25 アオイさんとプールの約束②

 帰宅後、圭太は自宅の冷蔵庫の中身と手に下げたスーパーのビニール袋の中からハンバーグの材料を取り出し、すぐに調理へと取りかかっていた。

 そんな光景を横で見ていたアオイさんは何か察したようで表情を輝かせながら圭太へとすり寄る。


「ねぇもしかして今日の晩御飯ってアレ?」

「はい、大根おろしたっぷりの和風ハンバーグです」


 圭太の言葉でアオイさんはより一層喜びをあらわにする。もちろんそれはアオイさんの大好物がハンバーグだからで、その中でも特に大根おろしが乗った和風ハンバーグが彼女の中では今一番ホットだった。


「それにしても圭太君がハンバーグなんて珍しいね。いつもだったら面倒くさいとか言って作らないのに」

「僕そんなこと言いましたっけ?」

「言ったよ。だって圭太君のハンバーグ、まだ私一回しか食べたことないもん」

「じゃあ今日は偶々そういう気分だったんですよ、きっと」


 そう言って笑いながらアオイさんの言葉を流すが、もちろん今日ハンバーグを作ろうとしているのは偶々なんかではない。これはもちろん、この後の話のために少しでも彼女の機嫌を良くしようとしてやっていることだった。


 それから時間が経って食事中、圭太は意を決して彼女に話しかけた。


「あのアオイさん、ちょっと話があるんですけどいいですか?」

「ん? 何かな?」


 ハンバーグを頬張る彼女はやはり機嫌が良く、普段よりも三割増しで明るく返事をする。そんな様子の彼女に今なら大丈夫だろうと圭太は昼間の一件を口にした。


「……すみません、僕アオイさんとの約束破っちゃいました」


 しかしそう上手くはいかず、先程まで機嫌が良かった彼女は話を切り出した途端、顔から明るい表情を消し去る。


「圭太君、それってつまり女の子とどこかに行く約束をしちゃったってこと?」

「はい、結果的に言えばそうです」

「なんで断らなかったの?」

「いや、断ろうとはしたんですけど断りきれなくてですね」

「ふーん、圭太君がそのつもりだったら私にも考えがあるよ……」


 予想以上に緊迫した空気になってしまったことに圭太は驚いていた。というか好きな食べ物で少しでもアオイさんの機嫌を良くするという作戦は全く意味をなしていなかった。いけると思っていただけに圭太の中に多少の焦りが生まれる。


 とにかく今は彼女の考えというのが気になる。圭太は恐る恐る彼女に質問をした。


「……そのアオイさんの考えってなんですか?」


 すると彼女は『簡単だよ』と一言呟き、お皿に一口分だけ残っていたハンバーグを口の中へとしまう。それからしばらくモグモグと口を動かし、飲み込むと再び口を開いた。


「……私もその一行について行くよ」

「確認なんですけど、それってやっぱりアオイさんも一緒にプールに行くってことですよね?」

「もしかして圭太君は私が付いてきて何か困ることでもあるのかな? そうだよ、そういう意味しかないよ。というか圭太君に取り憑いてるからそうするしかないんだけどね」

「それは……そうかもしれないですね」


 確かに彼女の言う通りだった。初めに出会ったときからそうだが、彼女は自分から取り憑いた対象と一定以上離れることが出来ない。それはつまり圭太が誘われたプールに彼女も付いて行くしかないということだった。


「でもただ付いて行くだけじゃないよ。今回は私牽制しに行くからね」

「牽制って何するつもりなんですか……」


 牽制とは一体何をするつもりなのか、そもそも誰に対しての牽制なのか圭太には何も分からない。そんな圭太に彼女は『そんなの決まっているよ』とでも言いたげな

顔を向ける。


「そりゃ圭太君の横にピッタリ張り付いて誰も近寄れないようにするんだよ」

「それって何の嫌がらせですか」

「嫌がらせじゃないよ。ボディガードだよ、身辺警護だよ」

「僕そんな命とか狙われてないですけど」

「狙われてるよ。圭太君の心がねっ!」


 言葉に合わせてウインクするアオイさんはその後すぐに顔を赤くさせ俯く。きっとらしくないことを言って恥ずかしくなったのだろう。


 それはさておき、彼女はまだ変な勘違いをしているようだった。前にも相手の方にそういうつもりがないというのは説明したはずなのだが、こうなったらいっそのこと実際に見てもらった方が良いのかもしれない。


「分かりました、アオイさん。だったらボディガードをお願いします」

「えっ!? 本当にずっとくっついてて良いの?」

「いえ、そこは適切な距離でお願いします」


 とにかくアオイさんには心配しすぎだということを一回知ってもらいたい。そうすれば彼女が今後こういう提案をしてくることはなくなるはずなのだ。今回は寧ろこれで良かったのだろう。


「……んー適切な距離か。でも私と圭太君の適切な距離はゼロ距離だから、それってつまりそういうことだよね」

「アオイさん……」

「あっ圭太君、今のは嘘だから、冗談だよ。だからそんな可哀想な人を見る目で見ないでよ」

「大丈夫ですよ、僕はアオイさんをそんな目で見てません」

「でも圭太君、目が笑ってないよ! ずっと可哀想な人を見る目してるよ!」


 目の前で必死に声を上げるアオイさんはどこか楽しそうで、それにつられてか圭太も少しこの状況が楽しくなっていた。



 そして次の日、圭太は再び自分をプールへと誘ってくれた女子──結城ゆうきりんに話しかけていた。理由はもちろん、もう一人増えることを伝えるためである。


「……それでなんだけど、僕の知り合いを一人連れてきても良いかな?」

「それってもしかして女の子だったりする?」

「まぁそうかな……って言っても親戚のお姉さんなんだけど」

「ああ、親戚の人? それなら大歓迎だよ!」


 今の間が一体なんだったのかと聞くのは野暮なのだろう。遊びのメンバーにいきなり知らない人が来るとなったら誰だって良い気はしない。しかしそれでも嫌な顔を一つもしないのは多分彼女の人の良さのおかげだった。


「じゃあ本人にも伝えておくよ」

「うん、了解したよ」


 凛との話を終え、自分の席に戻った圭太の肩にトントンと誰かの手が乗せられる。その冷たい手の温度に振り返れば、そこにはいつものようにアオイさんがいた。


「なるほど、さっきの子が圭太君を狙ってるっていう女の子だね」

「そうじゃないですけど……とりあえずOKは貰いましたよ、アオイさん」

「そうだね、ここからが勝負だね」


 アオイさんは一体何と戦っているのか、疑問だったが黙っておくことにした。それは彼女には彼女なりの戦いがあるのだろう、そう思ったからだった。

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