第二話

 辺りはもう薄暗く、虫の鳴き声も聞こえる。まだ夏の終わりだという感覚だったが、確かにそこに秋の訪れを感じた。


 ユキジはそんな想いにふけりながらも周囲への警戒は怠らなかった。途中何度かガサガサという物音に注意を引かれることもあったが、大抵は小動物が草むらから出てくるだけであった。


 ここまでの途中、何人かに村のことを聞いた。この森で妖怪が出没するという話は旅人たちの間で噂になっていた。一人でその森へ向かおうとするユキジを止めとけと止める者もいたが、その制止も聞かずにユキジは本道から外れていった。


 峠を越えてからの道はけものみちと言っても過言ではないような道であった。しばらく人は通っていないのだろう、もともと森だった場所に好き放題に背丈の高い草まで生えている。

 

 しばらく草を掻き分け進むと湧き水の出ている場所に出てきた。そこからは幾分か道もましになった。


 大木を背に座り込み、ユキジは少し休憩を取る。宿場町からだと、かれこれ一刻以上も歩き続けている。途中で聞いた感じからだともうそろそろのはずだけど……ユキジはふくらはぎの辺りをもみほぐしながら思った。


 そんなユキジの耳に突然、爆発音が聞こえる。


「……⁉」


 驚いたユキジは立ち上がり、音の方角を警戒する。木々で休んでいた鳥たちも急に羽ばたく。どうやらここからはそう遠くないようだ。ユキジはしゃがみこみ、地面に耳を当てる。


 こっちの方に走ってくる足音が一つ……いや、たくさんに増えた。そのまましばらく様子を伺っていると、足音が止まった。ユキジは立ち上がり、その方向に向かって走り出す。


 そこでもう一度、爆発音。妖怪のしわざか? 周囲への警戒を強めながらも、ユキジはとにかくその方向ヘ向かう。


 その爆発音の中心には少年がいた。まわりには異形のものが4,5匹……じりじりと取り囲まれすでに少年に逃げ場はない。


「くそガキが! 手間取らせやがって……ぶっ殺してやる」


「……」


 妖怪だ。刀を持ち、人間にわりと近いタイプだが、その異形の姿を見れば明らかにそれとわかる。必死に逃げてきたのだろうが、すでに追い詰められている。


 今にも少年に襲い掛かりそうな妖怪を制して、その少年を取り囲んでいる妖怪の後方からもう一匹の妖怪が出てきた。


「おいおい、ぶっ殺してもらっては兄貴に会わす顔がないぜ。そのガキはあの神主の野郎の孫だ。あいつをおびきよせるために、せいぜい半殺しで我慢してもらうぜ」


 そういってその妖怪は笑う。つられてまわりの妖怪も笑った。蛇妖の一種だろうか? 長い舌を出して笑うその妖怪がどうやらリーダー格であった。


「さあ、観念しな、クソガキ」


 そういって妖怪たちが囲いの輪を縮め、少年に襲いかかろうとする。そんな妖怪をけん制するかのように少年はたすきがけにしていたかばんから、片手でお札のようなものを3枚取り出し自分の前に突き出した。


 妖怪たちはそのお札に躊躇しながらも、少年の一番近くにいた妖怪が攻撃を加えてくる。転がりながら何とかその一撃をかわした少年は、その妖怪に向かってお札を投げつけた。


「……滅!」


 少年が何やら唱えたその瞬間、お札が大きな爆発音と共にはじけ飛ぶ。爆風が砂をまきあげ、妖怪たちが一瞬ひるんだその隙を利用して少年は立ち上がり、妖怪の囲いからすり抜けた。一目散に駆け抜けようとするその瞬間、少年の足に無数の蛇が絡みつく。


「⁉」


「それはもうさっきに何度もみたよ。そうそう同じ手が通用すると思われては困るねぇ」


 少年の足に絡みついた蛇は長い舌の蛇妖の右腕から伸びている。それが一気に縮んで、少年は再び蛇妖の前に連れ戻される。

 

 少年は左手に握っていた札を足の辺りに近づけ脱出を試みようとするが、それより早く蛇妖の右腕が大きく波打つ。少年は一度地面にたたきつけられ、その後右足をつかまれ逆さづり状態にされる。頼みの札も地面落ちてしまった。


「これで万策尽きたな……あのジジイの技もその紙切れがないとできないんだろ?」


 爆風で吹き飛ばされていた妖怪たちも再び少年のまわりに集まり、リーダー格の蛇妖は先の割れた長い舌を伸ばしながら、また下品な笑みを浮かべる。


「……」


「かわいい孫の命と引き換えならばジジイもあれを渡さざるをえないよなぁ?」


「……じいちゃん、ごめん」


 少年はぼそりとつぶやいた。始めはばたばたと抵抗していた少年も足に絡みつく蛇が離れないと悟ると覚悟を決めてグッと目を閉じた。


 その瞬間に風。一筋の閃光が少年と妖怪の間を走ったが、瞬時の出来事に妖怪たちも反応できていない。次の瞬間には少年は逆さづりから解放されドスンと地面に落ちる。


 蛇妖の蛇でできた右腕は真っ二つになっている。ギィィィィィ、と蛇妖の叫び声がした。いったい何が起こったのか少年にはわからない。


 先ほどの閃光の先にはユキジがいた。右手には妖しげに黒く光る刀をもっている。突然現れた女剣士に、少年も妖怪たちもとまどいをみせる。


 爆発音を頼りにやってきたユキジは少年が妖怪にとらえられている姿を目の当たりにし、すぐに割って入ったのだった。ユキジは振り返ると刀を構えなおして少年のもとに駆けより、まだその場にしゃがみこんでいた少年にユキジは声をかけた。


「大丈夫? 立てる?」


 ユキジの言葉に我に戻った少年は小さくうなずく。


「名前は?」


「……ゲンタ」


「よし、ゲンタ! 少し下がってて」


「えっ……でも……」


 ゲンタはユキジの横顔を見て、少しとまどう。それほど年齢も変わらずしかも女性の剣士だ、ゲンタがとまどうのも無理はない。そんな心配そうなゲンタにユキジは笑顔を見せて言った。


「大丈夫」


 ユキジはゲンタの前に出て、妖怪の集団に向き合う。


「……私が君を守って見せる!」


 ユキジは刀を両手で持ち、刃先を右斜め下に構える。グッと土を踏みしめる感触がユキジの足に伝わる。


 突然のできごとにあっけをとられていた妖怪たちも、先ほどの蛇妖を中心にユキジを取り囲むような形に広がる。左右の妖怪が大上段に刀を構えた。


「よくもアタシの右腕を……お前、いったい何者だ?」


 残った左腕をちぎれた右腕にあてながら蛇妖が言った。……と同時に地面に落ちてあった蛇妖の腕の一部が再び無数の蛇となりユキジに襲い掛かる。


「……妖怪に名のる名前などない!」


 無数の蛇を体さばきで交わしながら言うと、そのままユキジは跳躍し左にいた妖怪に斬りかかる。妖怪が反応するより早く、ユキジの刀が妖怪を切り裂いた。その切り口から白く輝くまばゆい光が放たれユキジの黒い刀に吸い込まれていく。


 瞬時に煙のように妖怪は消滅した。するどいユキジの太刀筋に先ほどまで余裕を見せていた妖怪たちもあせりの色をみせる。驚いたのは離れていていたゲンタも同じだった。


「ええい、相手は女一人だ! ガキ以外は別に殺してかまわん、かかれ! かかれ!」


 蛇妖の号令に合わせて、残りの4匹の妖怪がユキジに襲い掛かる。ユキジの正面にいた一番近くの妖怪の突きにあわせて、残りの妖怪も上段から斬りかかった。


 同時に受けきるのは不可能と思ったユキジは左に転がりながら初めの斬撃を交わす。そこに2撃目が打ち落とされるのをユキジは刀で何とか受けた。夕暮れ時の森に高らかな金属音がなり響く。


「危ない!」


 思わずゲンタは叫んでいた。妖怪とユキジの体格差は大きい。剣術において腕力はそこまで重要視されないが、このようなつばぜり合いになれば話は別だ。妖怪の圧力に体ごと弾き飛ばされるユキジ。


 だが、幸い弾き飛ばされたことにより妖怪の囲みから抜けることができた。追撃を加えようと追ってくる妖怪とは1対1の形になる。純粋な剣術の勝負になるとユキジのほうに分がある。


 追ってきた妖怪が刀を振り下ろそうとするその右胴にユキジの刀が放たれる。先ほどと同じく煙のように白く消滅する妖怪。さらにその横をすり抜けの返す刀で次の妖怪に斬りかかる。


 力をこめたユキジの上段が3匹目の妖怪も斬り伏せる。残る妖怪は蛇妖を含めて3匹。少し右側に寄った正眼に構え直し、じりじりとユキジが間合いをつめる。中央の蛇妖を守るように、2匹の刀を持った妖怪が蛇妖の前に立ちはだかる。


 1匹はユキジと同じく正眼、もう1匹は片手で刀を持ち、だらりと右下に下げている。ユキジの後ろでゲンタは息を呑んで見ていた。


 少しずつ間合いをつめるユキジのプレッシャーに耐え切れず、正眼で構えていた妖怪が動く。その一瞬をユキジの刀が捉えた。先の先をとると剣術の世界ではいう。斬られたという感覚もないまま妖怪は消滅した。……あと2匹!


 蛇妖の前に立ちはだかる最後の一匹の刀がゆらりと揺れた。動き自体はゆったりとしたものだがその動きに無駄がない。その妖怪の放った片手面がユキジを襲う。何とか受け返し、反撃を試みるが妖怪の反応もよい。ユキジの斬撃は剣先がわずかに肩口をかすめた。


 新たに構えなおしユキジが誘いをかける。妖怪は簡単にはのってこない。今度はユキジからしかける形となった。ユキジの面撃ちに妖怪が合わせようとするのをとっさに小手撃ちに変化をする。


 浅い! とユキジは感じたが、うまく手首に入り妖怪の刀が地面に落ちる。その隙を逃さずユキジはもう一歩大きく踏み込む。背中まで突き抜けるほどのするどいユキジの斬撃が閃光のようにはしった。白く輝き霧散する妖怪。蛇妖はその様子をみて後ずさりする。


「さあ、後はお前だけだ!」


 ユキジが刀を蛇妖の方に向かってつきつけた。そのままの状態でじりじりと間合いをつめる。蛇妖は後ずさりを続けたが大木を背にして後がなくなった。


「……くそっ!」


 先ほどユキジに斬られた右腕の先から再び無数の蛇が飛び出す。同時に残った左手で背中に隠していた短刀を抜こうとする。だが、ユキジは冷静にその蛇を切り捨て、蛇妖より早くそののどもとに刀をつきつける。


 その場にへたり込む蛇妖。そしてユキジがその刀を振り上げた瞬間だった。


「姉ちゃん! 危ない!」


「!?」


 ゲンタの叫び声が響く。頭上を見上げると、ユキジのすぐそばまで少女が迫っていた。手に持った何やら光るものがユキジの頭上に振り下ろされる。ユキジは刀を額のあたりに掲げ、なんとかその斬撃を受ける。その衝撃の反動を利用して、娘は空中で一回転し、地面に着地した。


「……さっさと逃げろ」


 娘は両手に持った小太刀をユキジに向けてかまえながら、その場にへたり込んでいた蛇妖に言った。どうやら先ほどユキジが防いだ一撃はこの小太刀によるもののようだ。


 銘はわからないがなかなかの業物らしい。先ほどの衝撃にも傷一つついていなかった。それを少女は逆手で両手に持ち、構えている。


 少しつりあがったきつい目をしているが、見たところ普通の人間の娘だ。髪は短く、その体形からも少年といっても通りそうな容姿である。だが、さっきの身のこなしといい只者ではないなとユキジは感じた。あれだけの動きはちょっとやそっとでできるものではない。


「そこをどいて……くれない?」


 娘からの殺気が戦闘を避けられないことを感じさせたができれば少女相手に戦いたくない。そんなユキジの思いをよそに少女はぼそりとつぶやいた。


「……人間はキライだ」


 その一言と共に周囲の空気が変わった。少女はユキジに向かい素早く間合いをつめると逆手に持った二刀流の刀で攻撃を仕掛ける。疾い。吹きすさむ風のように斬撃を重ねる少女、ユキジもそれを受けるが、一太刀毎に鋭さは増してくる。


……これ以上のせるとまずい!


 少女は二刀流、しかも小太刀なので小回りが利く。剣速での勝負は分が悪いと感じたユキジは受け流しからとっさに変化し、鍔迫り合いに持ち込もうとする。グッと体幹からの力をこめたユキジの受けで、少女の斬撃のリズムが止められた。


 好機と見たユキジはそのまま体を入れる。半ば体当たりのようなユキジの受けに右手に持った少女の小太刀が弾かれ、後方に飛んでいった。バランスを崩された少女も後ろに大きく飛ばされたが背後にあった木を蹴り、うまく体勢を立て直しユキジの頭上に戻ってきた。


 少女が素手になった右腕に力をこめると、小太刀さえもにぎると大きく見えた少女の小さな手が2まわり以上も大きくなる。闇を思わせるような漆黒の指先から鋭いつめが飛び出す。それはまるでおとぎ話でみた鬼のようであった。


 少女はその手をユキジに向かって振りかざす。ユキジもその少女の動きに反応している。白く輝く光が一瞬交錯し、それがはじけた。反動で二人の間合いは大きく開く。


 少女の爪をうけた手がしびれている。それ以上にユキジは心に大きな衝撃を受けた……この娘、妖怪なの? ユキジはその少女の変化にとまどった。それは対する少女も一緒だった。


 ……どうして? ユキジの刀に触れた少女の右手の妖怪化が解けている。ユキジの刀は触れたものの妖力を無効化する。それを知らない少女はユキジに対して警戒を深める。お互いに動きのとれない膠着状態、それを壊したのは新たな妖怪の出現だった。


「カリン、そのへんで十分だろう」


 その声の先にはもう一匹の蛇妖。最初のものと比べるとかなり細身で小柄だが、そのまとっている妖気から強敵であることがわかる。カリンと呼ばれた少女と新たな蛇妖、両方を相手にするのはどう考えても不可能である。


「あ、兄貴!」


 大柄の方が蛇妖が声をかけた。もう一匹の蛇妖はそちらに目もくれずに、ユキジに冷たい視線を送る。


「……邪魔をするな」


 カリンの言葉に対して、蛇妖は長い舌で舌なめずりをしながら言う。


「そうはいかないねぇ、お前にはまだやってもらう仕事がある。」


「……」


 蛇妖は改めてユキジのほうに向き直す。


「そういうわけで珍しい刀を使う女剣士さん、今日のところは引かせてもらうよ」


「……ちっ」


 舌打ちをしてからカリンは木の上に飛び上がり、瞬時に飛び移っていく。二匹の蛇妖もその場を立ち去ろうとする。その背中にユキジの後ろで見ていたゲンタが声をかけた。


「待て! 蛇喰じゃはみ!」


 蛇妖は立ち止まり、振り返ってゲンタをみると再び舌を伸ばしながら言った。


「あの爺さんの孫か……爺さんに言っといてくれよ、近々あいさつにいくってな」


 そう言いながら蛇妖は下卑た笑いを見せる。今にも飛び掛りそうなゲンタをユキジが必死に止める。そんな二人をよそに蛇妖は悠々と去っていく。


「放せ! 放せって!」


「今、戦っても勝ち目は薄い。悔しいけどここは我慢するんだ」


「……だって」


 ゲンタの体から力が抜ける、そして今度は肩を震わしだし泣き始めた。きっと自分の無力さが悔しいのだろう。ユキジはしばらく胸を貸してやった。いつの間にかあたりはすっかり日も落ちて、静かに闇を迎えている。空には十六夜の月が輝き始めていた。

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