第十話 姫乃が双子と言ったら、ツバキが爆発!

 うちの敷地に、姫乃ひめのが足を踏み入れた時だった。


「フッフッフッフッフッフッ」


 姫乃の頭の上のハリネズミが、背中を丸めて、針を立てた。


「――えっ!? 何っ? この音!?」


 驚き、立ち止まり、ピンク色のトランクキャリーから手を離し、周りを見回す姫乃。


「フッフッフッフッフッフッ」


「何もいないのに音が……頭重いし。ん?」


 姫乃がピンク色のキャップに手を伸ばし、「痛っ!」と叫んだ。


「ピキーッ!」


 この声はハリネズミだろうか。うん、ハリネズミだとしか考えられない。他にいないし。

 なんて思いながら、あたしは姫乃に近づいた。


「痛い? 血が出た?」


「うわーん! かざっち! 頭の上になんかいると思って触ったら、チクッとした! 血は出てないけど!」


 そう言いながら、健康そうな手を見せてくれた。

 うん、大丈夫だ。


「頭の上に、ハリネズミがいるんだよ。最初の音は、他のあやかしの気配に気づいて、威嚇いかくしてたんだと思う。敏感になってるところに、いつもは気づかない、触ることもできない姫乃が、いきなり触ったから、びっくりしてるんだと思うよ」


「――えっ!? ハリネズミがいるの!? 見えるの!? 鏡!! 鏡は!?」


 いきなりものすごくテンションが上がった姫乃が、あたしの身体を掴んでゆさぶった。


「痛い」


「あっ! かざっち、ごめんっ!」


 パッと手を離す姫乃。そして彼女は再び口を開く。


「ねえっ、鏡見に行こうっ! 今すぐ行こうっ!」


「鏡は家にあるけど、そのハリネズミに、鏡に映りたいという意思がなければ映らないと思うよ」


「えっ!? そうなんだっ! かざっち、わたしよりもくわしいねっ! なんでっ!?」


「うん……まあ。あとで話すよ。ここは風が強いから、中に入ろうよ」


「うん」


 姫乃が頷いた瞬間。


「フッフッフッフッフッフッ」


 また、音がした。


「また音がする」


 そう言って、家がある方を向いた姫乃が、目を大きく見開いて、動かなくなった。


「フッフッフッフッフッフッ」


「――ねえ、着物を着た女の子がいるよ!! 双子みたいっ!!」


 姫乃が、そう、叫んだ瞬間。


「いうなー!!」


 幼い、悲痛な、叫び声が耳に届き、身体が震えた。


 姫乃の視線の先にいるのは、猫柄の着物姿の泣き顔の幼女――ユズを守るように立ち、こっちをにらみつける椿柄の着物姿の幼女――ツバキ。


「フッフッフッフッフッフッ」


「いうな! いうな! いうな! いうな! いうな! いうなー!!」


 叫びながらこっちに駆けてくるツバキ。その声が、感情が、身体中に響いて、泣きそうになる。


 その勢いのままに姫乃に殴りかかろうとしたツバキの前に、ドンッと落ちたのは、一匹のハリネズミ。


「――あっ!」


 姫乃の叫び声。


 顔を上げて、彼女の顔を見ると、驚きの表情だった。姫乃はハリネズミを見て驚いているのだろうけど、あたしは違う。さっきまで彼女の頭にあった、ピンク色のキャップが、ない。


 風で飛んだようだ。今までは、ハリネズミが押さえていたのだろう。視線を動かし、探したけど、何処にもない。遠くまで飛んだようだ。


「フッフッフッフッフッフッ」


「どいて! どいてよ!」


 ダンッダンッと、ハリネズミの前で、激しく地面を踏み鳴らすツバキ。


「フッフッフッフッフッフッ」


「――ツバキ! ダメッ!」


 泣きながら走ってきたユズが、そんなツバキにぎゅうっと抱きついた。


「ダメッ! ハリネズミさんをいじめないで!」


 ユズの言葉を聞いたツバキが、わんわん泣き出した。


 すると、「あらあら、大変」と言いながら、おばあちゃんがやってきて、姫乃に、「姫乃ちゃんね。初めまして、風音の祖母の千代ちよです。可愛いハリネズミさんも一緒なのね。こんにちは」と挨拶をしたあとツバキとユズを連れて家にもどった。


 おばあちゃんたちが家に入ったあと、あたしは姫乃に「行こうか」と、声をかけた。


「うん……」


 元気のない姫乃が返事をして、地面にいるハリネズミと見つめ合う。じぃーと見つめ合う、一人と一匹。


「えっと、ハリネズミは姫乃の頭の上が好きだよ。でも、リュックサックに乗ることもあったから、トランクキャリーにも乗るかも」


 あたしがそう言うと、今度はこっちをじぃーと見つめてきた姫乃が口を開いた。


「わたし、いろいろ知りたいことがあるんだけど……」


「うん、あたしの家で話す。おばあちゃん家で寝る予定だけど、今はあの子たちが不安定だし」


「……わかった」


 頷いた姫乃が、地面にいるハリネズミに目を向ける。


「知ってると思うけど、わたしは姫乃っていうの。よろしくね。公園で出会った子だよね。助けてあげられなかった子。あの時は、助けることができなくてごめんね」


 姫乃がペコリと頭を下げると、ハリネズミが動き出した。

 ちょこちょこと歩いたハリネズミは、姫乃のスニーカーを登り、上を目指す。


「くすぐったい」


 ケラケラ笑う姫乃。

 ハリネズミは、今日は肩に乗るようだ。姫乃が笑いながら、ピンク色のトランクキャリーを引いて歩き出したので、あたしも家に向かった。


 玄関の戸をガラガラ開けて中に入ると、肩にハリネズミを乗せたままの姫乃が、「汚れてるからここに置くね」と言って、ピンク色のトランクキャリーを置いてから、自分の髪を手で、ささっと整える。


「キャップ、飛んじゃった……もう汚れてるよね。まっ、いっか」


 姫乃は呟き、ピンク色のトランクキャリーを開けて、ガサゴソし始めた。


 何を出すんだろって思いながら、黒いスニーカーを脱いだあたしが眺めていると、姫乃はビニール袋を持って、「お菓子だよ」と、エヘヘと笑った。


 あたしはそれを見て、思い出した。


「あっ、忘れてた。ご飯、用意してくれるって」


「わーい! じゃあ、このお菓子は全部今日食べてもいいね! あの子たちがきたらあげたいなって思ったんだ! 泣かせちゃったけど、謝ったら、許してくれるよね?」


 急に、不安げな顔になる姫乃。


「うん……あの子たちね、双子として生まれて、すぐに死んじゃったんだ。双子を産んだということで、母親が周りの人たちに責められてたみたいで……」


 とても簡単にだけど、ツバキとユズの事情を話すと、姫乃はくしゃりと顔をゆがめた。彼女の頬を涙が流れる。


 姫乃は涙を拭くと口を開いた。


「……ねえ、あの子たち、昔は人間だったの?」


「うん、そうだよ。人間が死んで、あやかしになることもあるし、生きたまま、あやかしになることもあるんだ」


「そう……悲しいね。とても、悲しいことがあって、今も苦しんでいるんだね」


「うん……そうだね。だから、言葉に気をつけてあげてね」


「……うん」


「今はね、夏だから、元気なんだ。冬はね、つらいことがあった時期だから、雪が降るようになると引きこもるけど」


「そっか……傷つけないように気をつけるね。でも、できれば仲よくなりたいな」


 姫乃はそう言って、ふわっと笑った。


 ふいに、足音が聞こえて、ドキッとする。これは、お母さんのスリッパの音だ。


 そうだ。


「スリッパ、いる?」


 訊ねると、姫乃は「いらない」と言って首を横にふった。


「そう」


 まあ、姫乃の家でも、スリッパは履いてなかったもんね。


「あらっ、いらっしゃい。あなたが姫乃ちゃんね」


 笑顔で登場をしたお母さんが姫乃に話かけた。姫乃は、「こんにちは。お世話になります!」と、にこやかに微笑みながら、挨拶をする。


「自分の家だと思って、ゆっくりして行ってね」


「はい! ありがとうございます!」


「話したいことがたくさんでしょうから、風音の部屋に行ったらどうかしら? エアコンがあるから、涼しいわよ。何か飲む?」


「麦茶、ありますか?」


「ええ、あるわよ。すぐ用意して持ってくからね」


「はい! ありがとうございます!」


 お母さんと別れて、ニコニコ、ニコニコ、ご機嫌な姫乃と二階に上がる。もちろん、姫乃の肩の上のハリネズミも一緒だけど、ほとんど鳴かないし、動かないから、置物みたいだ。


 あたしが先に部屋に入って、電気をつけると、「ふう、着いた着いた」と声にを出し、姫乃がフローリングに座った。


「疲れたー。エアコンついたままでよかった。いい感じ」


 ビニール袋をフローリングに置き、自分の家のようにくつろいでいる姫乃を見て、あたしはちらっと壁掛け時計に視線を向けた。まだ昼の三時になってない。


「かざっち?」


「あっ、うん」


 意味のない言葉を言って、あたしも座った。


「ねえ、あの子たちって、座敷わらしでいいの?」


「うん、そうだよ」


 あたしが小さく頷くと、姫乃がパァっと顔を輝かせた。


「じゃあ、じゃあ、わたしも、幸せになれる?」


「幸せ?」


 うーんと、あたしは首を傾げた。


「えっ? 違うの?」


「なんといえばいいか……幸せって、お腹がものすごい空いていたら、食べる時に幸せを感じるかもしれないけど、お腹がいっぱいだったら感じなくて、食べるのがつらいかもしれないでしょ?」


「うん……」


「だから、これが幸せというものなんてないっていうか」


「あっ、そうか。チョコレートが好きだからって、朝昼晩チョコレートで、お風呂まで毎日チョコレートだったら嫌になるかもしれないもんね」


「うん、一年中チョコレートばかり食べてたら、身体に影響が出るかもしれないし、嫌いになるかもしれないし。それに、ずっと大好きで食べ続けても、その結果が幸せかどうかなんて、やってみないとわからないって思うから」


「うーむ、難しいですなぁ」


 腕を組む姫乃。


「うん。座敷わらしだって、そうで、見た時は、座敷わらしを見たから幸せになれると思い込んでて、ものすごく幸せな気持ちになれるかもしれないけど、その幸せが、いつまで続くかはわからない。座敷わらしを見たから幸せになるんだって、強く思い込んでいれば、何が起きてもこれも幸せなんだって、そう思える人もいるかもしれないけど、ちょっとしたことで落ち込んで、不幸だと感じる人もいるかもしれない」


「ふむふむ。さすがですなぁ、かざっち」


 腕を組んだまま、ウムウムと頷く姫乃。うざい。


 足音が聞こえて、お母さんかなと思っていたら、ドアが軽く、ノックされた。

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