23 大切な居場所
放課後、夕日が差し込む校舎の中を圭太は走っていた。というのも数ある捜索候補の中で学校が一番怪しかった。アオイさんがいなくなったのは学校、それに初めて彼女と出会ったのも学校、となれば彼女は学校にいる可能性が高かった。
「アオイさん……」
走っている間にも彼女のことが気になり、彼女の名前を呟く圭太。彼の頭の中には今までのアオイさんとの出来事がまるで走馬灯のように流れていた──。
初めて彼女が家に来たときには面倒なことになったと、ただそう思っていた。しかし、その考えは一週間ほど経った頃になると綺麗さっぱり消えていた。単純に彼女との生活に慣れたというのもあるが、一番の理由はやはり楽しかったから。家事を分担したり、一緒に作った料理を食べたり、休みの日には一緒に出掛けたり、まるで本当に家族が出来たような感覚だった。実際本当の家族と一緒に過ごすことが少なく、ほとんどをただの一人だけで過ごす者にとってはとても新鮮な感覚だったのだ。だからこそ彼女がいないという事実に、まるで心にポッカリと大きな穴が空いたかのような喪失感を味わっていた。しかし今は感傷に浸っている場合ではない。
圭太は一度立ち止まり、深呼吸をして心を落ち着かせる。彼女の声を最後に聞いたとき彼女はどこか寂しそうにしていた。今なら分かる、そのとき既に彼女はいなくなるつもりだったのだろうと。そして考えられる原因は直前にあった『水曜日の呪い』の件ただ一つ、もし彼女がそれを気にして自分のもとから離れていったのだとしたら……。
その答えにたどり着いたとき、圭太は怒りを覚えずにはいられなかった。だってそうだろう、この件では彼女に一切非がない。にもかかわらず責任を感じていなくなった。それは既に彼女を家族だと思っている圭太にとっては身勝手に思えて許せなかった。
それからふと圭太は周りが静かなことに気づく。先程までグラウンドで部活動をする生徒達の声が聞こえていたはずだったが、どうしてか今はどこからかも声が聞こえて来ない。それどころか先程まではまだ健在だった夕日も沈んでいた。真っ暗な廊下、暗さも相まって普通ならあり得ないと恐怖する状況の中で圭太は怖がることなどなく再び廊下を走り出した。それは以前にも似たような状況があったため。もしかしたらこの先にアオイさんがいるかもしれない、そんな希望があったためだった。
◆◆◆
「アオイさん!」
そう叫びながら走った先には以前にも見たことがある教室の扉があった。着いた勢いそのままに教室の扉を開け、中を見渡す。
「アオイさん!」
圭太が教室を見渡すと、中には机の上で蹲るアオイさんがいた。アオイさんは圭太の声に反応して一瞬ビクッとなった後、圭太の方を見る。
「圭太君……」
どうしてここに? という疑問を顔に浮かべたアオイさんに圭太は『心配しましたよ』と言いながら近づいていく。アオイさんは一瞬嬉しそうな表情をするも……。
「駄目、来ないで!」
すぐに首を横に振って圭太を拒絶をする。しかし、圭太は彼女の言葉を聞かず更に彼女へと近づいていった。一歩一歩、足を前に踏み出す度にアオイさんが必死に声を荒げるが、圭太の歩みは止まらない。
「アオイさん」
そして圭太がようやく止まったのはアオイさんの目の前だった。圭太はそれからアオイさんの肩を掴む。そんな彼のいきなりの行動にアオイさんはかなり動揺していた。
「け、圭太君!?」
動揺するアオイさんに圭太はゆっくりと問いかける。
「アオイさん、どうしていきなりいなくなったりなんてしたんですか?」
言葉の内容だけ見ればアオイさんを咎めているようにも聞こえるが、実際の声からは心配というニュアンスだけが強く感じられた。それを感じたアオイさんは俯いてから一言だけ言葉を発する。
「それは前にも言ったけど、私が圭太君と一緒にいると圭太君が危ない目に遭うからだよ。だから私は……」
きっとこれが彼女が考えに考えて導きだした答え。出来れば彼女の考えを尊重したいが、今回はどうしても認めることが出来なかった。きっとこれは我が儘なのだろう。
「でも僕はまだアオイさんと一緒にいたいです」
「そんなの本当は私だってそうだよ……」
「だったらどうして駄目なんですか。例えどんな悪いことが起きたとしても僕は気にしませんよ」
今の言葉がアオイさんを困らせてしまっていることは分かっている。しかし今心の中にあるのは彼女ともう一度暮らしたいという願いそれだけなのだ。だからだろう、到底諦めることなど出来なかった。
「圭太君はずるいよ。そんなこと聞いたら気持ち変わっちゃうよ。でもそれは無理な話なんだよ。圭太君が良くても、私は圭太君を危ない目に遭わせたくないの……」
何を言ってもアオイさんは取り合おうとしない。そんな彼女に圭太は更に踏み込んだ質問をした。
「それはアオイさんが隠している事に何か関係してますか?」
一瞬にしてアオイさんの表情が悲しげなものに変わった。それから彼女は『もしかして何か知ってるの?』と問いかけるが、圭太は首を横に振る。
「いえ、何も知りません。でも何か隠していることくらいは分かります」
「そっか……」
するとアオイさんは深く深呼吸をする。そして少し間を置いてからポツリと、ある話を始めた。そんな彼女から発せられた言葉は悲しい声音に彩られて圭太の耳へと届く。
「私ってね、ずっと前は圭太君と同じ学校に通ってたんだ。でもそこでは私は必要ない、要らない子だったんだよ。直接言われたわけじゃないけどみんなはきっとそう思ってたはずだよ」
「要らない子ですか?」
正直どういう意味か分からなかった。だから聞き返したのだが、彼女の表情はさらに暗いものになっていた。
「そうだよ、要らない子。昔は私苛められたんだよ」
アオイさんから発せられた言葉が耳に届いた瞬間、言葉を失っていた。それはきっと彼女の言葉の前ではどんな言葉も安っぽいものと思えてしまったため。
そう思ったからこそ圭太は彼女の話を黙って聞いていた。
「ずっと辛かった、学校に行っても居場所がなくて、家に帰っても居場所がない。本当に地獄だった。何もかもが嫌になった。だからこうなっちゃったのかな……」
続けられた『私って結構弱いんだよ』という言葉に顔を上げると、彼女の頬には一筋の涙が伝っていた。初めて人に話したのだろうか、彼女が圭太に心配させないように浮かべた笑顔は少しぎこちなく、それはまるで今の彼女の心境を表しているようにも見えた。
「でも、そんな私でも居場所が出来たんだよ。ようやく出来た私がいてもいい場所。嬉しかったんだよ、圭太君」
少しずつだがアオイさんの表情は良い方向へと変化していた。きっとそれは自分との生活を楽しんでくれていたからだろうと、そう思う一方でそれなら何故彼女がいなくならなければいけないのかという疑問も同時に感じていた。
「……だからこそ、この大切な居場所を壊したくなかった。初めから私がいたら駄目だって分かってたはずなのについつい圭太君に甘えちゃって、最終的には圭太君を危険な目に遭わせて、私って本当に駄目なお姉さんだよね」
一体どうしてそんな考えになってしまったのか、圭太が感じていた疑問はやがて怒りによく似た感情へと変わっていた。内から溢れだす感情を抑えきれなかった圭太は勢いそのままに口から感情を吐き出す。
「駄目なんかじゃないです。どうしてアオイさんはそう考えちゃうんですか。それに居場所を壊したくないって、まるでアオイさんがそこに含まれてないみたいじゃないですか!」
「そうだよ、この居場所に私は必要ないの……」
「それは違います!」
違う、アオイさんは何も分かっていない。彼女の願いは居場所を壊したくないということ。だがそれだったら尚更彼女という存在が必要不可欠なのだ。
「……僕にとってはアオイさんも居場所の一部なんです。アオイさんがいなかったらそれはもう居場所じゃないんですよ」
「でも……だったらどうすればいいの……」
彼女はもしかしたら自分が不幸を運ぶ存在か何かだと思い込んでいるのかもしれない。だからこそ自分から遠ざかって、居場所を守ろうとした。だがそれはきっと間違っているのだ。そんなことをしても居場所を守るどころか壊してしまうだけ。それならいっそのこと自然に壊れてしまうまで好きなことをしている方がまだいい。もとより居場所とはいつか壊れてしまうものなのだから。
「簡単です。いつか壊れるなら今無理に壊さなくてもいいんです。僕はアオイさんといる時間が好きなんですよ」
気づいたときにはとんでもなく恥ずかしいことを口走ってしまっていたが訂正する気などはなかった。きっとこれが本心なのだから。
「……私だって圭太君と過ごした時間は好きだよ。でも本当に私なんかでいいの? 私は幽霊で圭太君とは違うんだよ?」
「私なんかとか言わないで下さい。それに今更幽霊とかそんなの関係ないじゃないですか、アオイさんが遠慮なんてらしくないですよ」
嬉しそうでいて不安そうなよく分からない表情で問いかけるアオイさんに圭太は安心させるよう彼女の目を見てゆっくりと笑顔で頷く。その直後彼女の口から『ありがとう』という言葉が聞こえたような気がした。
きっと彼女と本当の意味で心から打ち解け合うにはまだまだ時間がかかるのだろう。だけれど少しでも早く打ち解け合えたらと再び夕日が差し込んだ教室でそう思った。
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