37 アオイさんとのプール③

 昴達、凛達と一時別れた圭太とアオイさんはウォータースライダーへと来ていた。全長約百メートルの長い道のりと十メートルほどの高さがあるそれはこれから滑る者に恐怖を与えるには十分過ぎた。もちろんそれは圭太とアオイさんの二人にも言えることだった。


「えーと、これ本当に滑るの?」

「時間かけてここまで来たのに今更引き返せませんよ」

「でもここから見ると思ったよりすごい高さだよ」


 アオイさんの言ったことは間違いではない。この十メートルの高さというのはビルに例えると四階くらいなのだ。そんな高さから滑ることはとても勇気がいることだった。


「でもやるしかないですって」

「私たまに圭太君のその謎の使命感が怖くなるよ。……でも分かったよ、私も腹を括るよ。でも滑る代わりに一つ条件があるんだけど聞いてもらえるかな?」

「条件ですか?」

「そう条件、滑るとき私は圭太君の近くにいたいの」

「近くって一緒に滑るんですから近いですよ」

「違う、そういうことじゃなくて……」


 アオイさんは口を閉ざして、それから控えめに手を伸ばしてくる。初めはただ何かを掴もうとしているのかとそう思っていただけだったが、彼女の今にもオーバーヒートしてしまいそうな顔を見た瞬間何かを掴みにいこうとかそういうことでないことはすぐに分かった。


「アオイさん、手でも繋ぎましょうか」


 圭太の質問にアオイさんはコクりと首を一度だけ小さく縦に振り、手を更に伸ばしてくる。どうやら手を伸ばしていたのはこれが目的だったようだ。それなら初めから言ってくれれば良かったのだが、そこは変な所で恥ずかしがり屋のアオイさん、仕方ないことなのだろう。


 アオイさんを連れてウォータースライダーのスタート地点に立つと水飛沫が足に当たり始める。それからアオイさんと一緒にスタッフの指示でゆっくり水が流れている部分に腰を下ろすと、アオイさんが一言だけ呟いた。


「圭太君、もし私が死んだら屍は拾ってね」


 普段からは考えられないようなアオイさんのしおらしい顔に圭太は突っ込みを忘れてただ彼女の顔を見る。そうしていると突然『それでは二名様、行ってらっしゃいませ!』という言葉と共に二人の体はここから十メートル下にあるプール目掛けて滑り出した。



 地球上で最も加速したのではないかと思ってしまうほど加速したように感じた体は一瞬だけ軽くなり、それから急激に重さが加わって水の中に落ちる。水中で息が出来ない苦しさに勢いよく水面へと顔を出すと近くには水面から頭だけ出したアオイさんがいた。


「圭太君、怖かったね」


 アオイさんから向けられた若干ぎこちない笑顔、それにそれほど深くないプールにも関わらず水面から頭だけしか出していない彼女の様子が気になった圭太は彼女に質問する。


「アオイさん、どうかしたんですか?」

「と、突然どうしたのかな、圭太君。私はこの通り元気だよ」


 質問して更に様子がおかしくなるアオイさんが益々心配になった圭太が彼女の方へと歩いていくと彼女は動揺し始めた。


「ちょっと待って圭太君! ストップストップ!」

「やっぱり何かあるんじゃ……」


 アオイさんの言葉に従い、素直にその場に止まると目の前にアオイさんの肌よりも更に白い布らしきものが流れてきた。


「あっ……」


 アオイさんがその布らしきものを見て声を上げ、その声を聞いた圭太はアオイさんを見る。圭太からの視線に気づいた彼女の顔は徐々に赤く染まっていった。


「これは……その……」


 アオイさんのおかしな反応に先程の白い布らしきものをよく見てみるとそれは紛れもなく水着だった。流れてきた水着、アオイさんの様子のおかしさ、その二つを考えれば自ずと一つの答えが導きだされた。


「す、すみません! そういうことだったんですね、僕はてっきりいつもの悪ふざけかと……」

「分かったならそれ以上言わなくていいよ。それと少しあっち向いててくれるかな」


 アオイさんの言葉に従い、すぐさまアオイさんに背中を向ける。まさかアオイさんの水着が流されていたとは思っても見なかった。


「もうこっち向いていいよ、圭太君」


 しばらく経ってアオイさんから声が聞こえると、自分の口からは自然と安堵のため息が出ていた。アオイさんといると何かにつけてハプニングが付き物だが、こういうハプニングは例え何回起こったとしても慣れる気がしなかった。


「あの……察しが悪くてすみませんでした」

「いや良いんだよ、私も悪かったところあるし……」

「……じゃあそろそろみんなのところに戻りましょうか」

「……そうだね、意外に並ぶのとか時間かかっちゃったからね」


 ハプニング後のアオイさんとの会話は多少ぎこちなかったが、さっきのことを考えると仕方ないことなのだろう。寧ろ最悪の事態にならなくて良かったと、今はただそう思った。


◆◆◆


「結構遅かったですね、二人で何してたんですか?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる凛の目はアオイさんをターゲットにしていた。きっと凛はアオイさんのことを気に入ってしまったのだろう。


「ウォータースライダーですよ。アオイさんが行こうって煩くて」


 どこに行っていたのかを説明すると隣にいるアオイさんは勢いよく首を縦に振る。彼女自身が真っ先に説明しないあたり、逆にアオイさんの方は凛のことが少し苦手のようだった。

 なんとなく二人の関係性が見えてきたところで二人から視線を外すとこちらを見ていた桜と目が合った。

 彼女がペコリと頭を下げるのに合わせてこちらも同じように頭を下げる。


「やっぱり別人みたいですよね」


 続けて彼女はどこかで聞いたことのあるようなことを呟く。それを聞いた圭太は彼女について前々から気になっていたことを思い切って聞いた。


「あの櫻井さん、ちょっといいかな?」

「はい、なんですか?」

「もしかして櫻井さんはアオイさんについて何か知ってる?」


 聞くと彼女は目を細めて静かに笑みを浮かべる。そして彼女は……。


「はい、知ってますよ。水着を買いに行ったときにも一緒にいましたよね。私って結構霊感がある方なのですぐに分かるんです。アオイさんはあの都市伝説の『アオイさん』ですよね?」


 そう言った。聞き間違えではなく、彼女の口で、声で、確かにそう言っていた。

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