第128話 帰路へ出立
治療を終えた女性天使ベナド・ハシェを部屋に残し、私達は泊めてもらう部屋へ案内してもらった。バイロンも泊まるので、インロンが緊張している。
「そうだインロン、時間があったら東海龍王の宮へ顔を出して差し上げるよう。ずいぶん退屈しているようで、長く拘束されたよ」
「はい、必ずやご挨拶に伺います。海底は客人も少ないでしょうから、確かに退屈なさっていらっしゃるでしょう」
例の海底の宮殿だよね、楽しそうだなあ。
でも行きたいって口にでもしたら、バイロンが本当に連れて行ってくれそうだから、言わないようにしなきゃ。帰りたくても自分では帰れない場所だからね、不安だよ。
「それにしても、やはり激しい戦いだったのですね……」
インロンの視線はマルちゃんに向けられている。マルちゃんの鎧は砕けている個所もあり、ボロボロなのだ。しかしマルちゃんが戦っていたのは、イブリースではなく敵意の天使マステマだった。
「マルショシアス君は別件だから、全く全然関係ないよ。本当に全く全然、みじんたりとも気にする必要はない」
またバイロンが、マルちゃんに意地悪な発言を!
マルちゃんが言い返せるわけもなく、申し訳無さそうに肩を
「そうだ先生、台所をお借りしてもいいですか?」
「おお、それは構わんが……、野菜くらいしかないぞ」
「バイロンにご飯を奢る約束をしているので、ここで作らせてください」
名付けて、手作りご飯でご機嫌取り作戦。きっとこれなら喜ぶはず。
「ソフィアが私の為に、料理を振る舞ってくれるのかい……!?」
「うんうん。塾では当番で用意してたし、料理もできるよ」
「嬉しいな、生きてて良かった……」
大げさすぎて引くから。本当に泣きそうになるのは、何故なのじゃ。バイロンは長生きだろうから、もっといいことがたくさんあっただろうに。
「当番の子に手伝わせよう、人数が多いからのう」
「いえいえ、私とマルちゃんでやるから大丈夫です」
「私も手伝おう。慣れない調理場は、手間取るでしょう」
インロンが申し出て、調理場へ案内してくれる。どんなものがどこにあるか分からないから、手伝ってもらえると助かるな。
「ありがとうございます! それじゃバイロン、待っててね」
「ああ……ずっと待つよ」
そんなに手際が悪くないよっ!
バイロンは泊まる部屋で待っていて、先生は準備ができるまで生徒達の指導をしているそうだ。
調理場は私達の塾よりも広い。それはそうか、こっちの方が人数も多いしね。
「我々龍神族は、薄味を好む傾向にある。バイロン様の好みに合わせて作るように」
「はい。ええと今日のメニュー。野菜のスープとキノコのソテー、山菜の煮物、炊き込みご飯」
壁にメニューの張り紙があった。使う材料も決まっている。私の塾では、メニューは当番が自由に決めてたな。
「これを作ればいいわけですね」
「そうだ。食材を用意する、まずは下拵えから」
「はーい」
インロンの生徒か手下になった気分だよ。従っていれば間違いないか、うっかり明日の分の食材を使っちゃっても申し訳ないし。
「では井戸から水を汲んで来なさい」
「俺が行ってくる」
力仕事はマルちゃんにお任せだね。
私は料理道具を出して、野菜と山菜の準備。戻って来てから手伝ってくれたマルちゃんだけど、野菜を切るのも初めてだった。人間の貴族でも使用人を雇える人はほとんど料理をしないみたいだから、そんなものなのかな。
ちなみにインロンは、ほぼ監督だった。ですよね……。
少し遅くなってしまった。
もう皆が席に着いて待っていて、完成したと伝えると盛り付けの手伝いをしてくれた。運んでくれるから、どんどんお皿に盛れるよ!
「いっただきます!」
全員が声を合わせて挨拶をして、食事を開始。バイロンは予想を裏切らず、それはそれは嬉しそうに、ゆっくり噛みしめて食べていた。
「ソフィアの料理はとても美味しい……。天才だ。私の子孫は天才だ……」
感動しているバイロンとは裏腹に、子供の一人がえーっと口を尖らせた。
「姉ちゃんの煮物、味薄い」
「ごめんね、ちょっと物足りなかった?」
天才だもツッコんでいいからね。むしろ誰か止めてほしい、無理かも知りれないけど……。インロンは無表情で食事を口に運んでいる。
「そんなことないですよ、美味しいです」
他の子に気を遣われたよ。よく考えたら、バイロンは私が作った料理なら、例え失敗でも喜んだ気がする。別に味を好みに合わせる必要なんてなかった、子供が食べやすいようにする方が良かったかも。
一番良くできたのは、炊き込みご飯だったな。おかわりしてくれる子もいて、嬉しかった。
そんなこんなで楽しい夕食が終わった。
生徒達は食べ終わった順に、食器を調理場へ持っていく。自分で洗うので、
「そうでした、シュルヴェステル先生。頂いた護符のお陰で助かったので、ぜひお礼をしたいんです。私にできることはありませんか?」
「気にせんでいい。隠者の会の弟子なら、私の弟子も同じじゃ」
さすが心が広い! 余計にお礼がしたくなるよ。
「遠慮することはない、大事なソフィアの恩人だからね。私に願いを言いなさい」
バイロンも何かしたいんだね。先生に促す。
「シュルヴェステル、せっかくの機会だ。希望が浮かばないなら、質問でもないの? 思っていることを口にすればいい」
悩んでいる先生を、インロンが
先生はしばらくうーんと唸っていた。そして二度ほど頷いた。
「……そうじゃ。宜しければ、バイロン様の龍体を拝見させて頂きたい。子供達にもいい勉強になるじゃろうて」
「欲のない人間だ。さすがインロンの契約者だね」
「きゃ、恐縮です……!」
褒められたインロンが、頬をほんのりと赤く染めた。急に女性らしくされると、可愛く感じちゃうね。子供達が食器を片付けに調理場に行っちゃった後で良かったな、からかわれちゃいそう。
明日の去り際にバイロンが龍体に変身して、披露してくれることになった。インロンまで喜んでいるよ。
「龍⁉ 龍が見られんの?」
私達の様子を覗いた生徒の一人が、嬉しそうに大声で皆に教えている。食器を洗い終わった子達が、再び集まってきた。
「龍かあ、楽しみだなあ。どんな龍かしら」
「でっけーといいな!」
「龍神族は、滅多にお目にかかれない種族じゃぞ。失礼のないように、それとこの塾以外では口外しないように。約束を守れない者は、破門じゃからな!」
はしゃいでいる皆に、先生が釘を刺す。国だけじゃなく、強いドラゴンを探す人に繋がりがあると思われても面倒なのだ。ましてや滅多にお目にかかれない種族。
「はーい。で、何色だと思う?」
「青かな」
「黒もかっこいいよ」
「私は緑だと思う!」
残念、どれもハズレだよ。ずいぶん盛り上がっているけど先生の注意は聞こえているのかな、心配だなあ。
バイロンは自分の色当てクイズを、目を細めて眺めていた。
次の日、バイロンは私達より先に出発すると表へ出た。
「ソフィア、またいつでも気軽に呼んでいいからね」
「うん、ありがとうバイロン。またね」
「マルショシアス君、ソフィアをくれぐれも、く・れ・ぐ・れ・も、宜しく」
「お任せください」
バイロンの両手がマルちゃんの肩に乘せられた。鎧の肩の部分のヒビ、大きくなってないかな。
「インロンも息災で」
「はい」
「では、さらば」
背中を向けて浮かび上がり、空で真っ白い龍に変化するバイロン。大きく長い龍体が、雄大に伸びる。太陽を浴びて、神々しいプラチナに輝いていた。
「白だー! かっけえ!!!」
「全員ハズレだった! 白い龍なんているんだ……」
「キレイ、真珠みたいな色」
生徒達は興奮しながら見上げている。先生も眩しそうに眺めていた。一筋の雲のように遠くへ線を描くバイロンに、皆が手を振る。私も大きく右手を振った。
あっという間に離れていくバイロンから、私達は見えているかな。
さて、私達も出発。塾へ帰るよ。天使ベナド・ハシェは、昨夜のうちにここを発っていた。私がこれから戻ると、先生に伝えてくれているだろう。
バイロンが通った空には足跡のように、細い白い雲がまっすぐ伸びていた。
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