第110話 仲裁者

 バアルとティアマトが物騒な雰囲気になり、豪雨の前触れのような冷たい風が吹きつける。

 ……私がどうこうできる事態じゃないよ、逃げてもいいかな。たとえ逃げても強風で思うように動けなくて、結局被害をこうむりそう。

 ピシャン、バリバリ!

 黒い雲から閃光が走り、細い雷がひび割れのような筋を一瞬だけ描いた。

「少し離れよう」

「そうねえ。ふふ、怖い怖い」

 マルちゃんに守られながら、対立する二人と距離を空ける。ミクズもこちらについて来た。軽快な足取りと軽い口調で、彼女は特に恐れている感じもしない。九尾って狐の中でも最高位なんだよね。戦闘はどうなんだろう。


 烈風が吠え狂い、ティアマトとバアルの服や髪がはためいている。ティアマトがスッと手を前に出すと、強風を束にしたようなヒョウ混じりの風がバアルを襲う。バアルは身じろぎもせず、風の中に立っていた。

「クッ……、ハーッハッハッハ! 戦う相手は強くなくちゃならん! そうだろう、ティアマト!」

「お前と一緒にしないで頂戴」

 今度はバアルの雷がティアマトを目掛けて飛んでいく。彼女は虫でも払うように、手で払って全てはねのけた。

 雷ってそういう防御の仕方があるんだっけ!?

 ヒョウは大きさを増している。地面に氷の塊が落ちて、無数のくぼみを作っていた。これに当たるだけでも大怪我しそう……!


「まあまあまあ、荒れていらっしゃるわ。地獄の方の契約者、私も防ぐから動かない方がいいわよ」

 振り向いて悪戯っぽく笑うミクズ。ヒョウがカンカンと弾かれて落ちる。まだマルちゃんが守ってくれているけど、二人が本気を出したら危ないね……! よろしくお願いします……!

 怖くて言葉が上手く出ないよ。これ、どうしたらいい? どうなるの??

 バンッと大きな音がした時には、向かい合っていたはずのバアルがティアマトの目の前にいた。殴りかかった手をティアマトが片手で防いでいる。

 動きも目に映らない、終わってからやっと気付く程度だよ。衝撃もスゴイ。もしこの暴風の範囲内に誰かいて、防げない人なら死者まで出るのでは。

「マルちゃん、止めなきゃ。どうやったら止められるの!?」

「いやあねえ、たかが人間の貴女になんて無理に決まっているじゃない。……思い上がりもはなはだしい」

 明るい表情が一変し、ギロリとミクズの瞳が私を睨みつけた。

 怖い、やっぱりこの子も危険な子だ……!


「……いや、やれるかも知れん。ソフィア、召喚の用意をしろ。幻影でいい、実態を喚ぶのは難しいだろう」

「幻影ね! 待ってて、道具、道具……」

 リュックを開いて召喚術用の道具を探す。慌てると余計に、目当てのものだけ見つからない。

魔法円マジックサークルは?」

「なくていいだろ。俺の後ろにいろ」

「へーえ、面白そうじゃない。私も守ってあげるから、安心するといいわよ。王を止められるのか、興味があるわ」

 ミクズが私達を包む、狭い範囲の防御壁を展開した。途端に周囲の風がいで穏やかになる。さっきまでミクズは、ヒョウや雷だけを防いでいた。風はマルちゃんが頑張って相殺そうさいしていたけど、防ぎ切れなかったの。

 できるなら最初からやってくれればいいのに~。


 異界と繋ぐマジックミラー・サークルを用意する。幻影や声などで連絡を取るもので、実体を喚ぶより危険が少ない。 

「で、では気持ちを落ち着けて。幻影の召喚、始めます!」

「相手はアナト様という。俺が誘導するから従えよ。地獄の下層だ、王の居城が幾つもあるからな。無暗に繋いでいい場所じゃない」

 始めるって時に脅かさないでよ! また震えちゃうよ……。

 ゆっくりと息を吐いて、心を静めた。気負ったり緊張し過ぎたりすると、失敗する確率が高くなるのだ。


「神秘なる秘跡により、虚空より現れ出でよ。閉ざされし扉よ開け、雲の先に広がりし世界よ。我にその声を聞かせたまえ! お答えください、偉大なるアナト様!」


 しーん。

 待ってみても反応がない。もう一度、さらに魔力を籠めて唱える。正しく繋がったか確かめたくて、何度か呼び掛ける。姿どころか声も聞こえない。

「どうしよう、またやってみる?」

「待て。鏡に変化がある」

 幻影は映し出されないものの、鏡にはチカチカと小さな光が点滅していた。

「アナト様、突然失礼致します。侯爵マルショシアスと申します」

『……ああ、悪魔の同胞ね』

 女性の声だ。低くて、素っ気ない感じ。でも繋がったよ!

「大変申し訳ないのですが、バアル閣下の……」

『旦那様! 旦那様がそちらに!?』

 バアルの名前が出るや否や、ものすごい勢いで聞き返してくる。

 この女性はバアルの妻なんだ! しかもかなり、バアルが大好き?


 不意にマジックミラー・サークルに人物が映し出された。グレーの髪は肩までくらいで、前に垂らした部分だけが長い。

 鏡の上には腰まで映し出され、銀の装飾品が揺れて輝いた。濃いアイシャドウを塗った女性に、マルちゃんが礼をする。

「バアル様がティアマト様と戦闘になりそうでして」

『……いけない人ね。妻を置いて、他所よそで楽しくしているなんて……』

 赤いルージュの口元に、上品な笑みをたたえている。しかし目は笑っていない。

「止めて頂けますでしょうか?」

 マルちゃんが慎重に、仲裁をお願いした。アナトは答えず、ただ笑みを深くした。

 そしてケンカを続ける二人に視線を移す。

 暴風が壁のように重なり、地面には幾つもの大きな穴ができていた。いつの間に。ティアマトが咆哮を上げると、私達を守るミクズの防御の壁がキイイィンと振動する。

「お姉様は戦闘体形を取らなくても、とても強くていらっしゃるわ」

 防御がきしんだのに、ミクズは嬉しそう。ティアマトやキングゥは黒竜の姿が、本気で戦う時の戦闘用なのだ。


『……あなた』

 バアルに微笑み掛けるアナト。こんな小さな声だと、届かないんじゃ……。

 心配したのも束の間、バアルが背筋をピンと伸ばして、ゆっくりとこちらに顔を動かした。

「……お前、アナト……!」

 途端に雷がしぼんで全て消えた。ティアマトもこちらに気付き、あれほど猛っていた風と氷を全てやませる。

「アナト。久しいわね」

『ティアマト様、夫がお世話になっておりますわ。ええ全く、地獄にも戻らず人間の世界で美しい女性と遊んでいるなんて、私は寂しくございます……』

「いや、これはだな……、そう、アレだ! お前の土産を探していたんだ。そろそろお前に会いたかったところだ!」

 バアルが言い訳しながら、アナトの幻影の前にそそくさと進む。こんな愛妻家だとは、意外だな。

『まああなた、私は土産よりもあなたの無事が一番なのですよ』

「知ってるぜ、いい妻を持って俺は幸せだな!」


 あの怖いバアルが一生懸命ご機嫌取りをするのが、なんだか可笑しい。でもこれ、笑ったら後で怒られるんだよね。バアルはまだ妻であるアナトをなだめていて、ティアマトも毒気が抜かれたようで、ただ見守っていた。

 ミクズは面白いものを見せてもらったと悪戯な表情をしてから、いつもの顏でティアマトの側へ移動する。もう戦わないと判断したんだろう。

「バアル閣下は地獄の貴族の間では、有名な恐妻家だ」

「恐妻? 大人しそうな美人さんだよ?」

 確かにすごくバアルが気兼ねしてるのが、不思議。

「……あの方は元々、戦女神でな。興奮すると目に入るもの全てを虐殺する悪癖があって……、興奮させてはならないんだ。返り血で真っ赤に染まり、部屋をめちゃくちゃにされたこともある。そうなるとバアル閣下も対峙するのを恐れられる……」


「興奮して……虐殺!? 部屋をめちゃくちゃ……!!?」

 静かそうなこの女性が、そんなことをするの!? 目に入るもの全てって、まさか敵でも味方でもってこと?

「そして気が済むまで暴れたら普段通りになり、掃除して化粧をするような御方だ……」

「暴れるのも怖いけど、いきなり普通になるのもはもっと怖い……」

 聞いたことないようなヤバい人だ……! ある意味、今までで最強! さすがバアルの奥さん。バアル以上なんだね。


 アナトは最初よりも朗らかな表情になり、ティアマトも会話に混じっている。バアルの居心地が悪そうだ。

「私はまだこちらを旅しているわ」

『戻られましたら、私がそちらに伺いとうございます。楽しいお話を期待しておりますわね』

 ティアマトとアナトは普通の友達のように、親し気な雰囲気。

「俺もいったん顔を出す。まだこちらで色々あってな」

『まあ、嬉しい。お酒の用意をしてお待ちしております。あなたの不在があまり長いと、不安で心が千切れてしまいそうなんですのよ……』

 実際に千切れるのは他人の体なんですね。怖っ。

 

 とにかく争いは収まり、地形が変わるまでの被害にはならなかった。

 良かった、一件落着だね。

 アナトの幻影が消えると、バアルは気まずさを振り払うように、空へ消えた。

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