第22話「凛奈の忘れ人 その1」



 ヨハネスは城の書庫で古文書を読み解いていた。テーブルに座り、左手に握り締めたメモと、古文書に記されている内容を読み比べる。隣には相棒のロイドが、今にも眠りこけそうな程あくびをしていた。


「よくそんなに集中力が続くなぁ……」

「そうか! わかったぞ!」


 突然ヨハネスは立ち上がった。


「な、何が?」

「女王様の能力についてだよ!」


 代々クラナドス家に受け継がれてきた記憶消去の能力。その存在は“理の書”にも記されている。

 ヨハネスはクラナドス家の記憶消去の能力の存在を知り、興味が湧いて自身で理の書を読み解いて調べた。独学で古代フォーディルナイト文字を学び、理の書でまだ意味がわかっていないページの解読を試みたのだ。


「能力の何がわかったんだよ」

「記憶消去の能力を使うと、王家の人間を除いた全国民の記憶を抹消できる。これはもうお前も知ってるよな?」

「あぁ……」

「だがここの項目によると、その能力には続きがあるんだ」


 ヨハネスは理の書と同じ内容が記された古文書のとあるページをロイドに示す。ロイドは古代フォーディルナイト文字は読めないため、何が何だかさっぱりわからない。


「続き?」

「ただ記憶を消すだけじゃないってことだよ」

「と言うと?」

「ズバリ、記憶消去の能力は使う度に進化する」


 ガサゴソ……

 書庫の扉の周辺で物音がしたが、二人はそれに気がつかなかった。


「たとえば、ここでは『個人単位で記憶を抹消することができる』と書いてある。つまり全国民じゃなくて、人物を指名して一人だけの記憶を消すことが可能になるってことだよ」

「おぉ!」

「さらにこの下、『記憶の選別ができる』と書いてある。全ての記憶だけじゃなくて、記憶の種類を選んで消すことができるらしいんだ」

「マジかよ! 女王様そんなことできんの!?」


 ロイドは古文書をまじまじと見つめる。ミミズがうねる様を描いたような変哲な文字にしか見えないが、記憶消去の更なる進化について述べられた大変貴重な秘密が記されていたのだ。


「いや、今の女王様にこれができるかどうかはまだわからない。まだ解読できてない部分があるからな。そこが解読できればわかると思うが」


 思いがけない発見に、二人は興奮する。ヨハネスは古文書を閉じ、元々置いてあった棚に静かに戻した。秘密を明るみに出さないように。


「いいか? これはとんでもない発見だ。極力外部には漏らすなよ。俺達二人と、アルバート様とカローナ様だけの秘密だ」

「あぁ。……って、女王本人には言わねぇのか?」

「本人が知れば悪用しかねないからな」

「あぁ、あのお転婆女王なら特になぁ……」


 まだアンジェラは自身の能力を使いこなせていないとヨハネスは判断し、本人にはこの秘密は隠しておくことにした。そもそも、今のアンジェラにこの更なる進化を遂げた能力が使えるのかが不明だ。使えば使う程進化することは判明しているが、むやみやたらに能力を使えば大混乱を招く。


「絶対に言うなよ」

「わかってるって」


 書類を全て片付け、二人は書庫を出る。




 しかし……


「いいこと知っちゃった!私ってそんなことできるのね!」


 アンジェラは長い廊下を走る。先程書庫の扉周辺で鳴った物音はアンジェラであり、彼女はヨハネスとロイドの会話を密かに聞いていた。

 自分の能力は進化しており、個人単位での記憶消去、消去する記憶の選別ができる。そう思い込んでいた。そして実際に試してみたくなるのがアンジェラだ。


「これで私ももっと役に立てる!」


 アンジェラは彼女の元へ向かった。




「……」


 ヨハネスは立ち止まり、後ろを振り向いて再び書庫を見つめた。まだ自分しか知らない“あの秘密”も話すべきか迷っていた。


「どうした? 早く報告しに行こうぜ」

「あぁ……」






「すごい、綺麗に育ってる!」


 凛奈、陽真、哀香、蓮太郎、花音の五人は街のとある果樹園に来ていた。大きく赤いリンゴが滴のように枝からぶら下がっている。イヌネコ団の仕事の一環で、果樹園の収穫の手伝いに来ているのだ。


「今日も来てもらってすみませんねぇ」

「いえいえ。向こうの世界じゃろくに外出できないし、だからと言って家でボーッとするのも退屈なんで」

「コロナウイルス流行ってるもんね」

「え? コロ……何ですか?」

「何でもないです」


 新型コロナウイルス感染症の蔓延により、凛奈達の通う七海町立葉野高校も4月まで休校になった。

 しばらく自宅待機となっているが、凛奈達は家でじっとしている時間が無駄に感じられ、何もしないのならいっそのことアンジェラの仕事を手伝いに行こうと思い立ち、今回こうしてフォーディルナイトに集まった。


 プチッ


「ん~、いい色♪」


 リンゴを一つ摘み取り、吟味する花音。新鮮な果実が育つこの土地は実に土の水捌けが豊かなようだ。


「んん……届かない……」


 凛奈は背伸びをし、高い枝からぶら下がるリンゴへ手を伸ばす。収穫用のハシゴは全て誰かが使用しており、予備が無かった。凛奈はメンバーの中で随一身長が低い。


 プチッ


「ほらよ」


 陽真が後ろから手を伸ばし、凛奈が採ろうとしていたリンゴを摘み取る。


「陽真君……」

「あとこれ、ハシゴだ。他の従業員から借りてきた。お前これ無いと無理だろ」

「ありがとう……///」


 リンゴに匹敵する程に凛奈の顔が赤く染まる。所構わずイチャつく二人に哀香達はため息をつく。


「リンナじゃなくてリンゴを収穫しなさいよ」






 時刻は午後3時。ある程度の収穫が終わり、凛奈達は果樹園の持ち主の家に招待され、そこでお茶菓子を振る舞ってもらった。アップルティーにアップルパイ、リンゴの蜂蜜漬、リンゴずくしだ。家に備え付けられた広い庭園にテーブルを設置し、ティータイムが始まった。


「美味しい~♪」


 溢れそうな頬に手を当ててお菓子を堪能する凛奈。陽真はその横顔を微笑ましそうに見つめる。


「そういえば、昔一緒にリンゴ摘みに行ったことあったよね」

「あぁ~、懐かしいな」


 凛奈と共に様々な経験をし、数々の思い出が甦る陽真。一時はアンジェラの能力で忘れてしまったものの、凛奈の懸命な努力の末に記憶を取り戻した。

 今はのほほんとした顔でアップルパイを頬張ってはいるが、彼女は本当に心の強い人間だ。その人が自分の彼女で、自分のことを深く愛してくれている


“俺、こんな幸せでいいのか?”


 今の幸せが少し贅沢に感じられる陽真。記憶を取り戻せただけでなく、凛奈と恋人同士の関係になり、毎日こうして一緒にいられる。そんな当たり前のことが、まるでこれから起こる不幸の前触れのように感じられる。


「ん? どうした凛奈」


 陽真はキョロキョロと辺りを見渡している凛奈に気がつく


「うーん、なんか誰かに見られてるような気がしたんだけど……」

「見られてる?」

「気のせいかな。ごめんね」


 凛奈は再度お菓子に手をつける。


 ガサガサッ

 庭園の生け垣が揺れる音がしたが、それに気づく者は誰もいなかった。


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