第24話「凛奈の忘れ人 その3」



「あなたは誰ですか?」

「……え?」


 俺は耳を疑った。あなたは誰ですか。その言葉が今、凛奈の口から放たれた。凛奈が俺に、あなたは誰だと聞いた。ちょっと待て、どういうことだ? 俺の心臓が苦しそうに鳴る。


 あぁそうか、冗談だな。凛奈はきっと冗談を言ってからかっているんだ。昔はよく俺の方から冗談を言って凛奈を驚かしてたが、凛奈の方からも心を許して冗談を言えるようになったんだ。いやぁ、本当に可愛い奴だな。


「おいおい、どうした凛奈。お前が冗談を言うなんて珍しいな。俺もびっくりして何て返したらいいかわかんねぇよ」

「え、えっと……」

「もしかして怒ってるのか? 昨日はなんかごめんな。お前が何がしたいのかさっぱりわからなくて。今なんとなくわかった気がするよ。でも、お前とそういうのは……」

「あの!!!」


 凛奈は大声で俺の話を遮る。


「冗談じゃないです。本当に何も覚えていないんです。あなたは誰なんですか?」

「……は?」


 俺は改めて凛奈の顔を見る。凛奈の顔は真剣だ。顔で「何もふざけたことは言っていない」と訴えている。俺の笑顔は少しずつ崩れ去る。ちょっと待てよ。覚えていないってどういうことだよ。冗談じゃねえのかよ。


「陽真!?」


 凛奈の大声で隣で寝ていたアンジェラが起きた。俺が隣にいるのを気づいて驚く。記憶喪失のことはアンジェラが知っているはずだ。直感的にそう思った。


「アンジェラ、どういうことだ! なんで凛奈が記憶喪失になってるんだ!」


 俺はアンジェラに問い詰める。記憶喪失になっているということは、アンジェラが能力を使ったということになる。しかし、こいつの能力は国民全員の記憶を奪うことだ。なんで俺や他の騎士には何も起きてないんだ? なんで凛奈だけが記憶を失くしてるんだ?




 ガチャッ


「女王様はここか!」

「女王様、それにアーサーも、なんでここに?」


 騒ぎを聞きつけ、ロイドとヨハネスが凛奈の部屋にやって来た。後ろには哀香、蓮太郎、花音もいた。


「昨日の夜……」


 アンジェラは語った。凛奈が何もかも忘れてしまった経緯を。




   * * * * * * *




「凛奈! 実はね! お願いがあって来たの!」

「お願い?」

「うん、ちょっと実験台になってもらえないかしら?」

「実験台?」


 アンジェラは自分の能力の可能性について話した。先程書庫で自分の能力にはもう一段階先があり、個人単位で記憶を消去したり、消去する記憶を選別できることを知った。その能力を試しに使ってみたいがために、凛奈を通して実験をするという。


「何か忘れたい記憶とかある?」

「うーん、そういえば最近……」


 凛奈は先日の後期期末考査の記憶を話した。その日はコロナウイルスの影響で4月までの休校が言い渡され、予定していた一週間先の後期期末考査を突如明後日行うと学校は発表した。

 生徒は大混乱に陥り、テスト勉強を怠っていた凛奈はひどく絶望した。そこで成績優秀である陽真にすがり付き、一緒に勉強会を開いた。凛奈の苦手科目である数学を中心に、陽真は熱心に彼女の頭に知識を叩き込んだ。


「それで自信満々にテストに臨んだんだけど……」


 しかし、結果は28点と散々だった。本来なら30点未満は赤点で追試対象となるが、休校が決まっていたために追試は行われなかった。

 勉強を教えてもらった恩もあるのに、期待通りの結果が出せなかった凛奈は泣いた。陽真は気にするなと言っていたが、罪悪感が一層募り、悪夢のような思い出となってしまった。




「とまぁ、せっかく陽真君に勉強教えてもらったのに全然いい点取れなくて、陽真君の優しさを台無しにしちゃったのが申し訳なくて……。忘れたい記憶って言ったらそれくらいかな?」

「OK! 任せて!」


 カァァァァァ

 アンジェラは目を閉じ、両手を組んで祈りを捧げる。そして、凛奈の記憶を消去することだけを考える。アンジェラの長く黄色い髪が逆立ち、体が青白く輝く。


「ほんとに大丈夫?」

「大丈夫! 凛奈の記憶だけ……凛奈の記憶だけ……」


 失敗すれば、今フォーディルナイトに来ている陽真や哀香達、城にいる騎士や元ギャング達まで記憶を失くし、再び国の再生を繰り返さねばならない。それを阻止するために、アンジェラは気を集中させる。


「はっ!」






 アンジェラを包む光が消え、逆立った髪がすべて下りた。ゆっくり目を開き、凛奈の様子を確認する。凛奈は魂が抜けたように、ぼーッとベッドに座ったままでいる。


「凛奈?」


 コンコン

 突然ドアのノックが聞こえ、廊下から男二人組の眠気を抱えた声が響いた。


「女王様、まだご友人の部屋にいるのですか?」

「早く寝ないとお肌に悪いっすよ~」


 ヨハネスとロイドだった。いつもの二人からの早寝の催促だ。わざわざ友人の部屋にまで来て呼び掛けて来るとは。


「わかってるわよ~」


 アンジェラの返事を聞くと、二人の足音は廊下の奥へと離れていった。二人が自分を女王として認識していたということは、二人からは記憶は失くなっていない。他の人もおそらく同じだろう。無事凛奈だけの記憶を消去することに成功したようだ。しかも失くしたい記憶を選別して。


「やったわね! 凛奈、成功よ♪」

「え? えぇ……?」


 アンジェラは凛奈の手を握って微笑みかける。フォーディルナイト史上初、全国民ではなく、個人単位での記憶の消去に成功した。その喜びを共に味わうべく、アンジェラは凛奈に抱きついた。過去の苦い記憶を失った凛奈は当然さっぱり状況が飲み込めず、困惑する。しかし、それが成功した証でもある。


「あ、あの!」


 凛奈がアンジェラを突き放した。かなり強く離されたので、アンジェラの方も困惑する。


「いきなり何ですか……ここは一体……あなたは誰ですか?」

「凛奈?」


 凛奈は目の前にいるドレス姿の少女が、一体誰なのかがわからない様子だった。明らかに消えている記憶が、先日のテストのことだけではない。


「あれ? 私……誰だっけ……?」

「嘘……凛奈……」


 アンジェラは何度も国民が同じ反応をする様子を見てきたため、今凛奈の中で何が起きているのかを瞬時に察した。先日のテストの記憶だけでなく、凛奈からすべての記憶を奪ってしまった。生まれた場所も、暮らした世界も、共に生きた仲間も、自分が誰であるかさえも。


「なんで……どうして……」


 確かに個人単位での記憶消去には成功した。しかし、凛奈からは彼女のすべての記憶が綺麗さっぱり忘れ去られている。記憶を選別して消去できると聞いたあの話は何だったのか。


「あの……大丈夫ですか……?」


 凛奈が心配そうにアンジェラを見つめる。とんでもないことをしてしまった。自分には記憶を選別して消去する力が備わっていると過信し、凛奈から何もかも奪ってしまった。今の彼女はただの脱け殻だ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ベッドに伏せて泣き崩れるアンジェラ。何も知らない凛奈はアンジェラの小さな背中をさする。アンジェラは落ち着いた後、凛奈が別の世界から来た人間であること、彼女の友人、自分達のこと、異世界についてもすべて話した。今まで記憶を失った者は何を言っても信じ込んだ。凛奈も同じだった。


 事情を説明し終えた後、凛奈を落ち着かせるために、アンジェラはそばについて寝た。陽真達には朝起きた時に話そうと決めた。さぞかし責め立てられることを覚悟し、凛奈の手を握って目を閉じた。




   * * * * * * *




「つまりお前のせいかよ」

「え?」


 ガシッ

 俺はアンジェラの胸ぐらを掴んだ。顔を近づけ、かつてのギャングに対する鋭い目線を向ける。怒り、憎しみに身を任せてアンジェラを睨み付ける。


「できもしないことをできると勘違いして、凛奈から何もかも奪ったって言うのか?」

「陽真……」

「あの時はいいさ。俺も殺されるところだったからな。俺から記憶を消してくれたって構わない。だが今は違う! 自分の身勝手で、過信で、軽はずみで、凛奈を巻き込むんじゃねぇ!」


 俺は今まで聞かせたこともないようなドスのきいた声でアンジェラをしかりつける。目の前にいる無邪気な姫君が大層憎らしく、自分の大切な人から記憶を奪ったことが心底許せなくなったのだろう。我を忘れてアンジェラに怒りをぶちまけた。


「ふざけるな……凛奈に謝れ! 俺の凛奈を返せ!」

「アーサー! よせ!」

「陽真! やめなさい!」


 ヨハネスと哀香が俺の肩に手を乗せる。俺はゆっくりと落ち着きを取り戻し、我に返ってアンジェラの顔を確認する。滝のように溢れ落ちた涙がぐっしょりとドレスを濡らしていた。目の前にいる騎士の形相に恐れをなしている。

 一国の女王の胸ぐらを掴んだと知られれば、どんな処罰が待っているだろうか。まだ相手が信頼できる俺であるだけ助かった。今の行為で信頼を失った可能性もあるが。




「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」


 凛奈は手で顔を押さえ、溢れ出る涙を堪えながら言った。一番辛いのは彼女だ。訳もわからず周りが自分のことで争い合うところを見せられれば、その罪悪感は想像するに足りないだろう。俺はアンジェラから手を離した。凛奈の泣き顔も見るに耐えず、何もない床の木目を見つめる。


「悪ぃ、みんな……」


 今日は誰もが謝ってばかりだ。まさか今度は凛奈の方が記憶喪失になるなんて。畜生、またやり直しかよ。俺と凛奈の関係は再び白紙に戻された。


「……」


 俺はこの世界を創ったアデスを恨んでいたガメロ達の気持ちがなんとなくわかった。そりゃ恨みたくもなるわけだ。記憶を奪われるというのは、生きる理由も見失うようなものだから。


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