第127話 天使の怪我、治します

「……とはいえ、目的地はすぐ近くなんだよね」

 狼マルちゃんに乗って移動。山を歩かなくていいのは楽だね。バイロンは人間の姿で、すぐ横を飛んでいる。

「歩きだと時間が掛かるがな」

「それにしても空の旅は気持ちいいよね」

 眼下には歩いてきた道が広がる。そして後ろには戦闘で破壊された森が。私は振り返らずに、前だけを眺めた。

「私に乗るかい? 私の龍体の方が速いよ」

「やだ、目立つし乗り心地が悪そうだもん」

「……そうか、鞍を付けねばならないね……」

 龍神族に鞍を付けるとか、誰もやらないよ!!

 バイロンはマルちゃんと張り合うのをやめて欲しい。


 オルランドの先生である、シュルヴェステル先生の塾が見える。

 断崖の手前で、インロンが待っていた。バイロンが来るのを感知したのかな、やっぱり早く気付くね。

「インロン、出迎えありがとう」

「いえ、バイロン様。再びのご訪問、心より感謝申し仕上げます」

 インロンは緊張したような固い笑顔でお辞儀をした。

「イブリースが送還されました。そのご報告と、先生がくださった護符のお陰で助かりましたので、お礼をしに来ました」

「大きな魔力が動いた後、天の者が一人消えたのは分かりました。やはり成功したのですね」

「はい、ウリエル様にも助けて頂きました」

「あの方もお早い到着でしたね」

 私と会話しつつ、インロンの視線はほとんどバイロンに向けられている。バイロンのファンなのかな。


 生徒達は、今日は屋内で自主学習中だ。先生は周囲の状況の把握に集中していた。そして今は、天使の看病をしているとか。

「天使って、何かあったんですか?」

「イブリースとやり合ったようなんだ。翼をもがれる重傷で」

「天へ帰れないじゃないですか! 翼って、治せるんですか……?」

 空を飛ぶ為の一対の翼がないと、天では生活できないのだ。飛ぶのは重要な移動手段だよ。インロンは冷静に答えてくれた。

「天へ戻らなければ、無理でしょう。容態が落ち着いたら送還します。契約者の許可も取ってある」

「そんなにひどい怪我なのかい?」

 帰らないといけない程なんだ。バイロンも気になったみたい。


「はい。背中に大きな傷があります」

「私が診てみよう」

「そんな恐れ多い……っ」

「え、バイロン治療できるの?」

 インロンは知ってるはずだよね。恐れ多いって、勝手に断ってるの?

「天の者の治療は、ほとんどしたことがないよ。人間よりはやりやすいだろう」

「人間の方が難しいんだ」

「体の構成物質が違うから、仕方がないね」

 へえへえ、なるほど。見た目は一緒でも、色々と違うんだねえ。

「バイロン先生だね、楽しみだなあ」

「……!!! 必ず可愛いソフィアの期待に応えよう!」

 張り切るバイロン。インロンの憧れが崩れたのではないだろうか、サッと顔を逸らしている。物静かで思慮深いイメージなんだろうな、最初の私が感じていたように。


 天使は奥の部屋で寝ていた。森に近く静かで、客人が泊まる時に使う部屋だ。

 ベッドの脇に椅子を置き、シュルヴェステル先生が深刻な表情で座っていた。ベッドや床に、血の跡が残っている。テーブルに置かれた水を張った桶は、赤く染まっていた。タオルも赤くて、元の色が判別できない。

 うつ伏せに横になる天使の片方の翼が、根元でなくなっている。避けた傷が背中まで広がり、服の間から痛々しい包帯が覗いていた。羽が邪魔で包帯が巻きにくそうだなあ。

「客人です」

「……これはバイロン様、ようこそおいでくださいました」

 先生が立ち上がって、お辞儀をした。マルちゃんは部屋の外から覗いただけで、入らずに廊下で待っている。


「うう……っ」

「そのままで」

 壁側に顔を向けて寝ている天使がこちらを向こうとするのを、バイロンがさえぎる。緩いウェーブの茶色い髪の天使で、声からしても女性だよ。ていうか、聞き覚えのある声みたいな。

「……うん、このくらいなら問題ないよ」

 思い出そうとしていたら、バイロンがさらりと結論を出す。

「すごいバイロン、こんな大怪我を治せるの? 翼も!?」

「もちろん。私は戦闘より、こちらの方が得意なんだ」

「あんなに強かったのに? バイロンってかっこいいね!」

「そうかな? そうかな?」

 とても嬉しそうに破顔する。私もバイロンのことが解ってきたよ。頼りにして褒めたら、何でもしてくれる勢いで喜ぶんだね。任せて!

 ただしその分、インロンが残念な眼差しになってしまうのは仕方ない。


「治療をして頂けますので……?」

 さすがにこれは無理だと諦めていたんだろう、先生はゆっくりと尋ねた。静かに頷くバイロン。

「その椅子を退かしてもらおうかな、皆は少し離れて」

「はーい」

 私とインロンは、壁を背に立った。先生は椅子を持ってインロンの隣に並ぶ。

 ゆっくりと呼吸をして、宣言をするバイロン。力を使うんだね。契約はイブリースが送還された時点で自動的に終了して、そのままだ。

 バイロンが背中の傷に手をかざす。


「東雲の来訪を告げる晨風しんぷうよ、瑞雲ずいうんをもたらしたまえ。虹霓こうげい合わさりて七色に伸び、柔らかき癒しとなれ。ラジュニッスマン」


 手のひらが金色に輝き、柔らかい光が天使を包み込んだ。寝ている天使の髪が、フワフワと宙を漂っている。柔らかい渦のように風が舞って、しっかりと巻かれた赤い血のにじむ包帯も揺れている。

 包帯に隠れていて、傷が治っているのか分からないよ。首の位置を変えて覗き込んだりしていたら、不意に二人の間が輝いた。

 金の光が薄れて白くなり、まるで付け替えただけのように一瞬で翼が現れた。

「真っ白い翼! すごい、本当に翼が生えたよ!」

 思わず興奮して指をさし、隣に話し掛ける。

「……そうね。バイロン様よ、当然です」

 マルちゃんは部屋の外で、隣にいるのはインロンだった! 反応が冷たくて寂しい。感動的な場面なのに、感動を分け合えない孤独。


「おお……、こんな奇跡を目の当たりにできるとは」

 シュルヴェステル先生も驚いている。しかし興奮して、私の言葉は耳に入っていなかったようだ。先生と話したかった……。

「終わったよ。気分はどうかな」

「あ、ありがとうございます……! 痛みすらありません」

 服を直しながら起き上がって、上半身ごとこちらを向いた。やっぱり、エステファニア先生と契約している天使だ!

「それは良かった」

「天へ戻っても、翼の再生はすぐには叶わなかったでしょう。このご恩は忘れません……」

 涙ぐむベナド・ハシェ。こんな簡単にやっちゃうバイロンは、やっぱりすごいね!

「良かったですね。ところで、ベナドさんはどうしてここへ? 先生から頼まれたんですか?」

「あら、貴女は……エステファニアの弟子の、ソフィア? 無事だったの!?」

「はい! バイロンや、ウリエル様に助けて頂きました。もう安全ですよ」

 良かったと、涙目で頷いている。怖い天使ばかり見た気がするけど、彼女は慈悲深い天使なんだ。


「ソフィアの知り合いかい?」

「うん、先生と契約している天使だよ」

「それはそれは、ソフィアがお世話になっています」

 バイロンが保護者っぽい。間違ってはいない気もする。彼女は聞いてはいけないと思ったのか、特に質問はしなかった。

「こちらこそ、お世話になりました。私はエステファニアに頼まれて、ソフィア、貴女を探していたの。塾の他の子を帰らせて、自分が保護しようとしていたわ」

「ええ、エステファニア先生が契約している人達だと、イブリースとは戦えないと思うよ!? ……とと、悪いけど……本当にすごかったんです」

 ベナドもそんなに戦えるタイプじゃないよ。付近の村に頼まれて豊作祈願をしていたり、とても平和な天使だよ。先生を守る聖獣も、イブリースには歯が立たなかっただろうな。


「エステファニアは責任感が強いからのう……、それで貴女は、先にイブリースと鉢合わせてしまったのじゃな」

「面目ない、その通りです。邪魔をされると思ったようで、待ち伏せされていました……」

 肩を落としている。責めてない、責めてないよ。真面目なんだから。

「あちらは第一位の天使、存在を隠すことなど不可能だ。ソフィアを守ろうとしてくれたことに感謝する」

 バイロンの優しい表情。他の人からしたらステキなんだろう。私はちょっと、本音が透け過ぎてどうかと思う。私を守ろうとしてくれたことが大事で、あとはどうでもいいんだよね……。


 リアナも無事に保護されて、他の天使が先生の塾に送ってくれたことを伝えた。彼女も少し休んだら、いったん塾へ戻る。

 話が終わった頃、マルちゃんが部屋に入ってきた。

「今日はどうするんだ? 泊まらせてもらうのか、出立するのか」

「ええとー、もう夕方か。どっちにしても宿を探さないとだね」

「それなら、またここに泊まればいい。色々あったんだから、ゆっくりと休みなさい」

 シュルヴェステル先生が誘ってくれる。これはお受けしよう。

「またお世話になりますー!」

「私は少し休んだら帰ります、エステファニアが心配していますから」

 すぐに飛ぶのは辛そうだもんね。このまま泊まって、私と帰ればいいのにな。


「ところでマルちゃんは、なんで部屋の外で待ってたの?」

「俺が女性の治療を覗くわけないだろうがっ!」

 あ、そうか。すぐに女性の天使って気付いたのね。

 バイロンに怒られないよう、小さい声で毒づくのが楽しかった。

 すっかり日常に戻った気がする……!



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ベナド・ハシェ…アラブの女性の天使。詳しい記述なし…


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