雪月花
吉田タツヤ
第一章:蛇喰の村
第一話
太陽の光を浴びて妖しく光る刀身を抜き、大上段に構える。周囲の空気がユキジの刀身に集まってくる。ユキジは呼吸を止めた。
そして一瞬。閃光が斜めに奔ると地面から立てられた巻き藁は真っ二つになる。そして、少し遅れて起こる、周りからの大喝采。
……どうしてこんなことになったんだろう?
人だかりの中心でユキジは思った。ユキジの持つ刀は普通とは違った少し特殊な刀、決して巻き藁を切るようなものではないのに……。
旅の途中の小さな宿場町にできていた人だかりに首を突っ込んだのが間違いだった。珍しい女性の大道芸人の様々な芸に夢中になって、いつの間にか人だかりの最前列までやってきたユキジは、これまた珍しい女剣士ということで、大道芸人に目をつけられたのだろう。有無を言わさず人だかりの中心に連れてこられ、即席の助手にされてしまったのだった。
そんなユキジの後悔をよそに、となりではさっきまでこの人だかりの中心だった女性大道芸人が口上を始める。
「さあさあ、見事な斬撃をみせてくれたこの刀。見ての通り、紛れもない真剣となっております。この刀の刀身をひょいと腕に当てて少しずらせば……」
女はユキジから刀をとり、左の前腕部に着物の上からあてがうと、思いっきりそれを引いた。当然そこからは血が流れ、瞬く間に着物に血がにじむ。周囲からは驚きと悲鳴が上がる。ユキジも予想外の事態に驚き、女の様子を伺う。そんな周囲の心配をよそに女は続ける。
「……このようになります。さあ、でもここで驚くなかれ。ここに取り出したる薬品は何を隠そうあの妙木山の仙人が調合した蝦蟇油。これを右手でちょちょいととって患部にすり込めばどうなるか? 各々よく目を凝らして見てちょうだい!」
いつの間にか悲鳴もなくなり、その女性のペースに皆が巻き込まれていった。観衆が固唾を呑んで見守る中、女が左腕の袖の部分をたくし上げる。
「さあ、どうだ! 先ほどの傷があっという間に消えてなくなった」
女の透き通るような白い腕には確かに薄黄色の油がついている以外はすっかり出血も傷跡もなくなっていた。ユキジは正直、怪しいと感じたが、周囲の反応は素直に驚いていた。そんな反応をみて、すかさず女は続ける。
「この蝦蟇油、本来ならば秘伝中の秘伝、決して人目に触れさせてはならないものですが、妖怪騒ぎが絶えない今の世の中、仙人様も皆のために使えと仰りました。どんな傷でもたちどころに治してしまうこの蝦蟇油が今ならたった150文! さあ、数に限りがあるからね! 早い者勝ちだよ、買った! 買った!」
◆
さっきまでの人だかりも消え、あたりは行き交う人々と数件の宿の呼び込みの声が聞こえる、いつもどおりの姿に戻っていた。先ほどの女大道芸人は片づけを始めながらユキジに話しかけてきた。
「さあて、苦情が来る前に逃げちゃいますか! あっ、姉ちゃん、さっきはありがとな、なかなかの腕前やったで!ほんまに相方としてほしいぐらいやわ」
「えっ、あ、どうも……でも逃げるってさっきの薬やっぱりインチキだったんですか?」
「インチキとは失礼な! さっきはちょっとばかし過大な演出をしただけや」
「……それをインチキって」
すかさずツッコミを入れようとするユキジを制して、女はユキジの肩に手をまわして引っ張っていきながら言った。
「まあまあ、細かいことは気にしなや。それより、姉ちゃんお腹すかへん? さっきのお礼もかねてそこの茶屋で団子でもおごるわ!」
されるがままにユキジはいつの間にやら茶屋のイスに座らされていた。でも、ユキジはその女性大道芸人の持つ雰囲気が嫌いではなく、むしろ好意さえ感じていた。
「おばちゃーん、団子2つとお茶!」
この独特の西方のなまりと籠に詰まった大道芸の道具さえなければすごくきれいな人なのに……ユキジはその横顔を見て思う。艶のある長い髪を上で束ね、整った顔立ちは同姓のユキジからみても魅力的だ。
さっきも思ったことだが、どうしてこの人が大道芸を? という気持ちは拭えない。そんなユキジの視線に気づいて、女は言葉を返す。
「どないしたん? うちの顔に何かついてる?」
「えっ、いや、そうじゃないです」
あわててユキジは否定する。
「何やぁ、変な子。そや、姉ちゃん、まだ名前も聞いてなかったなぁ?」
「あっ、すいません。私はユキジと言います」
「ユキジ……珍しい名前やな。じゃあ、ユキちゃんって呼んでいい? うちはツクネ言うねん。よろしく!」
そういってツクネはユキジの肩をバシバシ叩く。年齢以上におばちゃん的なしぐさだ。初対面でも非常にフレンドリーなツクネに対して、ユキジはツクネが自分より年上っぽいこともあり丁重に返事をする。
「こちらこそよろしくお願いします。ツクネさんはどうして大道芸を?」
「もう、堅苦しいなぁ、ユキちゃんは! ツクネでええて」
ツクネは再びバシバシとユキジを叩きながら続ける。
「まあ、簡単にいうと生きる術やからな。芸は身を助くとはよう言ったもんやで。うちにとっては金を稼ぎながらいろんなところを旅するには
「
「まあ、大道芸人とよう似たもんや」
「でも、どうしてツクネさんみたいなきれいな人が? いくらでも素敵な人と結婚したりできそうなのに」
「それを言うならユキちゃんもやろ?そんな立派な刀を持った旅する女剣士さん何てかなり珍しいで。しかも年頃の女の子の」
確かにそうだ。旅の女剣士も相当珍しいだろう。ユキジはツクネに返す言葉もなかった。
「ほら、普通やったらお見合い話の一つでも出てくる頃やで。まあ、この歳にしてうちが言うことじゃないかもしらんけど。まあユキちゃんの話は後で聞くわ。ええっと、何で旅してるかやったな? 弟探してるんや」
「弟?」
「そ、幼い頃に生き別れた」
「……でもわざわざ香具師じゃなくても」
「うちにとってはこれが一番ええ方法なんや。なんだかんだいうて香具師してたら人も集まるし、特に女大道芸人やったら珍しいから噂も広がりやすいやろ?」
ユキジの言葉にツクネはおばちゃんが運んできた団子を大きな口をあけてほうばりながら答える。
「そ・れ・に、いろんな世界を見てみたいって純粋な好奇心もある。たくさんお金も稼ぎたいし、すごいお宝も見たい! あっ、いい男も……」
「……」
口の中いっぱいに団子をつめて、目をきらきらさせるツクネ。天真爛漫というか天然というか、きっとこの人はこういう人なんだとユキジは勝手に納得する。まあ、だからこそ初対面の人とも距離をおかない魅力的な面もあるのだが……。
「……で、ユキちゃんの話は? どうやらただの剣術修行とかでもなさそうやけど?」
ツクネの問いにユキジはどこまで話していいものか一瞬迷ったが、別にこの人ならと言葉を続けた。
「さっき巻藁を切ったこの刀……これ普通の刀じゃないんです」
ユキジは鞘ごと腰帯から外し、隣に座っているツクネにも見えるよう両手で自分の目の前に掲げた。鞘から少しだけ刀身を出す、吸い込まれそうなくらいの黒が妖しく光る。
「この刀は妖怪を斬るための特別な刀なんです」
「……妖怪を?」
「ええ」
「じゃあ、ユキちゃんは妖怪退治に全国をまわっているってこと?」
ツクネのその質問にユキジは一瞬迷ったが、こう言葉を続けた。
「いえ……もともとは父がそうしていたんです。私の父は妖怪を退治して全国まわっていました。いつも全国を飛び歩いているから家にいることは少なかったけど、困った人がいるとほっておけない。そんな父は私の誇りでした。」
刀をもとの腰帯に納めて、ユキジは数年前に見た最後の父の姿を思い浮かべる。ユキジの剣術も基本の部分はもともとは幼少時代に父ヤシロから仕込まれたものであった。もっとも、父の仕事が忙しくなってからはそういう機会も減ったが……。
「でも、そんな父は3年前に『次が大きなヤマになる』と言って出て行ったきり帰っては来ませんでした。父が妖怪にやられるなんてことは私には信じられません。父のみに何が起きたのか私は知りたい。そして、もし父が妖怪に殺されたのなら必ずいつかこの手で……」
ユキジはの手にグッと力が入る。
「まわりは止めへんかったん?」
「当然、大反対されました。けど……」
「飛び出してきたってわけやな」
「ええ」
そこまで聞くとツクネはよっと立ちあがり、大きく一度伸びをした。ユキジは視線だけツクネのほうに向ける。ツクネはそんなユキジを見て、一度ニッと笑顔を見せると、隣においてあった怪しげなものがたくさん詰まった籠を背負い込む。
「一般的に言うと……」
「……?」
突然のツクネの言葉にユキジは首を傾ける。
「敵討ちなんてやめたほうがええ。何の得にもならん」
出発の準備を始めながらツクネが言う。
「……でも、自分がそうしたいならそうしたらええ。やりたいことやらんと後悔するよりずっとましや。だから、うちはユキちゃんを応援する!まあ、ほんまは相方になってほしいとこやけどな」
「……ツクネさん」
「ほなな! うちはうちのやりたいことをする。ユキちゃんと会えてよかったわ。勘定しとくし、ユキちゃんはゆっくりしときや」
じゃあと手を振り、ツクネは席を後にしようとする。その背中にユキジが問いを付け加える。
「ツクネさんはどこへ?」
「そやなぁ、とりあえずはこの先の峠を越えたところに村があるらしいから、そこにいってみようと思ってるねん」
そう言ったツクネは店員と何やら話すと振り返らずに茶屋を出た。窓から見えたツクネの背中はすぐ人ごみの中に紛れ、もう目でも追えなくなった。
また、もとの一人に戻ったユキジは次の目的地をどこにするか考えていた。まだ少し日が暮れるまでにはあるので、ここで宿をとるつもりはなかった。
妖怪の噂のあるところはどこでも駆けつけたが、なかなか敵の妖怪には巡りあえない。旅先で父ヤシロの話を聞くことも何度かあったが、その土地の妖怪を退治した後の消息を知る者は一人もいなかった。
「お姉さん、この皿を下げてもいい?」
ぼんやりと考え事をしていたユキジに茶屋の店員が声をかける。50をこえた少し小太りなおばさんだ。こくりとうなずいたユキジを見て、店員はさっきまで団子ののっていた皿に手を伸ばす。目的を果たし、皿を持って引き返そうとするところでユキジは店員に声をかけた。
「おばさん、ここから一番近い町ってどこですか?」
ユキジの問いかけに店員は足を止めて、振り返り答える。
「……うーん、そうだねぇ。ここからはいくつも峠が続くからねぇ。大きな町になると本道沿いに1昼夜はかかるよ。今からじゃ、もう遅いし、お姉さん一人なら今日はこの町で泊まる方がいいよ。何ならいい宿を紹介しようか?」
「あっ、いえ……他には近くに町はありませんか?」
他の町についても聞いてみる。そういえばツクネが峠を越えたところに村があると言っていた。
「……そうだねぇ、本道からはかなり外れて脇道にそれるけど、峠を越えたところに村があることはあるね……ただ、そこに行くのはやめた方がいいよ」
店員のおばさんは思い出したように言うと、急に小声になり、持っていたお盆でユキジに耳打ちするように語った。
「あの村の周りには出るんだよ! 妖怪!」
「妖怪!?」
おばさんの意外な言葉にユキジは驚いた。
「そう、妖怪。古くから続く神社があるとかで、昔はこのあたりもあの村と交流があったらしいけどねぇ。あの村は妖怪に目をつけられてるってことで今では孤立無援状態さ、誰も近寄りたがらない。悪いことはいわない、お姉さんもあそこに近寄ろうなんて絶対思わないほうがいいよ」
「なんで妖怪に目をつけられたんですか?」
「さあ? そこまで詳しくは私も知らないよ。何かすごいお宝でもあったのかねぇ。」
ユキジは考える。もしかしたらツクネもそのうわさを聞いて向かったのかもしれない。とにかく妖怪のうわさがある以上は行ってみる勝ちがありそうだ。
ユキジは太ももの辺りをバシッと叩くと、席から立ち上がり。「おばさん、ありがとう」と声をかけると茶屋を出て行こうとした。そんなユキジを見て、店員は慌てて呼び止める。
「ちょっと、お姉さん! お勘定まだだよ!」
「えっ……?」
「さっきの大きな籠を持った大道芸人さんが、お姉さんが全部払ってくれるって言ってたからね。しめて30文! ありがとうございまーす!」
「……」
やられた。何が勘定しておくだ……全くあの人は。あきれながら、しぶしぶ自分の財布から30文を支払ったユキジに意外と怒りはなかった。きっとツクネはああやって飄々と生きていくんだろうと一人で勝手に納得した。……ただ、次に会ったら絶対に請求してやろうとユキジは心の中で思った。
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