第122話 天使が来た!

 美味しいお菓子、香りのいい紅茶。ここのところちょっと暗い展開だったから、なごやかなお茶会っていいよね。

 ケットシーも可愛い。クッキーを喜んで食べている。この子が好きだから、女性が焼いて持ち歩いているんだって。

「この辺はわりと長閑のどかなの。何かあれば兵隊さん達が、すぐに動いてくれるのよ」

 強盗被害も見回りを増やしたりして、調査してくれてたね。

「私は山を下って、麓の大きな町を通ってきました。この先にも町はありますか?」

「ええ、この街道のずっと先を左に曲がれば、首都へ続いているわ。途中に宿場町があるし、人通りが多いのよ。警備兵も定期的に巡回するから、安全ね」

 そっちはダメだね。人の少ない方へ行かないと。

 確かウリエルは、首都の近くの町にいるらしい。今は天使が暴れた事件で国境へ向かってるのかな。そこで勝手にイブリースと戦ってくれないかなあ……。


「ふにゃ~、ボクらは隣の国へ行くんだよ。ケットシーの王国があってね、友達が来てるんだ。ケットシーの王国は、他にもあるよ」

 召喚されて、勝手に王国を作って繁栄しているケットシー。猫は強いな。また路地裏に、魔法で人が入れないようにしてあるのかな。

「一つだけ行ったことがあるよ。女伯爵さんが治めている国だった」

「そこそこー、その国。ヘルハウンドっていう怖い犬の魔物に狙われて困っていたら、真っ黒いお犬様が助けてくれたらしいよ」

 マルちゃんだ……! 犬と勘違いされるのを嫌うから、知らんぷりしている。

「犬の英雄ねえ、カッコいいわね」

「そ、そうですね……」

 教えない方がいいよね。女性とケットシーはカッコイイ犬を想像しているみたいだし。

 あ、でも国境付近が危険なんだっけ!


「あの、国境で戦いがあったみたいです。町に着いたら、情報を仕入れた方がいいですよ」

「まあそうなの? ありがとう、もっと先まで行く予定だったけど、次の町でシャレーとギルドに寄ってみるわ」

「ふにゃ……シャレーきらい」

 どうやらこのケットシーは、どこかのシャレーで意地悪されたみたいね。シャレーと聞いて耳がへちょんとしちゃったよ。

「この国は悪魔は少ないし、怖い子はいないわ」

「うん、悪魔とは他の国より会わないですね。それに今は騒然としていて、それどころじゃなかったよ」

 戦える人達じゃないようだし、あまり詳しい話はしないようにした。必要以上に不安がらせても仕方ないよね。

「教えてくれてありがとう。これを貰ってくれる?」

 作り過ぎたからと、紙袋に入れてあるマフィンを渡してくれる。すぐ食べるか後にするか悩んでいたら、ぽつりと頬に雫が当たった。


「雨だ」

「黒い雲が出てるー。本降りになるかもにゃ」

 薄暗くなった気がしていたのは、雨が降るからだったのね。雲が多くなってるよ、ここにいたら濡れちゃう。

「あらあら、早く移動しないと。そちらは戻ることになってしまいますが、馬車に乗りますか?」

「いや結構、菓子を馳走になった」

 マルちゃんがサラッと断った。女性達が出発の準備をしている。

「奥様、行きましょう。西の空が光りました。雷です、強く降るかも知れません」

「ご馳走様でしたー!」

 参ったな、夕立だ。雨から逃げるように、馬車が進むのと反対側へ急いで走った。

 マルちゃんには町へ戻る気はないみたいだし、雨宿りできる場所を探さなきゃ。ひとまず近くの木の陰に身を寄せた。雷だと、木の側も危ないんだっけ?

 雨はポツポツと頬を打ち、地面が濃い色に染まっていく。


 ゴロゴロと遠雷が響き渡り、黒い雲の間を閃光が縫うように点滅した。雨脚は強くなり、雲はいっそう濃い灰色になっている。本降りになりそうな雲行きだ。

「屋根がないと濡れちゃうね」

「……最悪だな。お前は動くな」

「え?」

 空を睨みつけているマルちゃん。まさかイブリース?

 イブリースが来ちゃったの!?

 ピカッと空が黄金色に輝き、遠くに雷が落ちた。バリバリ、ドドンと大きな音が振動をもたらして駆け抜ける。

「うわあ、落ちた!」

「黙って見つからないようにしておけ」

 マルちゃんが剣を抜き、木から離れた。強くなる雨に打たれて、黒い鎧が濡れている。時折光る空に輪郭が黄色く反射していた。

 あんなに明るかった景色は薄暗くなり、まるで夕闇が迫っているようだ。


 雷光を背に、大きな翼の天使が西の空から姿を現す。膝当てや胸当てをしていて、最低限に身を守るものを付けている感じだ。

「……マルショシアスか」

「お前まで来るとは」

 お前までってことは、違う天使? リアナも一緒じゃないし。

 この大変な時に、面倒だなあ。後にしてくれないかな。天使はマルちゃんの前に舞い降りた。態度や表情から、明らかに敵意を感じる。

「相変わらず貧乏くじだな」

「イブリースの手下にでもなったか、敵意の天使マステマ」

「別にい? 天使だったのは大昔だぜ。俺は楽しい話には乗るクチだ。お前と違って……」


 マステマはニヤニヤと口元を歪ませながら、腰にいた剣を抜いた。

「戦闘は俺の本意、悪に染まった人間なんて存在をぶっ潰すのもなっ!」 

 こっちも人間嫌いの天使だー!

 マステマが剣で斬り掛かり、マルちゃんがそれを受ける。雨の中で戦闘に突入してしまった。

 マルちゃんを狙って地面から氷の柱がビキビキと伸び、マルちゃんは間一髪で躱している。避けられるのを見越して追撃してくるマステマに、剣にまとわせた火をファイヤーボールのようにしてぶつけた。


 実力伯仲で、どちらも強いし私が手を出せる状況じゃないよ。大人しく木の陰に隠れていよう。

 雷は近くなり、大きな音が地面まで突き抜ける。雷鳴に紛れて剣戟けんげきが続いていた。

「くっ」

 マルちゃんの鎧に剣が当たり、後ろに下がった。すぐさま追い掛けてくるマステマが剣を振り上げた瞬間、マルちゃんが前に出て剣を横に振る。

 今度はマステマが素早く後ろに跳んだ。

「立て直しの早い野郎だ」

「お前の攻撃が浅い」

 カンカンと、また剣がぶつかり合う。

 マステマが剣でマルちゃんの顏を突き、頬を掠めて赤い筋ができた。マルちゃんはとっさに身を低くして剣を振るけど、相手はすぐに反応して剣で防いでいる。


 怖い怖い怖い!!! バイローン、早く来てよ~!

 私は宝石を握って魔力を籠めた。届いてる? 届いてるよね!?

「……何かの信号を発信しているな」

 降り注ぐような男性の低い声に、反射的に空をあおいだ。

 不意に黒い雲の中心が晴れて、まばゆい光が射した。この辺り一帯だけ雨が止み、周囲にはまだ激しく降り注いでいる。飛沫しぶきで白く煙る地面。

 この空間だけ切り離されているかのように天候が全く変わり、濡れた私が異質な存在みたい。

 差し込む光の中に、大きな翼をした天使がいた。短い茶色の髪、わりとガッチリした体型で、レザーアーマーを身に付けている。

 妙な威圧感がある、これがイブリース!??

 マルちゃんは戦闘中で手が離せない。ガンッと、強くぶつかり合うような音がしていた。


「私も慈悲深い天使だ。最後に告解くらいはさせてやろう」

 告解って確か、罪を告白するんでは。

「悪いことなんてしてません!」

「愚かな……、存在自体が悪なのだ」

 え、なんで今私は呆れられているの?

 相手はわざとらしく首を横に振って、まるで分っていない、というような態度をした。翼を緩めて音もなく地表に立ち、ゆっくりと近付いてくる。

「貴方がイブリースですか?」

「そうだ」

「……リアナはどうしたんですか? 契約したんですよね?」

 リアナの名前を耳にして、イブリースは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「お前の不幸を願った女が気に掛かるか?」

「心配です。ちょっと苦手な子だけど、同じ塾の生徒だし。ここまでするつもりはなかったハズです、きっと後悔しているもの!」

 精一杯虚勢を張ってみても、足が震えそう。イブリースは私をつまらなそうに見下ろしていた。

「本当の願いがどんなものであろうと、結果は同じだ。お前はここで死ぬ」

 イブリースが手を前にかざす。防御魔法を、いや今からじゃ間に合わない。

 こういう時こそ禁令を使わなきゃ。ただ、それでどこまで防げるの……!? マルちゃんが戦っていて、バイロンはまだ着かない。孤立無援だよ!!!


 イブリースの手に膨大な魔力が集まる。

 防ぎ切れないかも知れない。それを気にしていたら魔法が弱くなる、考えちゃいけない。口を開いて、禁令を唱えようとした時だった。

 空から落ちたと思えるほどの勢いで、私の前に翼の生えた背中が降り立った。肩までの金の髪が揺れて踊る。武装した天使が目の前にいる。

「イブリース、貴様の所業はしゅの御心に適わない」

「ウリエル……! 邪魔をすればお前でも許さん!!!」


 あああ、ウリエルだああぁ!

 てっきり国境の暴れた現場の調査に向かっちゃっただろうと、諦めていた。助かった……!

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