第85話 温泉です

 とりあえず予定通り国境を越えた。

 今はティアマトとも会った、モルドブ村の慰霊碑の前にいる。お父さんとお母さんに、実家へ行った報告をしようと思って。途中で買った花を添えて、手を合わせた。

 そこから更に上には、温泉がある。

 温泉に浸って、ゆっくり今後のことを決めるのだ! いいアイデアだ。途中で両親のことを話してくれた人のいる村に寄って、お礼と報告もして、と。


 山の上にある温泉は、いくつもの小さな宿が集まった、こじんまりとした集落になっている。民家より宿や商家の方が多いかも。

 両親が南にある国から来たと教えてくれた人が働いている、宿に泊まることにした。

 温泉は療養する為の場所なので、どの宿も質素な内装だ。

 同じ宿に泊まった人は、同じ上着。宿泊客用の炊事場もあり、温泉の熱で野菜を茹でられる。

 お風呂は宿に小さなものがある他に、共同浴場が何カ所かあった。赤茶色のお湯や、緑色のお湯がある。透明より色が付いている方が、雰囲気が出る気がするね。

 共同浴場は、木の札を買えば入り放題だよ。


「温泉って気持ちいい~」

「……よく一日に三度も入る気になるな」

「もう一回入りたい!」

 マルちゃんは一度入っただけで、後は宿の部屋でのんびりとしている。

 温泉ってわりと疲れるな。寝っ転がっていたい。ご飯は出ないんだよね。

「ご飯、どこかに食べに行かない? 作るの面倒」

「俺は肉が食えるなら、どっちでもいい」

 相変わらずだ。うどん屋さんの他に大衆食堂みたいなお店を見掛けたから、肉や揚げ物もあると思う。


 ちょっとの距離を移動するだけなら、宿の名前が入ったサンダルを借りられる。

 パタパタと歩く私の横に、マルちゃんが狼姿で並ぶ。どのお店も小さな個人商店で、店舗兼住宅が多い。

「……違う店にしよう」

「え、なんで?」

 扉を開けたのに、マルちゃんが通り過ぎようとする。

「マルショシアス様……!」

 あのオレンジ色の長い髪は、『神秘なる魔女の会』の、マルちゃん大好きヘルカだ! 契約しているドワーフのイーロも一緒。

 逃げようとしたんだ、マルちゃんってば。


「遅かった……」

「こちらにいらしてください、マルショシアス様! こんなとこで出会うなんて運命ですわ……!」

 ヘルカが眩しそうに、マルちゃんへと熱い視線を送る。お店に入るから黒い騎士姿になったので、凛々しいよ。指で髭を触った。もしかしてヘルカに気に入られないように、剃りたいのかも。

「久しぶりだね」

「お久しぶりですわ、ソフィア」

 二人はもう料理を食べ終わりそうだけど、同じテーブルを囲んだ。マルちゃんは先にイーロの隣の席を確保する。


「ヘルカ達はどうしてここへ? 温泉目当て?」

「ちと違う。嬢ちゃんと、この近くで討伐依頼をこなしたから、ついでに寄ってな。観光地って感じじゃねえな。嬢ちゃんは、さっさと帰るって言ってよ」

「嫌ですわ、イーロってば! 冗談ですわよ。本当は温泉、大好きですの!」

 慌てるヘルカ。マルちゃんが温泉を好きだと思ったのかな。そこまで好きって感じじゃなかったよ。当のマルちゃんは、雑談していないで早く肉を食わせろと言わんばかり。

 とりあえず注文をしてから、話の続きをする。

「あの……ソフィアとマルショシアス様は、何かご依頼を受けたんですの?」

「ううん、本当は帰る途中だったんだ。でも、塾でちょっとあって、今は帰らないでって言われてるの。せっかくだし温泉に入って、ゆっくり予定を考えようかなって」

 

 私が頼んだのは、唐揚げ定食。あつあつで大きな唐揚げは、お肉が柔らかい。おいしいね! マルちゃんは唐揚げ山盛りのポテト添え。

「それでしたら、また一緒に依頼をこなしませんこと!?」

 名案だと手を合わせるヘルカ。でもなあ。

「うーん、実は……」

 私はリアナが失踪していて、会わないように気をつけてと注意されていることを伝えた。ここから隣の国にでも行こうかと思う。

「大変ですわね。マルショシアス様みたいなステキな方と契約されたんですもの、多少の嫉妬は仕方ありませんわ」

 地獄の侯爵だものね。おかげで助かってるし!


「早く解決すっといいな」

「私の方でも、他の皆に伝えておきますわ。でも、似顔絵もありませんものねえ。どんな方と契約しているかは、分からないんですの?」

「ええと、私が知ってるのは一番下位の天使だよ。もっと上の天使と契約したいって、張り切ってた。リアナは天使が好きだから、新しく契約するとしても天使じゃないかな」

 シムキエルみたいな、戦うの大好き天使と契約していたら大変だな。

 マルちゃんは我関せずと唐揚げをキレイに平らげている。

「うーん……、そんなヤツが上位の天使と契約できっかな。アイツらはアイツらで、かたくななのが多いぞ」

 イーロが首を捻る。

「そういうヤツができてしまう時が、一番危険だ」

 マルちゃんも一応、聞いていたんだね。答えたついでに、お肉の追加まで注文している。ご飯はいらないの?


「考えても仕方ありませんわ。温泉には、いつまでいらっしゃいますの?」

「二、三日かな。少しゆっくりするよ」

「私達もそうしましょ、イーロ!」

 ヘルカは少しでも長く、マルちゃんといたいようだ。でも脈はないと思う。マルちゃんは人間の女性とは付き合わないって明言してるし、諦めた方が無難だよ。

「嬢ちゃんはこれだけ相手にされなくて、よくそのテンションを保てるな」

 イーロはビールを一気に飲み干した。もう一杯おかわりしている。お客が多くないから、ビールはすぐに運ばれてきた。

「これからです。共に過ごす時間の長さと比例して、愛は育つのですわ」

「なら俺よりイーロだろ」

「イーロは私の立派な相棒ですのよ」

 ドワーフとお嬢様。不思議な組み合わせの二人は、確かに仲がいい。

 しかし一生懸命アピールを続けるヘルカの想いは、やっぱりマルちゃんには届かない。


「じゃあまた明日ね」

「ええ、マルショシアス様。また明日お会いしましょう」

 ついに私が抜けたよ。マルちゃんは返事をしなかった。

「……諦めろよ、嬢ちゃん」

「嫌ですわね、イーロ。まだ早すぎますわ。今日はたくさんお話しできましたもの、この調子です」

 全くめげてない! ヘルカは強かった。

 私達が泊まっている宿を教えてしまったので、次の日の朝は一緒に朝食を食べようと、元気に迎えに来てくれた。本当に温泉にいる間、長く一緒に過ごしたいようだ。 


「おいソフィア。明日には出立するからな」

 一日ヘルカに追い回されたマルちゃんは、もう相手をするのはこりごりといった感じだ。狼姿でぐったりと丸まっている。

 もっと滞在したかったけど仕方ない、出掛けることにしよう。

 夕食の後にもう一度、共同浴場のお風呂に入って、ゆっくりと眠った。

 あ。バイロンも温泉好きだったかな。呼べば良かったかも。


 朝になると、またヘルカ達が迎えにくる。

 テーブルを囲んで朝食を食べながら、今日ここを発つと告げた。

「では、山を下るまではご一緒しますわ」

「おい嬢ちゃん。隣国に行くんじゃ、俺達と反対だろ」

「お見送りします。依頼も終わらせていますし、ちょっと遠回りするだけですわよ」

 どうやらこれは譲れないらしい。山を反対側に下るのは、ちょっとじゃないよ。


 チェックアウトして宿の外に出たら、そこにはもうヘルカとイーロがいた。

 素早い! マルちゃんはさっさと逃げたかったようだけど、これは同行するしかないね。リュックをしっかり背負って、出発だよ。


「こちらの国は温泉が多くあるみたいですわ。今回の場所と違って、観光地になっていますのよ」

 ヘルカが隣国の情報を教えてくれる。そういうのを期待していたんだね。

「ドワーフ仲間もいるぜ。北側では水晶の鉱山があるぞ。行ったらどうだ、採掘場も観光できるとよ」

 水晶かあ。いいねえ、行ってみようかな。

 曲がりくねった山道は馬車が通れるくらいの広さがあり、わりと整備されている。反対側から来た、杖をついて歩く人達とすれ違った。

 のんびり進む先から、馬の嘶きと叫ぶ声が聞こえてきた。


「素早いぞ、気を付けろ!」

「お嬢様、出てきてはなりません」

 獣が吠えて、金属音が響く。襲われているの!?

「皆、気を付けてください! まだ茂みに隠れているようです!」

 女性の声もする。数人が魔物と交戦中かな。

 マルちゃんが四本足でタタタッと先を駆ける。

「マルショシアス様、ヘルカもついて行きますわ……!」

 私とヘルカが続き、ドワーフのイーロとはあっという間に距離が開いた。背の低いお髭のおじさんが、短い足で必死にトタトタ走っている。ちょっと可愛いかも。

「ふうう、俺は走るのは得意じゃねえよ。先に行ってくれ」


 後ろを振り向いている場合じゃないね。

 イーロを待たずに、急行する。誰だか知らないけど、無事ですように……!

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