44 それはまるで星のように②
学校の中へと入り込んだ圭太とアオイさんはその後四階の美術室にある姿見の前にいた。
「圭太君、とりあえずここまで何も聞かないでついてきたけどもう聞いて良いよね。これから一体何をするつもりなの?」
アオイさんの問いかけに圭太は先程と打って変わって真剣な表情になる。それから彼は一言だけアオイさんに『すみません、これからやることでアオイさんを傷つけてしまうかもしれません』と謝ると、鏡に向かって質問を始めた。
「アオイさん、アオイさん。そこにいるんですか?」
鏡に向かって話してから何の変化もないまま時間が経っていく。しかしその時間は唐突に終わりを告げた。
「……ここにいるよ」
初めアオイさんが何かを話したと思い、後ろを振り返るが彼女は首を横に振る。このアオイさんと同じ声が今背後にいるアオイさんではないとすれば、考えられる可能性はただ一つだった。
圭太が再び鏡に顔を向けると鏡の中にはアオイさんを形どった黒いモヤのようなものが浮かび上がっていた。ゆらゆらと揺れるその輪郭はとても不安定で、見ているだけでその人を不安にさせるような、そんな力があるように思えた。だからだろうか、きっとこれは今後ろにいるアオイさんとは違うと直感的にそう感じた。
とにかく会話を続けようと圭太は続けて質問をする。
「アオイさん、アオイさん。あなたは一体何者なんですか?」
しかし鏡の中の黒いモヤは質問に答えることはなかった。逆に鏡の中のそれはこちらに質問を投げ掛けてくる。この状況にそういえば一つの質問に対して一つ、相手の質問に答えなければいけないという制約があったと圭太は今更ながら重要なことを思い出していた。
「……あなたは誰?」
「僕は新海圭太です」
質問に答えると目の前の黒いモヤは動揺しているのか、一際黒いモヤの輪郭が不安定になる。そしてここでようやくアオイさんが恐る恐るといった感じで口を挟む。
「圭太君、もしかしてこれって私なの? でも私はちゃんとここにいて、でも鏡の中にもいて……」
混乱しているらしいアオイさんに圭太は一先ず落ち着くよう促す。しかしそれでもアオイさんが落ち着くことはなかった。寧ろ彼女は段々と取り乱していく。
「……分かんないよ! どうして私がここにいるの?」
「アオイさん、まずは落ち着いて下さい。一回深呼吸しましょう」
一体これはどういう状況なのだろうか、そう思ってしまうほど今のアオイさんはいつもと様子が違った。彼女は更にヒートアップしていく。
「ねぇどうして私なの? どうしていつも私がこんな目に遭わなきゃいけないの?」
アオイさんがついに訳の分からないことを口にしたとき、背後からパリンという音がした。その音で咄嗟に後ろを確認すると、先程までそこにあった姿見の一部が破損していた。それに加えて姿見の破損した部分からは黒いモヤが漏れ、それはアオイさんの方へと続き、彼女の体を覆っていた。
「私はただ普通に生きたいだけ、どうしてみんな邪魔するの?」
先程アオイさんが動揺してしまったからなのか、それともアオイさんという存在自体があの黒いモヤを引き寄せてしまったのかは分からないが、とにかく彼女が今危険な状況であるということは理解できた。一体どうすれば良いのか、考えているうちに先程自己紹介したときの黒いモヤの反応が頭の中に浮かんだ。確かあのときは黒いモヤが動揺しているように見えた。もしかしたらそうすることがこの状況の打破に繋がるのかもしれないと圭太は試しにアオイさんへと声を掛ける。
「アオイさん、僕が分かりますか? 圭太です、新海圭太です」
「……圭太君?」
するとアオイさんは一瞬こちらを見た。しかしそれはほんの一瞬だけ、その後すぐに先程までの混乱状態へと逆戻りする。ただ反応したことには反応していた。それならと圭太は声を掛け続ける。
「アオイさん、どうしましたか? 嫌なことでも思い出しましたか? 僕ならここにいます。いつでも頼っていいんですよ」
元々どうしてここまでしたいと思ったのかは分からない……。
「……圭太君はどうして私だけを見てくれないの?」
「アオイさんことなら毎日見てます」
どうしてアオイさんのことでここまで心が痛むのかも分からない……。
「……圭太君、寂しい。圭太君がいないと私は何も出来ないよ」
「そんなことはないです。アオイさんは強い人です。それでも駄目なら僕がいくらでもアオイさんの力になりますよ」
ただ気づいたときには体が勝手に反応していた、感じていた。きっとこれは理屈どうこうの話ではないのだ。だからきっと……。
「圭太君、たすけて……」
こんなふうに助けを求められたら体が勝手に動いてしまうのだろう。
「はい、今行きます」
圭太は黒いモヤに覆われているアオイさんのもとへと向かい、彼女を抱き締めた。少しでも安心させようと、少しでも近くに行けるようにと、少しでもアオイさんを助けたいという思いが届くようにと。
一体どれくらいこうしていただろうか、体感ではもう一時間はこうしていたような気さえある。そんな中でいつの間にか黒いモヤから解放されていたアオイさんはゆっくりと呟くように言葉を吐いた。
「……ごめんね、圭太君。私またみっともないところ見せちゃったね」
「いえ、そんなことないです」
きっとアオイさんは今までの間ずっと孤独と闘ってきたのだろう。辛くても耐えて、それでも駄目なら心の底に押し込んで、表面上では何事もなかったかのように振る舞った。それでも今回はそれが限界を超えて爆発してしまったのだろう。一体それのどこがみっともないと言えようか、寧ろ今までよく頑張ったと称賛の声があっても良かった。
そして問題のあの黒いモヤ、今となっては消えてしまっているため確認のしようがないが多分あれは彼女の心そのものなのだろう。長年、日々積もる負の感情を押し込めておくだけの器と成り下がったそれはきっと助けを求めて持ち主の心から離れて一人でにさまよっていたのだ。一体どのくらい耐えればそれほどまでに心が疲弊するのか、それを思うと強く胸が締め付けられた。
「圭太君、私聞こえたんだよ。何も見えない真っ暗な中で圭太君の声が。圭太君は私のことを助けようとしてくれたんでしょ?」
「それはまぁ……アオイさんは家族みたいなものですから」
照れ混じりに言うと、アオイさんは耳元でふっと笑う。
「そっか、いやそうだよね。本当だったら今日はもう家に帰りたいって気分だけど……」
とここでアオイさんは急に声のトーンを落とす。普段と違う彼女の声に圭太が身構えているとアオイさんはそれからゆっくりと静かに呟いた。
「なんだかもうあんまり時間が無さそうなんだよね……」
身構えていたにも関わらずアオイさんが呟いた言葉に圭太の頭の中は真っ白になっていた。
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