第十三話 ソウタの秘密。

 翌朝。空は曇りだけど、風はおだやかになっていた。


 あやかし山に行っても、あやかしは夕方まで寝てたりするよと言ったが、姫乃ひめのは真剣な眼差しで、行くと言った。彼女は両親と、夕方には帰る約束をして、家を出てきたらしい。


 朝ご飯のあと、行こう行こうと腕を引く姫乃に連れられ、あたしは家を出た。


「曇りなのに暑いねー。ムシムシするー。セミも朝から元気だねー。あっ、かざっち、日焼け止め塗ってないけど大丈夫?」


「うん、日焼けはしない体質だから」


「えっ? それも、家系的なものなの?」


「うん……」


「いいなぁ。わたしもそういう体質になりたいなー」


「そう言われても……」


「なりたいって思うのは、わたしの自由だよー」


 うふふふふと笑い、元気よく歩道を歩く姫乃は、今日も、ポニーテールで、パステルコーデだ。肩にはハリネズミ。頭には、ピンク色のキャップ。


 昨日、風に飛ばされたこのキャップは、朝、あたしたちが起きた時にはもどってきていた。姫乃の枕の上に。そのそばには、ハリネズミがいた。


『昔からね、なくなった物が、もどってくることが多いんだ。不思議だなぁって思ってて、ハリネズミが守ってくれてるって知ってからは、ハリネズミのおかげかなって思ってたんだけど、やっぱりハリネズミのおかげだったんだね!』


 姫乃はそう言って、喜んでいた。


 そのあと姫乃がツバキとユズに訊いたら、夜、あたしたちが眠ったあと、このハリネズミが敷地内をウロウロしていたらしい。そして、外に出て、しばらくしてからもどってきたのだそうだ。


 泥で汚れたキャップを持って。


 ツバキとユズが、そのキャップをお風呂で洗って、ドライヤーで乾かしてくれたらしい。

 泥だらけになったにしては、魔法でも使ったのかと思うぐらい綺麗になってるけど、座敷わらしの力なのかもしれないと、あたしは思った。


 その話を聞いた時、姫乃がものすごく感激していた。


 姫乃はあやかし山に行くと言ってるけど、隠れ里の話はしていないから、知らないのかもしれない。

 それなら、わざわざ教える必要はないし、そこに行くつもりもないので、今日はスマホを持っている。


 姫乃もたぶん、スマホを持ってるはずだ。確認はしてないけど、あやかし山の写真はネットに載ってたりするから、普通に持ってきてると思う。


 山に向かって歩いていると、向こうから、一人の小さなおばあさんが歩いてくるのが見えた。小柄で優しそうなおばあさんを見て、あっ、と思った。


 知ってる人だ。名前は忘れたけど、おばあちゃんの友だちだ。


 昔の人はあやかしに慣れているのか、怖がらずにうちにきたり、あやかし山に行ったりする。山には、山菜や木の実などの食べ物があるからだ。


「おや、風音ちゃん。ひさしぶりだねぇ。台風、大丈夫だった?」


 ニコニコしながら話しかけられたので、微笑みながら「はい」と返事をする。


「おおっ、かざっちが笑った」

 とか、よけいなことを言う女子がいるけど、スルーだ。


「友だちかい?」

 ちらりと姫乃を見てから、おばあさんが言ったので、「はい、同じ高校で……」と答えた。


「そうかい、そうかい、よかったねぇ」

 目を細めて、顔をくしゃくしゃにして笑うおばあさん。何だか、胸の辺りが暖かくなった。


 おばあさんと別れたあと、「友だち! 友だち! わたしは友だち―!」と、姫乃のテンションがものすごく上がった。


 あまり気にしないようにして、てくてくと進み、お地蔵様のところに着いた。


「――あっ! ここだねっ! ネットで見たよっ!」


 大はしゃぎの姫乃が、スマホで写真を撮りまくる。


「そんなに撮ってどうするの?」

「記念だよ! 記念! かざっちも写してほしい?」

「ほしくない」

「残念!」

「早く行くよ」


 まだ朝だし、山頂まで三十分ほどの低い山だから、急ぐ必要はないんだけど、ここでゆっくりする必要もない。

 あたしが歩き出すと、「あっ、待ってー!」と、姫乃が追いかけてきた。


 山に入ると、空気が変わった。涼しい。土の匂い。夏草の匂い。鮮やかな緑。セミの声と、鳥のような声。

 ゆっくりと、やわらかい土を踏む。


「道があるね」


 後ろから、姫乃の声がした。


「うん」


「ネットの写真で見て、知ってるつもりだったけど、ここ、すごいね。山の匂いがして、空気が違ってて、神様がいるっていうか、みんな生きてるって、感じがする」


「そう」


 話しながら、ゆっくりと山を登り、山頂に到着した。


「ううっ。あやかし、いなかった……」


 うなだれた姫乃は、次の瞬間、復活した。


「よし! あやかしあやかし、出ておいで! 会いたい会いたい会いたいなー! あなたに会いにきたんだよー! 会いたい会いたい会いたいなー!」


 とっても楽しそうに歌ってる。幼い子のように、無邪気に。

 だけど、この山に住むあやかしたちは出てこない。


 寝ているあやかしが多いだろうし、迷惑だろうと思うのだけど、あたしに姫乃を止めるのは無理だ。っていうか、めんどくさいし。


 なんて思っていたら、肩にハリネズミを乗せたまま、姫乃が元気よく歩き出した。きた道をもどるようだ。


「あやかし、あやかし、あやかしさーん! あなたに会いにきたんだよー。出てきて、出てきて、出てきてよー!」

 なんて歌いながら歩く姫乃。


 恥ずかしいなと思いながら、あたしは彼女を追いかけた。


「フッフッフッフッフッフッ」

 姫乃の肩の上のハリネズミが、背中を丸めて、針を立てる。


「ん?」

 ピタリと、姫乃が立ち止まった。


 周りを見る姫乃。


「フッフッフッフッフッフッ」

 威嚇をするハリネズミ。


 ガサガサという音がして、一匹の子狐が姿を見せた。あんず色の毛並み、ペリドットのような瞳。


「狐だ! おいで!」


 姫乃の大きな声に、子狐がビクッとなる。


「うるさい、姫乃。ソウタがびっくりするでしょ」

「あっ、ごめん。ソウタ? 知り合い?」

「うん、ソウタだと思うけど、ソウタだよね?」


 あたしは子狐に問いかける。


「うん、ボク、ソウタだよ!」

 ポンッと音を立てて、子狐が変化した。


 金色の短い髪と、ペリドットのような瞳の十歳ぐらいの男の子。頭にはピンッと立ったあんず色の狐耳。トンボ柄の浴衣姿で、足には草履ぞうり。もっふりとしたあんず色の尻尾がゆれる。


「きゃわわわわわわわわわわわわわわ!」

 姫乃が壊れて、ハリネズミが威嚇をやめた。


「どうしたの? 大丈夫? 風音の友だち? あれっ?」


 不思議そうな顔をしたあと、ピクピクと狐耳を動かし、コテンと首を傾げるソウタ。それから、ゆっくりと、姫乃に近づいた。


 大きく目を見開き、口もポカンと開けたまま、動かない姫乃に、ソウタはそっと近づく。そして、姫乃の匂いを嗅いでいるように見えた。ピクピクと動く狐耳と、ゆらゆらゆれる尻尾。


「いちかに似てるなって思ったんだけど、匂いが同じだ」


 ポツンと呟くソウタの言葉に反応したのは、姫乃だった。


「――いっ、いちか!? わたしに似てるいちかって何っ!? いやっ、誰!? 人間だよね!? 人間の名前だよね!? それっ!!」


 ガシッとソウタの肩を掴み、ガクガクとゆさぶる。


「――えっ? えっと……いっ、いちかは、何年前か忘れたけど昔、この山にきた人間の女の子の名前だよ」


「わたしに似てるの!?」


「えっ? うん、雰囲気っていうのかな、似てるなって思ったんだ。顔も似てるけど、匂いも似てる」


「そんな……でも……」


 姫乃が動揺している。


「どうしたの?」


 あたしがそう、訊ねると、彼女はポロリと涙をこぼし、「うわぁぁぁぁぁぁん!!」と泣きながら、抱きついてきた。


 しばらくの間、あたしに抱きついて子どものように泣きじゃくった姫乃が、「胸が大きい」とか、よけいなことを呟いたので、「言うな」と言っておいた。


 あたしから身体を離して涙を拭いた姫乃が、再びソウタに視線を向ける。


「えっと、ソウタ君、だっけ?」

「うん、ボク、ソウタ。ソウタって呼んでね」

「わかった。わたしは姫乃」


 ソウタは、ペリドットに輝く双眸そうぼうで、姫乃をじっと見つめたあと、「姫乃、よろしくね」と微笑んだ。


 ふっと、真剣な表情になった姫乃が口を開いた。


「あのね、その、いちかっていう子の苗字はわかる?」

「苗字? 知らない」

「そっかぁ、でもな……うーん」


 悩んでいるようだ。どうしたのだろう?


「どうしたの?」

 あたしが訊ねると、姫乃が話し始めた。


「いちかって、ママの名前なの。でも、ママはもう大人だし、あやかし嫌いだし……」

「あっ、そっか。そういえば、いちかって呼んでねって言ってた気がする」

「うん……この子はまだ小さいし、ママが子どもだった頃には生まれてないよね」

「……いや、生まれてると思うよ。だって――」


「年齢は秘密だよっ! 秘密だからねっ! 本当の名前も言ったらダメだからね!」

 焦るソウタ。


「えー!? わたしだけ秘密!? 誰にも言わないよ!! 教えてソウター!!」

「教えないー!」

 ポンッと音と立てて子狐にもどり、スタコラサッサとソウタが逃げた。


「ああー!! 行っちゃった……」

 悲しそうな姫乃。


 ソウタの本当の名前はソメタロウだ。昔、人間に笑われたり、バカにされたことで恥ずかしくなり、名前を変えたのだそうだ。


 いつか、バレるとしても、今、あたしから姫乃に教えるつもりはない。

 年齢も、言わないでほしいみたいだけど、あたしは彼の年齢をはっきりとは知らない。百年以上生きているのは聞いたことがあるけれど。


 さて、どうしようかな。

 ガックリしている姫乃を見ながら考えていると、彼女が強い意志を秘めた眼差しで、こっちを向いた。


「わたし、帰る!」

「うん」


 帰るのはいいことだ。あたしがゆっくりできる。


 家に帰って、母親と話すつもりなのだろうと、あたしはそう思い、あやかし山の入り口に向かって歩き出した。


「――あっ、かざっち、待ってぇ!」

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