第25話「凛奈の忘れ人 その4」



「ここの問題、何の公式使うかわかるか?」

「……わからない」

「チェバの定理だよ。ほんとに完全に忘れてんな……」

「えへへ……」

「えへへじゃねぇよ……」


 私は今、陽真君の家で勉強会をしている。コロナウイルスの影響で、学校もしばらくの間の休校が決まり、元々2月末に行う予定だった期末テストを来週やることになった。

 テストの日程だけ早めたので、生徒からは大ブーイングが巻き起こる。当然こうなるとは思っていなかったので、私は哀香ちゃんや花音ちゃんと遊び呆けていた。


「お前って結構不真面目なんだな」

「なっ……そんなことないもん! ちょっと勉強が苦手なだけだもん!」

「それもかなり致命的だけどな。それに、前にもこれに似たような問題聞いてきただろ。完全に頭から抜け落ちてんじゃねぇか」

「うっ……」


 前にも似たような数学の問題を教えてもらったけど、私はそれを完全に忘れていた。数学は特に苦手なのだ。陽真君が勉強を教えてくれるおかげで、なんとか毎回テストで赤点を回避できている。でも、せっかく陽真君が教えてくれたのに、私ったらもう忘れてるなんて…。


「私、ほんとに頭悪いよね……」

「え?」

「大好きな陽真君に教えてもらってるっていうのに、全然覚えられないんだもん」


 私はシャープペンシルをノートの上に置く。陽真君が書き足したアドバイスの文字が、シャープペンシルに隠れて見えなくなる。私に忘れ去られた知識のように。


「昔からこうだ。ずーっと陽真君に教えてもらってばっかり……私が勉強苦手だから……」

「凛奈」


 陽真君は涙を流させまいと、うつむく私の顔を無理やり引き寄せて、その唇に自分の唇を重ねる。もう何度も経験して、陽真君がキスしようとしてくるの感じ取れるようになった。それでも彼の力強さに敵わず、抵抗する間もなく唇を奪われるのだけど。


「は、陽真君……なんでキスするの?///」

「お前がまた落ち込んでるからだろ。毎度毎度よくもそんなに自虐的になれるもんだな」

「だからって、いきなりキスしないでよ……///」

「したくねぇのか?」

「……したい///」


 もう励ましの言葉が無くとも、陽真君は私を元気付けることができる。たった一回のキスだけで。それだけで悲しいことなんて、全て彼の口に奪われてしまうから。

 そして返ってくるのは、天国からの贈り物のような気持ちよさ。すごいよ、陽真君は。本当にカッコいいんだから……。


「陽真君、もう一回して……///」

「ダメ、一回だけだ」

「えぇぇ……」

「勉強頑張ったら後でしてやるよ」

「ほんと? わかった! 私、頑張る!」


 私はシャープペンシルを握り締めて問題に取りかかる。陽真君やる気にさせるのが本当にうまい。単純な私に少し呆れてるけど、私に最適なやり方で教えてくれることがすごくありがたい。私は陽真君の柔らかい唇のために、必死に難問に食らいついた。


「……」


 計算式を書きながら、陽真君とのキスの感触を思い返す私。彼とのキスは、本当に理性が無くなってしまうくらいに気持ちいい。いつまでもしていたいと思わせてくる。

 でも、私達はキスの先はまだ経験していない。キスの先というのは……その……クラスメイトのみんながよく言っていた、えっちな行為というか……その……///


「どうした凛奈、顔赤いぞ」

「な、何でもない……///」


 私ったら……思ったことは何でも顔に出てしまう。でも、一度考え出すと止まらない。このままずっと陽真君と一緒にいたら、いずれ結婚とかするのかな。まぁ、できるかどうかわからないけど、陽真君とは結婚はしたい。そして、いつか子どももできたりするのかな。


 その子どもをつくるためにするのが、えっちな行為……。具体的に何をするのかわからないけど、哀香ちゃんが言うには女側が性的にアピールをすれば、興奮した男側が狼になって、後はリードしてくれるとか。

 何を言ってるのかさっぱりわからないけど、とにかくその行為をしたら、男の子も女の子気持ちよくなって快感を得るらしい。カップルなら経験しておくべきだとも言っていた。


 もしかして、陽真君なら詳しく知ってるのかな。リードする側らしいから。とにかく、そのえっちな行為というのは、キスなんかと比べ物にならないほど気持ちいいものだという。子どもをつくるかどうかは別として、陽真君が相手なら、ちょっとやってみたいな……恥ずかしいけど。


「凛奈、手止まってるぞ」

「あ、ごめん……」

「まだわからないところがあるのか? 俺が教えてやるよ」

「ううん、大丈夫! 自分でわかるから」

「そうか」


 わからない……陽真君、教えて。えっちな行為ってどうするの? 私は陽真君ともっといろんなことを経験したい。それがたとえどんなに恥ずかしいことだとしても、恋人として陽真君を満足させてあげたい。


 結局、私は未知の感覚への興味で頭がいっぱいになったままテストに臨み、立派な赤点を受け取った。この世は難しいことだらけだ。




   * * * * * * *




「ごめん万里、そういうわけでしばらくこっちにいることになったから。帰れそうな時にまた連絡するわ」

「うん、大丈夫。そのかわり、絶対に凛奈の記憶を戻してよね」

「わかってるわ。またね」


 哀香は万里との通話を切った。凛奈の記憶が戻るまでは、しばらくフォーディルナイトに残ることにした。陽真、哀香、蓮太郎、アンジェラ、ロイド、ヨハネスの6人はダイニングルームに集まり、策を練る。

 もはや呑気に朝食をとっている場合ではない。今はどうにかして凛奈の記憶を戻さなければならない。


 ガチャッ


「とりあえず凛奈を落ち着かせてきたわ。今はベッドで休んでる」


 花音が凛奈の寝室から戻ってきた。


「ありがとう、花音」

「ついでに色々話してみたわ。自分自身のこととか、私達のこととか」

「それで? どうだったの?」

「自分のことは何も覚えていないってさ」


 やはり、凛奈は自分が誰であるかを完璧に忘れていた。改めてアンジェラの能力の恐ろしさを実感する一同。


「そう……」

「でも陽真君のことを話したらね、何か引っ掛かるものを感じるって言ってた」

『え!?』


 陽真達は驚いて席を立つ。もしかしたら、陽真に関しては記憶はある程度残っているのかもしれない。陽真はわずかな希望を見出だしたように感じた。


「陽真」

「あぁ」


 陽真の時は凛奈との思い出の品であるマジックナイフで、記憶を呼び起こすことに成功した。陽真のことを誰よりも理解し、共に人生を歩んできた凛奈だからこそ、記憶を復活させることができた。


「俺が話してみる」


 陽真は凛奈の寝室へ向かった。心配に思い、哀香と蓮太郎も付き添った。


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