二章

24 アオイさんとプールの約束①

 アオイさんが帰って来てからは何かが著しく変わったとかそういうのは特になかった。ただ著しくではないにしても少しだけ変化した部分はある。


「ああっ! 圭太君、番組変えたでしょ! 私その番組見たかったのにっ!」

「えっ!? あっすみません。見てないと思ったので」


 それは前よりも少しだけ我が儘になったということ。しかしきっとこれが本来の彼女なのだろう。そう思うと自分が以前よりも彼女と親密な仲になっている気がして少しだけ嬉しかった。


「まぁいいよ。それよりも圭太君、世間的にはもうすぐ夏と呼ばれる季節になるよね」

「いきなりどうしたんですか? それはもうすぐ七月ですし夏ですけど」

「そこで私思ったんだよ。プール、そうプールに行きたいってねっ!」


 何故かドヤ顔のアオイさんに圭太は『はぁ……』と気の抜けた返事をする。圭太としては特にプールに行くこと自体否定するつもりはない。ただ、どうして今の時期に言ったのか分からなかった。プールに行こうという誘いは実際七月に入ってからでも遅くはないのだ。

 その疑問を解消するため圭太はアオイさんに問いかける。


「でもどうして今プールに行こうって言ったんですか? まだ一応六月ですし、暑くもないですよ?」


 圭太の問いかけに何故かアオイさんは『ほぉう……』と疑いの視線を向けてくる。何か不味いことでも言ってしまったのだろうかと頭の中を整理するが特に不味いことは言っていない。だったらなんだろうと彼女の視線に視線で返すと、彼女はゴホンと一つ咳払いをして言葉を続けた。


「だって圭太君と早めに約束しないと予定埋まっちゃうでしょ」

「それは僕に友達が多かったらそうですけど、実際はそうじゃないですし、精々行くとしても昴と冬馬と一緒に行くくらいですよ」

「違うよ、圭太君。私は他の女の子と一緒に行くんじゃないかってことを心配してるんだよ」


 一体何を言っているんだとそう思ったのは不自然なことではない。何故なら知り合いの女子の中で誘ってきそうな友達など一人も思い浮かばないのだ。だからこそ彼女の言っていることが分からなかったのだが、彼女本人は何故か確信を持っている様子だった。


「圭太君、私が気づかないと思った?」

「何がですか?」

「何だか最近圭太君の服から女の子の匂いがするんだよ。それも一人や二人じゃなくて沢山だよ! け、圭太君は私の知らないところで一体どんな破廉恥なことしてたのかなっ!」


 顔を赤らめるアオイさんは手で目を覆っていて何かあらぬ誤解を招いているようだった。匂いの原因は多分見知らぬ女子達が最近やたらとお菓子をくれるからなのだが、圭太としてはその部分をどう説明するかが悩み所だった。下手に説明すれば誤解されかねないし、未だに彼女達がお菓子をくれる理由がよく分かっていないのだ。だがアオイさんの誤解を解かなければいけないというのもあって説明しないわけにはいかなかった。


「えーとこれは違うんですよ、アオイさん」

「何が違うの?」

「説明しにくいんですけど、ある日から突然クラスの女子達がお菓子をくれるようになったんですよ。というかアオイさんも見てましたよね?」


 問いかけられたアオイさんは『そうかあれか』と呟いていて、それで納得してくれたのかと思ったのだが彼女の目は更に厳しいものに変わっていた。


「お姉さんは寧ろ心配になったよ。ただでさえ圭太君はモテるだろうし」

「いや、そんなことはないと思いますけど……」


 生まれてこの方女子にモテたことなど一度もない。ちなみに一時期何故か男子にモテたことはあるが、それは今関係ないだろう。


「いやいや、そんなことあるよ。きっと圭太君が気づいてないだけで向こうは圭太に気があるよ」

「そうなんですか?」

「そうだよ」


 いまいちピンとは来ないが、これ以上言い争うのも不毛なので圭太は彼女の言葉に対して『分かりました。じゃあ夏休みにプールに行きましょうか』と返事をする。

 そもそもこれはアオイさんがプールに行きたいという話で、彼女とプールに行くこと自体に異論がない圭太にとっては初めから承諾していれば良かっただけの話だった。寧ろ何故こんな会話になったのかということが圭太には分からなかった。


「じゃあ約束だよ、くれぐれも他の女の子の誘いには乗らないようにね」

「そんなことないと思いますけど、一応分かりました」


 いつになく真剣な表情で釘を刺すアオイさんに内心、大袈裟だと思いながらも圭太はなんとなくで承諾の言葉を返した。


 そして次の日、まさかのまさかでアオイさんの心配が現実になろうとしていた。


「……ところで新海君って泳げるの?」


 突然来た質問に圭太は飲んでいたお茶を吹き出しそうになるも必死に口元を押さえる。


「一応人並みくらいには泳げるけど、どうしていきなりそんなこと聞いてきたの?」

「いや、もうすぐ夏休みだから海とかプールとか楽しみだなって」

「へぇ……」

「ねぇ新海君って夏休み何かする予定とかあるの?」

「えーと今のところは昴達とどこか行くかもしれないってだけかな」

「そっかー、だったらさ私達とプールとか行かない?」


 アオイさんの心配がついに現実になってしまった。幸いというべきなのか今は圭太の近くにアオイさんはいないが、そういう問題ではない。アオイさんに『他の女の子の誘いに乗らない』と約束してしまっただけに圭太はこの誘いを断らなければいけないが、人の誘いをあまり断れない圭太にとって、それはとてつもなく難しいことだった。


「えーといつ行くつもりなの?」

「それは新海君に合わせるよ」

「でももしかしたら昴と冬馬が家に来るかもしれないし」

「だったら二人も一緒に誘おうよ」

「……そうかもね、分かった。二人に言っておくよ」


 だから誘いを断れなかったとしても許して欲しかった。アオイさんがこの話を聞いたら一体どんな反応が帰ってくるのか、考えるだけでも憂鬱だった。


 とにかく今日の晩御飯はアオイさんの好きな物でも作って少しでもアオイさんの機嫌を取ろう。そう圭太は心の中で決めた。

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