45 それはまるで星のように③

 夜の学校には誰もいない、そこはただ静寂が全てを支配している場所だった。そんな夜の学校一階廊下にペタペタと二人分の足音が響き渡る。


「ごめんね最後までこんなことに付き合わせて」

「いえ、アオイさんの頼みですから。でも夜の学校を回るなんてなんだか変な気分です」


 彼女は言った、あまり時間が無いと。それは普段から聞き馴染みのある言葉だが、今回のは少しニュアンスが違う気がした。多分それはもう彼女と一緒にいられないということで、つまり世間一般でいうところの成仏ということなのだと、そう理解することが出来た。


「えーそうかな? そうでもないと思うけど」

「それはアオイさんが夜の学校に慣れてるからですよ」

「いや違うね、圭太君がただ怖がりなだけだよ」

 

 『全く圭太君は私がいないと駄目なんだから、なんだか心配だな』と呟くアオイさんはどこか寂しそうで、どうしてだか胸がチクリと痛んだ。しかしそれでもこのことは悟られないようにと圭太は平常心を装って彼女の話に耳を傾ける。


「そういえば初めて会ったとき圭太君はどうして私のこと見て怖がらなかったの?」

「いや、正直初めはかなり怖かったです。だっていきなり僕の背後に現れたんですよ、怖くないわけないです」

「そうだったんだね、てっきり私のサプライズに喜んでいるのかと」

「サプライズだったんですか?」

「そうだよ、圭太君がどんな反応をするのか気になってね」


 そう言ってウインクするアオイさんに圭太はやれやれと諦めたように首を横に振る。アオイさんはどこまでいってもアオイさんだということなのだろう。しかしそれでも一言くらいは注意があった方が良いと圭太は口を挟む。


「でもアオイさん、そのサプライズは止めた方が良いですよ。多分喜ぶ人いないです」

「大丈夫、やるとしても圭太君だけだからね」


 アオイさんからの再びのウインクに圭太が苦笑いしていると、アオイさんは急に窓の外を指差した。


「あ、見て見て、圭太君!」

「アオイさん? そこに何かあるんですか?」

「うん、ほら星がたくさんあるよ」


 アオイさんが指差した方向を見ると確かに無数の星が夜空に輝いていた。とはいっても雲がなければいつでも見ることができる光景。どうしていきなりそんなことを言ったのか気になってアオイさんを見ると、彼女は笑みを浮かべて言った。


「ただの気まぐれだよ。それよりもちょっと屋上に行ってみない?」

「……僕は構わないですけど」

「だったら早く行こうよ。善は急げだよ、ほら早く!」


 アオイさんに腕を引かれるがままに走る。一階の廊下から屋上まで階段を駆け上がり、ようやく屋上に繋がる扉の前まで来ると彼女は勢いよく扉を開けた。


「ほら、見てよ! やっぱりすごいよ!」


 先に屋上に出たアオイさんに続いて屋上に出ると、そこはもう別世界だった。視界一杯には無数の小さな光、まるで自分自身が宇宙の真ん中にでもいるのかと錯覚してしまうような光景に綺麗だと思う反面、このまま闇に飲み込まれてしまいそうで少し怖くもあった。

 しばらく夜空に瞬く星を眺めていると、アオイさんの声が少し離れたところから聞こえてくる。


「圭太君、こっちで見ようよ」


 声の方に顔を向けるとアオイさんはベンチに座っていた。ポンポンと空いている席を手で示す彼女に従ってベンチに座ると彼女は再び空を見上げる。


「私、星とか見るの結構好きなんだよ。生きているときもそうだったけど、幽霊になって圭太君に会うまではよく星を見てたんだよね」


 続けられた『圭太君はどう? 星とかよく見る?』という質問に首を横に振ると彼女は少し残念そうな表情をした。


「そっか、圭太君は見ないんだね。でもそれってなんだか勿体ない思うな」

「そうですか?」

「そうだよ、今何気なく見えてるこの星だってすごい昔のもので、今はもう無くなってるかもしれないんだよ? もしそうだったら今のこの空はもう二度と見られないでしょ?」

「それってあれですよね。今見えている星の光が十七年前のものっていう」

「そうだね、多分それはアルタイルのことだよ、ほら今も見えてるでしょ」


 そう言ってアオイさんは夜空に浮かぶ星に向かって指を差し始める。


「あれがわし座のアルタイル、そしてあれとあれがはくちょう座のデネブとこの中で一番明るいこと座のベガ、その三つが夏の大三角だよ。圭太君も聞いたことはあるでしょ?」


 アオイさんが指を差した場所に視線を向けると、夜空に浮かぶ星達の中で一際輝いている三つの星が確かにあった。あれがきっと夏の大三角なのだろう。


「結構大きいですね」

「星なんだから当たり前だよ。でも良かったよ、最後にこんな綺麗な空が見れて」


 アオイさんの言葉に圭太は思わずずっと気になっていたことを聞いていた。


「……やっぱりアオイさんはもうすぐ消えちゃうんですか?」


 圭太の質問にアオイさんは空を見ているだけだったが、しばらくするとポツリと呟き始めた。


「どうなるのか分からないけど多分そうなるかな。結局あんまり一緒にいられなかったね」


 気づくとアオイさんは再び空を見ていた。


「圭太君は知ってる? さっき言ったベガとアルタイルが七夕の織姫星と彦星なんだよ」

「はい、知ってますよ。織姫と彦星は一年に一度七夕の日だけ会える」

「その話ロマンチックだよね。なんだか憧れちゃうよ。だってそうでしょ? 逆に考えれば例えもう会えなくなったとしても一年に一回は必ず会えるってことなんだよ? それってすごいことだよ!」


 傍から見れば楽しそうにしているアオイさんだが、圭太には彼女が無理をしているように見えていた。だからだろうか、気づけば彼女の本心を引き出そうと自らの本心を口にしていた。


「僕達もそうなれたら良いですね」

「それってどういう……」

「さっきアオイさんも言ってたじゃないですか。例えもう会えなくても一年に一度七夕の日だけ会えるのは憧れるって」


 この言葉にアオイさんはふっと笑う。それと同時に彼女の頬には一筋の涙が流れていた。


「そうだね、そんな関係になれたら良いね」

「もしそうなったら七夕の日はアオイさんのために沢山料理を作りますよ。きっとお腹が空いてますよね」

「じゃあその時はお願いしようかな」


 徐々にアオイさんの体から明るく、それでいて優しい光が漏れ始める。


「でもアオイさんが戻って来たときには一年間家事をやって来なかった分、色々手伝ってもらいますからね」

「程々にしてね」


 光はやがて彼女の体全てを包み込み、彼女の体が少しずつ欠けると同時にその欠けたものが宙に溶けていく。


「アオイさんのことはこれからずっと忘れません」

「私も圭太君のことは忘れないよ……」


 アオイさんの体は既にそのほとんどが光となって宙に消えていた。その光景はまるで夜空に輝く星のようで、圭太の目にはとても綺麗に映っていた。


「そろそろかな、圭太君」

「そうみたいですね……」


 アオイさんの言葉に返事をすると彼女は一瞬迷うような仕草を見せた後ポツリと呟く。


「……そういえば私ずっと圭太君に言いたかったことがあるんだよね」


 ほとんどが光になっているアオイさんはそれから笑みを浮かべると続けて自らの手を圭太の頬へと伸ばした。


「今までありがとうね、圭太君。これまでの人生の中で今が一番幸せだったよ」


 アオイさんが最後にそう言うと彼女の体は形を失い、ついにはただの光となる。そして光はまるで夜空の星々に合流するように高く昇っていくと最後には小さく弾けて星々が輝く夜空に溶けた。その光景を見て圭太はただ一言だけ呟く。


「こちらこそありがとうございます、アオイさん」


 言葉の内容とは裏腹に彼の声には少し寂しそうな響きが含まれていた。

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