第26話「凛奈の忘れ人 その5」



 コンコン


「凛奈、入るぞ」


 キー


 凛奈は光の差し込む寝室の窓を眺めていた。陽真が入ってきたことに気付き、彼に顔を向ける。凛奈は少々怯えている。先程アンジェラを叱りつけたことにより、陽真には恐ろしい印象を持っているようだ。


「あなたは……」

「俺は浅野陽真。お前の幼なじみ、そして恋人だ」

「あぁ、さっきの人が言ってた……」

「覚えてるか?」

「えっと……」


 凛奈は花音の説明したことを思い出す。目の前にいるこの男は自分の恋人。小学生の頃から共に日々を過ごし、互いに恋愛感情を持っていた。今は何もかも忘れてしまっているが。恋人ということは、自分は彼とハグやキスなども経験しているのだろうか。


「お前が俺に関して、何か心に引っ掛かるものがあるって聞いたんだ」

「はい。あなたの姿を見ても特に何も思いだ出せないですけど、名前を聞くと何か引っ掛かるんです。まるであなたと何か大切なものを共有していたような……」


 凛奈はうつ向いて呟く。陽真との記憶はほぼ全て忘れてしまっているが、彼の名前を聞くとなぜか心が温かくなる。自分はこの人との間に、他の人とはない特別な絆のようなものを感じる。陽真は微笑みながら凛奈に寄り添う。


「それはきっと思い出だ」

「思い出?」

「実は俺、今のお前みたいに記憶喪失になったことがあるんだ」

「え?」


 陽真は語った。自分がフォーデイルナイトに転移し、ギャング達の戦いに巻き込まれた末に、アンジェラの能力で記憶を失ったこと。凛奈がギャングや拒絶する陽真に傷付けられながらも、必死で陽真の記憶を取り戻そうとしてくれたことを。


「今こうして振り返って話せるのも、お前が俺の記憶を取り戻してくれたおかげなんだぜ。お前が思い出を忘れないことの大切さを教えてくれたおかげ」

「私がそんなことを……」

「本当にすげぇ奴だ。お前は俺の自慢の彼女だよ」


 陽真が誉めると、凛奈も笑顔を取り戻す。赤の他人からでも、誉められることはまず嬉しく思うだろう。


「ごめんなさい。そんな大切なことを、私は忘れてしまったんですね……」

「いいんだよ。ゆっくりでいい。お前のできる範囲で思い出してくれ」


 最後に陽真は凛奈の頭を撫でた。いつも弱気になった凛奈を励ます時にやることだ。これで元気を取り戻さなかったことは一度もない。記憶を失った凛奈も、不器用な笑顔を返した。


「ありがとうございます、浅野さん」

「!?」


 何気なく言ったことだろうが、陽真はそれに衝撃を受けた。自分のことを「浅野さん」と呼んだ。いつもの「陽真君」ではない。

 記憶を失っているため当然だが、呼び方だけで陽真は目の前にいる恋人がいつもの凛奈ではないことを痛感させられる。凛奈は本当に陽真のことを忘れてしまっているのだ。


「どうかしましたか?」

「……」


 凛奈が心配そうに陽真の顔を覗き込む。陽真の視界からは凛奈が消え、何も言えずに突っ立っている。


「あ、凛奈! 外にで出てみない? 外の気持ちいい空気を吸ったら、きっと気分も晴れるわよ」

「そうだね! あっ、あの果樹園のおばさんのところとかいいんじゃないかな?」


 哀香と蓮太郎が機転を利かし、しんみりとした空気を一変した。騎士団に頼み、凛奈を外へ連れていくことにした。哀香と蓮太郎は騎士が準備している間、陽真を廊下に連れ出す。




「アンタねぇ……記憶を失ってんだから仕方ないでしょ。アンタが弱気になってどうすんのよ」

「そんなのわかってる。でも、いつも凛奈は俺のこと……『陽真君』って明るく呼んでくれたんだ。でももう呼んでくれない。アイツの中から俺の存在が消え失せたんだぞ。そんなの……耐えられねぇよ……」


 陽真が涙を流す。彼が悲しみの末に涙を流すことは稀だ。あの陽真が凛奈のことでここまで感情的になるとは。事態の重大さを改めて実感する哀香と蓮太郎。




「準備できました。同行される方は……」


 騎士が外出の準備が済んだことを伝えに来た。しかし、今の陽真は同行できる心境ではない。らしくなく泣きじゃくる陽真を見て、哀香と蓮太郎も心の余裕が無くなる。


「護衛の騎士さん達だけで行ってください」

「私達は記憶を戻す方法を考えますので」

「わかりました」


 騎士は凛奈を馬車に乗せる。道案内のため花音も同行することになり、一向を乗せた馬車は城の正門を出ていく。その様子を眺めた陽真達は、再度ダイニングテーブルに集まる。




「チャンスだぁ♪」


 正門近くの草村に隠れていた男は、馬に乗って騎士の馬車を追いかける。






「そんで、元に戻す方法はないのかしら」


 覇気のない陽真の代わりに、哀香が話を仕切る。凛奈の記憶を戻す作戦を考える。しかし、凛奈が出発してから1時間、明確な案が出てこずに会議は停滞している。


「陽真君が記憶を取り戻した時と同じことをやればいいんじゃないかな?」

「あの時はマジックナイフってやつを刺したんだよな」

「それって確か、二つの世界に隔てられた人間が出会って、なおかつ恋に落ちたら奇跡が起きるっていう、理の書に書いてあったことよね」


 陽真が記憶を取り戻したのは、理の書に書いてあった項目のおかげだった。実際に陽真と凛奈が世界の隔たりを飛び越え、両想いになって結ばれ、陽真の記憶が戻るという奇跡を目の当たりにしている。同じことを再現すれば記憶が甦るかもしれない。


「どうやって再現すんだ? もう一度そのナイフを用意すんのか?」

「うーん……まずは一度凛奈を元の世界に戻して、それからもう一度陽真君と出会わせて……」

「面倒くさいわね」


 哀香、蓮太郎、ロイドの三人が話し合う中、何を思い悩んでいるのか、ヨハネスは黙り込んだまま座っている。


「おいヨハネス、お前もなんか知恵貸せよ」

「なぁ、みんな……」


 やっとヨハネスが口を開いたかと思いきや、彼は意外なことを口にした。




「もしかしたら、女王様の能力で記憶を戻せるかもしれない」


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