第十五話 いちかさんとソウタがきた。

 おばあちゃんの家で、寝て起きて、朝ご飯を食べたあたしは、そのままおばあちゃんの家で、姫乃ひめのと一緒に、夏休みの宿題をすることになった。


 勉強道具は、昨夜服などと一緒に持ってきたので、家にもどる必要はない。

 居間は、おばあちゃんがテレビを見るので、あたしと姫乃が寝起きした仏間に、長い机を持ってきて、座布団を二枚敷いた。


 布団は畳んであるから、邪魔にならない。姫乃のトランクキャリーや、あたしの荷物なども置いてある。


 ここにはエアコンがないけれど、扇風機がついてるし、仏間の障子が開いて、細長い廊下――縁側と、ガラス戸が見える。

 ガラス戸は開いている。


 網戸はないけど、家の中に虫は入らない。おばあちゃんの家も、あたしの家も、虫が勝手に入ることはない。ツバキとユズが許可をした場合は別だけど。

 それを姫乃に話した時は驚いてから、いいなぁと言っていた。


 広い庭には、あやかし山からきた桜もあるのだけど、緑色の葉があるだけなので、今は目立たない。

 池はないけど、大きな石があるし、植物もたくさんあり、普通の庭って感じだ。

 自然な風が入るし、暑過ぎて困ることはない。セミの声はうるさいけど。


 あたしと姫乃が横に並び、静かに宿題をしていると、「だれかきたー」「だれかきたー」と、何処からか、ツバキとユズの声が聞こえた。


 敷地内にあやかしでも入ったのだろうかと思いながら、顔を上げると、視線を感じた。ちらっと隣に座る姫乃を見る。 


 今日もパステルコーデで、ポニーテールな彼女は、「ん?」と首を傾げた。


「あれ? トゲッシュハリーは?」


 あたしが訊ねると、姫乃が笑った。


「さっきまでそばにいたんだけど、どっかに行ったみたい。ツバキたちと一緒なのかも」


「そっか……誰かきたみたいだけど、強いあやかしなら、あの子たちもあたしもわかるし……大丈夫かな?」


「えっ? かざっちは、あやかしの強さまでわかるの? わたしもわかるようになるのかな?」


「さあ? それは人によって違うかな。お父さんとお姉ちゃんはわかるみたいだけど、おばあちゃんやお母さんにはわからないみたいだし……」


「そうなんだ……」


 二人で話している時だった。


 パタパタと廊下を走る音が縁側の方から聞こえて、あたしはそっちに視線を向けた。

 走ってやってきたのは、ツバキとユズ。今日も、ツバキは椿柄の着物をまとい、ユズは猫柄の着物をまとう。焦った表情のツバキ、泣いているユズ。


「どうしたの? トゲッシュハリーは?」


 あたしがそう訊ねると、ツバキとユズが同時に口を開いた。


「タイヘン!」

「タイヘン!」


 同時にしゃべる二人。


「どちらか一人、しゃべろうか。ツバキ、誰かきたから外に行ったんだよね? 何があったの?」


 そう、あたしがツバキに訊ねると、彼女はぶわっと涙を流した。


「あのね、あのね、あのね、ソウタがねっ、しらないおんなのひとをつれてきたのっ! それでねっ、そのひとね、ひめのちゃんのママなんだってっ! どうしようっ! ひめのちゃんがおこられちゃう!」


 泣きながら叫ぶツバキ。


「かざねちゃん、ひめのちゃんをたすけてー!」


 最初から泣いていたユズが叫んだ。


「――大丈夫だから!」


 隣から聞こえた大きな声に驚いて、あたしはビクリと肩をゆらした。姫乃が立ち上がった気配を感じて、顔を上げれば、鋭い目つきの彼女がいた。


「ツバキ、ユズ! ママはどこ!?」


「そと!」

「そと!」


 ツバキとユズの声を聞き、姫乃は勢いよく駆け出した。


 その後ろ姿をじっと見つめたあと、ツバキとユズがこっちを向いた。


「だいじょうぶかなぁ?」

「だいじょうぶかなぁ?」


 不安げな顔の二人を見て、「まあ、あの子の問題だし」と言ってから、あたしは宿題を再開した。


「ドエスまおうめ。ゆうじょうよりも、しゅくだいなのか」

「ドエスまおうめ。ゆうじょうよりも、しゅくだいなのか」


 そんなことを言われても、姫乃はあたしを必要としていない。だから一人で行ったのだから。

 強い視線をビシビシと感じて、あたしは顔を上げる。


「邪魔なんだけど。気になるなら見に行けば」


 冷たく言うと、涙で顔を濡らしたままの二人が、ブルブル震えた。


「こわいもん!」

「こわいもん!」


「怖いなら、きなこでもさがして抱きついてるか、おばあちゃん捜せば? おばあちゃんなら、どうにかしてくれるんじゃないかな?」


「たにんまかせ!」

「たにんまかせ!」


 こっちに向かって指を差す二人。


「あんたたちがね」


「――ウッ! むねがっ!」

「――ウッ! むねがっ!」


 胸を押さえてつらそうな顔をする二人。


 その時。

 姫乃の声が耳に届いた。怒鳴っているのはわかるけど、感情が高ぶっているのか、早口で、よくわからなかった。


「ドエスまおう、タイヘンだ!」

「ドエスまおう、タイヘンだ!」


「あいするひとがピンチだ!」

「あいするひとがピンチだ!」


「愛してません」

 そう言ったけど、ツバキとユズはあきらめない。


「ドエスまおうよ! ひとのこころをもて! あきらめるな! いまこそ、ゆうじょうのために、はしるのだ!」

「ドエスまおうよ! ひとのこころをもて! あきらめるな! いまこそ、ゆうじょうのために、はしるのだ!」


「はしれ!」

「はしれ!」


「はしれ!」

「はしれ!」


「はしるのだ! まほうがつかえなくても、おまえにはちからがある!」

「はしるのだ! まほうがつかえなくても、おまえにはちからがある!」


「じぶんのちからをしんじるのだ!」

「じぶんのちからをしんじるのだ!」


「いけ! いくのだ! ドエスまおう!」

「いけ! いくのだ! ドエスまおう!」


「あきらめるな! さいごまでたたかうのだ! ドエスまおう!」

「あきらめるな! さいごまでたたかうのだ! ドエスまおう!」


 うるさいなぁ。

 あたしは大きく息を吐いて立つと、玄関に向かって歩き出した。パタパタ、パタパタ、ついてきているのは音でわかるけど、ふり向かずに進む。


 とても大きい声なので、姫乃と、その母親らしき人がしゃべっているのは、家の中でもわかったけど、早口だからか、その内容まではわからなかった。


 玄関に着くと黒いスニーカーを履き、戸を開けようとした――その時。


「――姫乃ちゃん」

 声がした。おだやかだけど、はっきりとした声音。


 おばあちゃんだ。たぶん。

 あたしはガラガラと玄関の戸を開ける。


 おばあちゃんだ。後ろ姿。

 おばあちゃんはスタスタと姫乃たちに近づいた。あたしはドキドキしながらおばあちゃんを追いかけた。


 頭にハリネズミを乗せた姫乃と一緒にいる背の高い女性がいちかさんだ。

 近づいていくあたしと目が合い、ものすごい笑顔になったし、クルクルパーマなのでわかりやすい。今日は、しなやかな身体を桃柄のワンピースで包み、手には水色のバッグを持っている。ミュールは銀色。


 狐耳と尻尾つきの浴衣姿の男の子――ソウタは、彼女たちから少しだけ離れた場所にいた。


 姫乃たちの元にたどり着いたおばあちゃんは、明るい声でいちかさんに、「姫乃ちゃんの友人の桜木風音さくらぎかざねの祖母です」と自己紹介をしてから、「連絡をしなくてごめんなさいね。心配したでしょう」と謝った。


 すると、いちかさんが両手をふって、「いえいえ、この子が悪いんです! あのっ、風音ちゃんのおばあ様なんですね! 風音ちゃん、終業式の日にうちにきてくれたんです! パスタとグラタンを、美味しい美味しいって、食べてくれて、とっても嬉しかったんです!」と語ったあと、とろけるような笑顔で、こっちを見た。


 確かに美味しかったし、感想を求められたから、美味しいとは言ったけど……うん、まあいいか。


「そうですかぁ。それはよかったわ」

 嬉しそうな声のおばあちゃんが、「スイカ、食べませんか?」と、いちかさんを誘った。


「はい! アタシ、果物が好きで、特にスイカが好きなんです!」


 元気よく返事をしたいちかさんを見たあと、あたしは姫乃の顔を見た。むすっとしてる。


「――姫乃、行くよ」


 そう言って、くるりとふり返れば、ニヤリと笑う、ツバキとユズ。そんな彼女たちをスルーして、あたしはおばあちゃんの家に向かう。


「――あー! 待ってよぉ!」

 バタバタと追いかけてきた姫乃はあたしの横に並び、キャッキャとはしゃぎながら、ツバキとユズは、おばあちゃんの家の玄関の戸をすり抜ける。


 それを見て、うふふふと笑う姫乃は楽しそうだ。


 おばあちゃんの家の玄関の戸をガラガラ開けると、ツバキとユズが待っていた。あたしと姫乃はスニーカーを脱いで、家に上がり、ツバキとユズと一緒に、長い廊下を進む。

 すると、姫乃が突然、話し出した。


「ママね、あたしが家を出てから、電話やメールをしてたんだって。でも意味なくて、あやかしの話なんかできないっていうか、してもおかしくなったと思われそうだから、パパにも連絡できなかったんだって」


「うん」


 あたしが相槌あいづちを打つと、姫乃が話を続けた。


「悩んでる間に、パパが帰る時間になって、食事の用意ができてなかったらしいけど、パパは、顔色が悪いママのことをとても心配して、話すのを待ってくれたんだって」


「うん」


「それでね、ママが、わたしと話した時のことを話して、出て行ってもどってこなかったことも話してから、高校生の頃の話をしたみたい」


「高校生の頃?」


「うん、それはわたしには教えてくれなかったんだけど……今日、パパが仕事に行ったあと、ママは電車できたみたい」


「そっか……スマホ、見てみたら?」


「うん……」


 仏間にもどった姫乃は、ピンク色のトランクキャリーからスマホを出した。しばらく指を動かしていたが、ある瞬間に、動かなくなった。いや、小刻みに震えてから、涙を流した。

 震える手で涙を拭い、姫乃がこっちに視線を向ける。


 あたしと共に、少しだけ離れた場所にいたツバキとユズが、そんな姫乃を見たあと、こっちを見上げる。

 無言だけど、どうにかしろということだろう。


「どうしたの?」

 姫乃に向かって訊ねると、彼女はまた泣きそうになったあと、グッと我慢をした表情になり、それから動き出した。


「これ……パパから」

 ポツンと呟き、震える手で、スマホを差し出す姫乃。


 受け取ったあたしがスマホのメールを読んでいると、「こえにだしてよんで」とツバキに言われた。あたしはちらっと姫乃を見た。

 小さく頷く姫乃。


 緊張する。

 鼻から息を吸って吐き、あたしは口を開く。


「姫乃、生きていてくれ。それだけでいい。姫乃が生きていてくれることが、オレといちかにとって、一番の幸せなんだ。いちかのお腹の中にいた時からずっと、姫乃はオレたちの宝物で、お姫様だったんだ。愛してる。本当は、今すぐに帰ってきてほしい。だが、すべてが嫌になる時もあるだろうし、帰りたくない時だってあるだろう。オレにもあったから、姫乃の行動を否定しない。ただ、無茶だけはしないでほしい」


 あたしが読み終え、顔を上げると、姫乃がまた泣いていた。


「よかったね」

 そう、あたしが一言伝えると、顔を涙で濡らしながら、姫乃が笑った。


「ありがと」

 グスングスンと声が聞こえて、そっちを見れば、ツバキとユズが泣いていた。


 タタタタタッと、軽やかな足音がして、縁側に視線を向けると、浴衣姿で、裸足のソウタが現れた。


「――千代ちよがね、スイカ、食べようって!」

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