35 アオイさんとのプール①

「ねぇ圭太君、本当に行くの?」


 家から出る直前、聞き慣れた声で聞き慣れた言葉が耳に届く。その声を出したのはもちろんアオイさんで、彼女は外出時家に留守番させられる犬のような表情をしていた。


「アオイさん、心配しすぎですよ。アオイさんが考えてるようなことにはならないです。それとその表情はなんか悪いことしてるような気分になるので止めてください」


 最後の表情についてはすぐに止めてくれたのだが、それ以外についてアオイさんは納得していない様子だった。


「本当に圭太君の心が狙われたりすることはないのかな。フォーリンラブとか、ひと夏のアバンチュールとかになったりしない?」

「それは確実にないですよ。何でそんな考えになるんですか」

「だって……」


 アオイさんはそこで一瞬間を置いてからチラッとこちらを見る。そして少し恥ずかしそうに言葉を続けた。


「圭太君って人に好かれそうだから」

「そうですか?」


 まさかそんなことあるわけがないと思って聞いてみれば……。


「うん、私が言うんだから間違いないよ」


 わりと真面目な顔で返された。そんなことはないと思っていただけにこちらも『はぁ……』とあくびのような、ため息のような言葉しか返すことが出来ない。それになんというか人に褒められるというのは慣れていない者にとってとてもむず痒く感じてしまうものだった。だから話を逸らしてしまうのも仕方のないことなのだろう。


「無駄話はこれで終わりです。ほらアオイさんは早く準備してください」

「無駄話じゃないよ! ……分かったよ、こうなったら私が全力で圭太君を狙う不届き者から圭太君を守り抜いて見せるんだから」

「それで良いですから、準備をお願いします。それと僕が恥を忍んで買った水着も忘れないで下さいね」


 そう、アオイさんの水着はアオイさんが選んだものを圭太が買っていた。買うときに店員からどう思われていたか、考えるだけでも恐ろしかった。


「恥を忍んでって買うとき店員さん、圭太君が男の子だって全く気づいてなかったよ。すごく笑顔だったし」

「違いますよ、あれは営業スマイルです。きっと裏ではすごいこと考えてましたよ」


 言っているうちに結局どっちの方が良かったのか分からなくなっていたが、それは過ぎ去った事で今更考えても仕方のないことなのだろう。


「えーそうかな、圭太君って女装似合うし」

「それとこれとは関係ないです。それよりも……」

「うん、分かってるって圭太君はせっかちだよね。って言っても私の準備はもう終わってるんだけどね」

「それってもしかして……」

「うんそうだよ!」


 それからアオイさんは着ていたスカートの裾を掴んで自分から勢い良くめくり上げる。一瞬ドキッとするが、彼女のスカートの下には想像通りの光景が広がっていた。


「下に水着を着てるんだよ。ほらこれなら水着を忘れないし、着替える手間も省けて一石二鳥だよ。私たまに自分の頭の良さが怖くなるよ」


 フフッと少し得意げの彼女に圭太は一つ指摘する。


「着替えを忘れたとかありがちなオチは止めてくださいよ」

「大丈夫だよ、それはこっちのバッグに入ってるから。あまりお姉さんをなめないでもらいたいね」

「だったら良かったです。じゃあ行きましょうか」

「ちょっと反応冷たいよ、圭太君」

「気のせいですよ」


 何でもないやり取りをした圭太とアオイさんはそれから集合場所の学校へと向かうために家を出た。


◆◆◆


 そして学校に着くと、そこには既に自分とアオイさん以外のプールに行く面々が揃っていた。


「あ、やっと来ましたね。あと初めまして、新海君の親戚の方ですよね?」

「初めまして今日はよろしくお願いします」


 そう言って手を振るのは凛、その隣でペコリと桜がお辞儀をする。


「あ、はい。私は圭太君の親戚でアオイと言います。よろしくお願いします……」


 一方のアオイさんも多少人見知りをしながらもしっかりと自己紹介をする。以前と比べればこれは大きな進歩だった。


「やっぱりそうですよね。そうだと思いました、新海君と同じようにアオイさんも可愛いっていうか美人ですもん」

「そうかな……」


 まんざらでもなさそうながらも恥ずかしいのか視線を地面に向けるアオイさんに凛は何を思ったのか突然彼女に抱きつく。


「そういう恥ずかしがってるところが最高です! やっぱり新海君の親戚だけはありますね!」


 凛の突然の行動に慌ててアオイさんを見れば、彼女の顔には既に生気がなかった。そんな彼女のまるでミイラのような顔に圭太はただ同情することしか出来ない。それとこれでアオイさんの凛に対する敵対意識が益々高まることは確実だった。


「あの、そろそろ……」

「そうだね、そろそろ新海君の番だよね」

「いや違くてそろそろ出発しないと」

「分かってるって、ちなみにさっきのは二割冗談だから安心して」

「えーと……」


 本気なのか、本気ではないのか分からない凛の言葉に困り果てていると彼女の横から助け船が出る。


「ほら凛、いつまでもふざけてないで早く行きますよ」

「えー今良いところなのに。桜もしかして嫉妬?」

「違います、新海君とアオイさん明らかに困ってましたよね? いい加減に凛は大人になって下さい。二人とも本当にすみませんでした」


 凛に変わって謝罪する桜に『大丈夫』と一言返した圭太はそれからアオイさんの方へと視線を移す。


「もう帰りたい……」


 視線の先にはガックリとうなだれている彼女がいた。どうやら先程の凛の行動が相当応えたらしい。


「アオイさん」


 圭太が名前を呼べばアオイさんはふらつきながらも彼に近づいていく。そしてついには圭太にもたれ掛かった。


「けーたくんっ!」


 そんな傍から見ればイチャイチャしているカップルのように見えるだろう光景に少し恥ずかしさを感じた圭太は慌てて彼女を引き剥がす。


「アオイさんしっかりしてください! みんな見てますって」

「……私はもう疲れたよ。あとは頼んだよ、圭太君」


 当初の目的を忘れた彼女はそれでも離れようとせず、後ろからは『アオイさん!?』という昴の驚いた声が聞こえ、周りでは複数の蝉がただ煩く鳴いていた。

 とにかくかなりカオスな状態で圭太はただため息を吐くことしか出来なかった。

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