26 アオイさんの逆襲

 よく晴れた休日、梅雨が終わり久々に空が見せた綺麗な青色を一階のリビングから見ていた圭太は自然と笑みを溢していた。というのも今日の圭太は暇を持て余していた。一通りの家事が終わり、残りのやることと言えば今洗濯機が止まったときに洗濯物を干すことくらい。少し前までは掃除に時間がかかっていたりもしたが、それもアオイさんが家に来て以来短縮されている。暇な時間でテレビを付けても良いのだが、今はなんとなく外を眺めていたい気分だった。


「ここ風が来て涼しいよね」

「そうですね、今日は洗濯物がよく乾きそうです」


 いつの間にか隣にいたアオイさんは涼しそうに目を細めていて、見ているこっちまで涼しく感じる。ここで彼女の手にでも触れば、もっと涼しいのだろうなと思ったりしたが恥ずかしさから流石にそんなこと出来なかった。しかし視線は彼女の手に釘付けになっていたらしく。


「圭太君、じっと私の手なんか見てどうしたの? もしかして何か付いてる?」

「いえ、そういうわけではないですけど……」

「そっか、それだったら手を繋ぎたいとかかな? ……って圭太君に限ってそんなことないよね」

「……」

「えっ……本当にそうなの?」


 アオイさんは初め少しだけ驚いていたが、少しするとその表情はニマニマとした笑みに変わっていた。それから彼女は『もう圭太君は仕方ないな』と言いながら嬉しそうにこちらへと手を差し出す。


 手を差し出されれば、圭太としてもその手を掴まないわけにはいかなかった。これは掴まないと相手に失礼だからであって、他にやましい感情は一切ない。ただ涼しさを求めていただけだった。


「じゃあ失礼します」

「どうぞ」


 恐る恐る彼女の手に触れると、そこから冷たさが全身を駆け巡った。それは夏に入りかけの今の時期ではとても気持ちの良いもので、例えるならば風呂上がりに飲んだ牛乳が体全体に染み渡る感覚と似ていた。


「あの圭太君、私でもそこまでされるとちょっと恥ずかしいかな」


 アオイさんの声に顔を上げると、彼女は少し顔を赤くして恥ずかしがっているようだった。それからなんとなく自分の手元を見てみると、そこでは自分の両手が彼女の手を包み込むように握っていた。

 気づかぬうちに大胆なことをしていたと圭太は慌てて手を離す。


「すみません、アオイさんの手が冷た気持ちよくてつい……」

「いや良いんだよ、圭太君が喜んでくれたのなら私の右手も本望だから」


 彼女の言葉から本気でそう思っているというのが伝わって来て、なんとなく圭太は居たたまれない気分になる。それに加えて自分がいかにストレートな言葉に弱いのかを充分なほど思い知らされていた。


「アオイさん、喉渇きませんか? 飲み物持ってきますよ」

「ありがとう、圭太君。お願いしてもいいかな」


 今の件で喉の渇きを感じていた圭太はアオイさんの返事を聞いてからキッチンへと向かう。

 少し経って、二つの麦茶が入ったコップを持ってリビングに戻ってくると、そこはやけに静かだった。


「アオイさん? いないんですか?」


 声をかけても返事がない。二階にでも行ったのだろうかと思い、とりあえず持っていたコップをテーブルに置くと近くのソファから小さな寝息が聞こえてきた。


「アオイさん……」


 ソファには綺麗な顔で目を瞑るアオイさんがいた。その姿は肌の白さも相まって良い意味で生きているようには見えず、どこかの美術品だと言われても納得がいった。

 とにかくこんなアオイさんは珍しかった。彼女の寝顔は彼女がこの家に来てからまだ一度も見たことはなく、今回が初めてなのだ。そうなれば当然いたずら心が芽生えてもおかしくはなかった。


「ちょっとくらいなら大丈夫だよね」


 独り言を言って本当に起きないかを確認し、それから彼女の頬に指先で触れる。予想通り冷たく、予想以上に柔らかい頬が指先を押し返してくる、その感覚をじっくり堪能していると、寝返りをしようとした彼女がソファから落ちそうになる。そんな彼女を慌ててソファから落ちないように支えると突然彼女に腰を捕まれ、そこから巻き込まれる形でソファの背もたれ部分と彼女の隙間へと連れていかれた。


「ちょ、ちょっと!?」


 本当に突然のことで動揺していると、目の前にある先程まで閉じられていたアオイさんの目がパッチリと開く。それから彼女は軽く微笑むと耳元で一言呟いた。


「寝てる私にいたずらなんて大胆だね、圭太君」


 この一言を聞いて、ようやく彼女が初めから起きていたことを理解した。そして同時に恐怖した、いたずらしたことがバレているなら自分は一体これから何をされてしまうんだろうかと。それは彼女にも伝わっていたらしく彼女は再び微笑むとさらにこちらへと体を密着させる。


「もしかしてこれから酷いことされるとか思ってる? 大丈夫、私そんなことしないよ」

「本当ですか?」

「うん、でもお仕置きは必要だよね」


 そしてアオイさんはこちらの首筋へと息を吹きかけた。


「……ふへぇ!?」


 突然感じたあまりのこそばゆさに思わず変な声が出てしまうが、他にどうすることも出来ない。それは自分の体がアオイさんにがっしりとホールドされていて身動きが取れないためだった。


「まだまだこれで終わりじゃないよ」


 続けて今度は耳元に息を吹きかけられる。先程の首筋とはまた別の耳の奥を優しく撫でられているような感覚が耳を襲う中、圭太は全身に力を入れて、こそばゆさを必死に耐えた。


 そしてどれくらいだろうか、体感としては一時間程だっただろう。それくらい経ってようやく満足したアオイさんは息を吹きかけるのを止めて、自らの体を起こした。


「今日はこれくらいで勘弁してあげる。分かったらもういたずらはしないね?」

「はい、すみません」


 そう返事をすることしか出来なかった。それは今回のことでアオイさんに対して出来心でいたずらしてはいけないと分かったため。


「それか、もしやるんだったら私に言ってからにしてね」


 『そのときは歓迎するよ』と言って笑うアオイさんが圭太には悪魔のように見えて苦笑いするしかなかった。

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