第14話 カフェ・マキアート
焼き上がりつつあるアップルパイの甘い香りが漂ってくる。
小麦粉の香り。バターの香り。リンゴの香り。ほのかに薫る、シナモン。
子どもの頃、母親の作る料理を待ちきれずに献立を当てていた頃のことを思い出す。
アミタニさんとも一緒に食べたいな、と、いつか再会できる日を願っていた。私の好きな人は、キャス主だったはずなのに。
マスターの足音が聞こえ、テーブルの上にグラスが置かれる音がふたつ。目の前にいるのがアミタニさんだったら、どんなに素敵なことだろう。私は、アミタニさんに恋をしていることを自覚し始めた。
「失礼ですがお母様、何度かご来店いただいていますよね?」マスターは渋い声で言った。
「ええ、この子を盲学校に送り迎えしていた頃、家に帰るのが面倒な日に、奥様とよく話させていただいていました。……そういえば今日は奥様は出てらっしゃらないんですね?」
「妻は……もう……」マスターの声が沈む。
「すみません、失礼なことを!」母親のこんなに焦った声は初めて聞く。
「いえ、ご存知なくても無理ありませんから、お気になさらず」マスターは、また渋い声で言った。
***
焼きたてのアップルパイの香ばしい香りと、”あのときの”コーヒーの香りが近付いてくる。
「お待たせしました。アップルパイとブレンドコーヒー、それからカフェ・マキアートになります」
私が二度ここで味わったのは、カフェ・マキアートという飲み物だったのか。どういう飲み物なのかも知らずに飲んでいたのが、なんだか申し訳なくなった。
「ひかりちゃん、あなた、カフェ・マキアートが覚えられなかったのね?」
違う、と答えようとしたが、何でも早とちりしがちな母親の勘違いを今回も受け入れることにした。
「だって、カフェなんとかっていうメニューが多すぎるんだもの。点字メニューもないし」そう言った私のところへ、再度マスターの足音が近付いてくる。
「ああそうそう、点字メニューできたんだ。間違っていないか、確かめてもらえると嬉しいんだけど、いいかな?」
「もちろんです!」
私は久しぶりに指先で文字を読み、カフェ・マキアートを探した。説明文には、エスプレッソに泡立てた牛乳を注いだもの、と書かれていた。他にも美味しそうなメニューはたくさんあったが、私はきっと、ずっと頼み続けるだろう。想い出の、カフェ・マキアート。
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