう。おいらの知ってる近道からなら、もしかしたら蛇喰たちに追いつけるかも」
ゲンタの表情が少し明るくなる。
「……なあ、うちもつれてってな」
二人の話を横で聞いていたツクネが入ってきた。いつの間にか元通り怪しげな籠も背中に背負っている。
「……ツクネさん、その体調じゃ」
「大丈夫! もう意識もはっきりしとるし、さっきは油断してもーたけど足手まといにはならんつもりや。それに……」
そこでツクネは言葉を飲み込む。
「……それに?」
「いや、何でもない。とにかくあかん言われてもうちはついていくで!」
ユキジのことをじっと見るツクネ。その瞳には揺るぎない確かな意志が宿っていた。これ以上は無駄だと悟ったユキジはだまってうなずく。横のゲンタがすかさず言葉をつなぐ。
「こっちだ。いこう、姉ちゃんたち‼」
もともと獣道のような本道だったが、さらに道の悪い脇道を三人は進む。月明かりだけが頼りだがこの山を知り尽くしているのか、さすがにゲンタは一度も迷わない。月はすでに傾き始め、この夜がいつまでも続くわけではないことを感じさせた。
三人が妖怪の群れに追いついたのはちょうど蛇喰たちのアジトの目前だった。アジトとなっている洞穴を見下ろせる崖。戦略的には好都合だ。ここから駆け下りればアジトと蛇喰たちの間に割って入れる。
「ゲンタはここで……」
妖怪たちの間までついてこようとするゲンタを制すると、ユキジは一気に駆け下りた。そのすぐ後にツクネが続く。
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