第三話
「ほら、姉ちゃん。これがじいちゃんの神社なんだ」
ゲンタが指差した先には古びた境内があった。ずいぶん古くからあるのだろう、造り自体は決して立派なものとはいえないが、自然と調和したその姿は日常と非日常の狭間にあるような印象を感じた。まあ、神社というのはそういうものかもしれないが……。
「あとはここからまっすぐ下っていくと村だよ、さあいこうぜ!」
ユキジも心配をしていたが、ゲンタもすっかり元気を取り戻したみたいである。蛇妖たちとの遭遇の後、道すがらゲンタから大まかな事情は聞いた。あの蛇喰という妖怪たちが村とその村に伝わる秘宝を狙っていて、それをゲンタの祖父である神主が符術を使って退けているらしい。
ゲンタが先ほどおこなった札を爆発させる術も祖父から習いかけているものだ。ただ、ゲンタの力ではせいぜい爆風で目くらまし程度のことしかできない。ユキジはゲンタを村まで送っていくついでにゲンタの祖父に会いたいと思っていた。
符術とは札に書かれた特殊な文字を媒体にして様々な破邪の力を引き出す法である。古来から伝わる妖怪に対抗するすべである符術には、同じく妖怪に対するものとしてかなり興味がある。ユキジにとって参考になることも多いかもしれない。
神社からまっすぐに下るとそこには確かに村があった。ただ夜とはいえあまりにも人気が少なく寂れた印象さえ受ける。例の妖怪騒ぎのせいだろうか?村の入り口に到着した二人に気づいて、一人の老人が駆け寄ってくる。
「⁉……ゲンタ」
「じいちゃん」
老人の声に気づくとゲンタも駆け寄る。目の前まで来たゲンタを抱きすくめるのかと思いきや、老人はいきなりゲンタの顔に平手を振りぬく。乾いた音が周囲に響いた。
「この大馬鹿者が! あれほど村の外にいってはならんといったのに……」
「……でも、このままじゃ村は」
「だからといって、お前の術では己の身一つも守れないだろう……大丈夫、お前が心配するのもわかるが、今は将来の自分のことを考えていなさい。いつか立派な符術士になればよい」
そういってゲンタの祖父はゲンタを抱きしめる。いきなりの平手もゲンタへの愛情からくるものだ。さすがにゲンタも素直になった。本日二度目の涙だ。
「ごめんなさい」
「わかればいいんじゃ」
そんな二人の状態をみながらユキジはどうしたらいいかわからず、なんとなくその場で二人の様子を見ていた。そんなユキジに祖父も気づいてゲンタに問いかける。
「ところでそちらのお嬢さんは?」
「姉ちゃんは蛇喰に襲われていたところを助けてくれたんだ。こう見えてとても強いんだよ」
ユキジは老人に軽く会釈する。
「そうか、そうとは知らずこれは失礼なことをしました。ゲンタの祖父でヤグモといいます。このたびは孫がお世話になりました」
ヤグモは深々と頭を下げる。ユキジも恐縮して同じように頭を下げながら自己紹介する。
「あっ、いえいえ。私はユキジといいます」
「ユキジ殿……ですか。どうです? 日も暮れたことですし、手前どもの家にいらっしゃいませんか? たいしたことは何もできませんがぜひお礼もしたい」
「いいんですか?」
正直、野宿も覚悟していたユキジにとってはありがたい話だ。
「はい! ぜひとも」
「やった! 姉ちゃん、おいでよ!」
そういってゲンタはユキジの手を引っ張る。妖怪の話も符術の話も聞きたいので、結局ユキジはゲンタの家にお世話になることにした。
ゲンタは祖父と二人で暮らしている。父母は早くに亡くなってしまったらしい。ゲンタの家で少し遅めの夕食をいただき、ようやく人心地ついた。改めてゲンタの祖父と妖怪の話になる。祖父の勧めでゲンタは別室にいかされた。
「さて……と」
ゲンタが出て行くのを確認してからヤグモが切り出す。
「ユキジ殿も妖怪を退治することを生業としているとか?」
「いえ、妖怪退治をしていたのは父のほうです。私はただ敵を探しています。……父の」
ユキジはヤグモから視線を落とし言った。
「ユキジ殿の父も妖怪退治を?」
「……ええ」
「して、そのお名前は?」
「ヤシロといいます」
「⁉ ……なんと!」
ユキジの言葉にヤグモは驚きの表情を見せた。そして、ユキジの顔を改めてまじまじと見つめる。
「父を知っているんですか!」
今度はユキジが驚く番だった。
「この世界ではずいぶん有名人じゃよ。ただ、知っていると言うほどのものではないですが。今から20年ぐらい前に一度だけあったことがあるが……」
「何か父について知っていることはありませんか?」
「……」
ヤグモは申し訳なさそうに首を横に振る。
「会ったといってもほとんど会話もしていないしのう。それにわしはすでに隠居して長い、ヤシロ殿の噂すらもここ数年は耳にしておらん」
「……そうですか」
「すまんのう。ゲンタを助けてもらったのに何一つ力になれんで」
「いいえ、気にしないでください。それよりさっきの蛇喰って言いましたっけ? なぜあの妖怪はこの村を?」
本当に申し訳なさそうに話すヤグモが気の毒になってユキジは話題を変えた。ただこれは少し気になっていたことだ。ヤグモの手前、口には出さなかったが、このさびれた村を手にしても妖怪にあまりメリットは感じられない。
それとも「お宝」とやらがよっぽどすごい物なのか? その質問に対してヤグモは淡々と語りだした。
「霊脈と言うものをユキジ殿はご存知かな?」
「……いえ」
「人間の生命力や妖怪の妖力の源泉を霊力と言うのじゃが、あるゆるものに存在する霊力が特に多く集まる場所を霊脈と言うんじゃ。わしらの使う符術は札を通して人工的に小さな霊脈をつくり、様々な力をそこから引き出す。だがそもそも大きな霊脈はもともと自然界に存在する。」
「……」
そこまで聞いてユキジには思い当たることがあった。あの神社だ。
「そう気づいたようじゃな。私が神主を勤めているあの神社はちょうどその霊脈になっている」
「じゃあ、その霊脈をねらって?」
「これこれ、早とちりをしなさるな。自然界にある霊脈は確かにとてつもない力を秘めているが、我々人間や妖怪が簡単にそこから力を引き出せるものではない」
「じゃあ、どうして?」
ヤグモの次の言葉を待つ。
「……宝珠」
「宝珠?」
「何百年も続く、私の神社には宝珠と言われる小さな珠がある。霊脈にずっと奉納されていたその宝珠にはいつからか人間や妖怪の霊力を引き出し増幅させる力が備わっておった。あの蛇喰どもはそれを狙ってやってきたわけじゃ。……だが、奴らがそれを手にすることはできなかった」
ヤグモはそこでいったん言葉を切る。
「そこに結界が張っていたからじゃ。もともとこの村は妖怪から身を守るため、宝珠の力を使って増幅させた結界術で村全体に結界が張られている。わしらの一族は代々、神主としてその結界と宝珠を守ることが使命とされていた」
ユキジは神社の近くで感じた違和感を思い出していた。妖怪を防ぐための結界とユキジの刀が何らかの共鳴をしたのかもしれない。
「しかし、結界のために宝珠を奪えないと知った妖怪どもはこの村とほかの場所との交流を断つ作戦に出た。この村に寄ろうとする旅人、荷を売りに行こうとする村人らを襲い始めたんじゃ。妖怪のために人が寄り付かず孤立させられたこの村はこのままではいつか滅びる。……わしが刺し違えてでもあの蛇喰どもを倒せればよいのじゃが、もしわしが倒れれば結界も消滅してしまう」
「消滅?」
「結界は宝珠で規模を増幅しているとはいえ、もともとは符術でつくったものじゃ。術者の死はそのまま結界の消滅につながる」
「……」
悲痛な顔のヤグモ。自給自足が基本となっている小さな農村とはいえ、この時代に他の地域とのつながりなしで経済が成り立つとは考えられない、どうみてもこのままではジリ貧状態なのはわかっている。わかっているがどうしようもないヤグモの痛みが伝わってくるようだった。
「……あの」
ユキジはヤグモに語りかける。
「私に何か手伝えることはありませんか?」
わずかな時間だが必死に考えたユキジの答えはこれだった。
「討って出ましょう。このままじゃどうにもならない、私も協力します。一人では厳しくても二人なら……それにこの刀なら」
「……」
ユキジはまっすぐにヤグモを見つめる。決意に満ちたユキジの瞳にヤグモは少し困った顔をしてから首を振った。
「ありがとう。ユキジ殿の気持ちは本当にありがたい。それにその刀……それならば戦い方次第では蛇喰も倒せるやもしらん」
「じゃあ、なぜ?」
納得できずユキジは食い下がる。
「……ユキジ殿はいくつになる?」
「……17です」
そうか、とヤグモはうなずきながら言葉を続けた。
「わしのように老い先短いじいさんならまだしも、まだまだ先の長い娘さんに命をかけさせる訳にはいかん。ましてやヤシロ殿の忘れ形見となればなおさらじゃ」
「……」
「あまり生き急いではならん。無理もいかん。これからユキジ殿はもっと強くなる。多くの人を妖怪から救うじゃろ。じっくり、ゆっくり自分自身を磨きなされ。……それに手がないわけじゃない。ゲンタは着実に力をつけておる。ゲンタがいっぱしの結界がはれるぐらいまで成長すれば、わしも命をはれる。ゲンタこそこの村の希望なのじゃ」
なんとなくゲンタの無茶をした気持ちが分かった。早く強くなりたい! その思いはユキジも今まで何度となく味わったことのある気持ちだ。自分さえ強くなれば守れるものがあるのに、それができない無力な自分が許せない気持ち。
生き急いではならん……ヤグモの言葉は少なくとも今のユキジには理解は出来ても納得はできない言葉だった。
その後、ヤグモから符術の基本知識やこの村の歴史の話を聞いた頃にはずいぶんと夜も更けていた。ヤグモからあてがわれた部屋に移り、ユキジも床に着く。窓からは高く上がった月が見える。
目を瞑ってみるがなかなか寝付けない。四半刻ぐらいったったときだろうか? ユキジの部屋の扉が静かに叩かれた。
「……姉ちゃん。まだ起きてる?」
ゲンタの声だ。
「ああ。どうしたんだ?」
「……中、入っていい?」
遠慮がちにゲンタが聞いた。ユキジはそっと扉を開け、ゲンタを中に招き入れてやった。枕もとの照明に灯を入れてやり、月明かりだけだった部屋が少し明るくなる。改めてみたゲンタの姿に驚いた。
これから外出するかのような服装である。もちろん、たすきがけにかけたかばんも身につけている。
「こんな時間にどうしたんだ?」
「姉ちゃん、おいらと一緒に蛇喰を倒しに行ってくれないか?」
「⁉」
ユキジは驚いてゲンタの顔をまじまじと見つめる。どうやら本気らしい。
「姉ちゃんはじいちゃんから村のことを聞いたんだろ? ……でも、じいちゃん本当のことは隠している。本当はもう村もじいいちゃんも限界なんだ。だからおいらが何とかしないと! お願いだよ、力を貸してくれ!」
「無理だ。ゲンタの力じゃ死ぬぞ」
「……それでもおいらがやらなきゃ。おいらも符術士だ。」
「……」
ユキジの瞳をまっすぐ見つめるゲンタ。周囲が止めるのも振り切って旅に出てきたときの気持ちがユキジの脳裏によみがえる。止めても無駄だということがわかった。
「よし、私も行く。ただし、絶対に死ぬな。刺し違えてでも……なんてことは絶対に考えてはいけない。生きて帰ってくるんだ、わかったな?」
「ああ、約束する」
「よし!」
「蛇喰たちのアジトはわかっている。下っ端の妖怪をつけていったんだ。まあ、それが見つかって今日の騒ぎになったんだけど……」
今日の騒ぎ……そのゲンタの言葉でユキジは大事なことを思い出した。
「ゲンタ! 確か村と神社の結界は妖怪を防ぐだけだな? 人間は神社に簡単には入れるのか?」
「えっ?」
「宝珠がなくなると結界が消える……まずい、ゲンタ。先に神社だ、いくぞ!」
ユキジは服装を整え、刀を腰に差すと前回にした部屋の窓から飛び出した。姉ちゃん、急にどうしたんだよ? などといいながらゲンタも続く。走りながらユキジの脳裏には女大道芸人ツクネの姿が浮かんでいた。
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