第九話 ドS魔王。

 夏休み一日目。

 朝になっても風が強かった。そして雨が降っていた。

 天気予報を見る。思ったよりも大きな台風だった。


 おばあちゃんの家で朝ご飯を食べたあと、今日は水ようかんが食べたいなと思って、自分の家で水ようかんを作った。

 宿題も大事だけど、頭を使えば甘い物がほしくなる。だからおやつは大事だ。


 甘い物を作って安心したあたしは、自分の部屋にもどり、夏休みの宿題を始めた。


 ツバキとユズには、夏休みの宿題をするから邪魔しないでって言ってある。水ようかんは分けてあげるから、勝手に先に食べるなと伝えておいた。スマホは渡した。


 部屋に壁掛け時計があるし、目覚まし時計もあるから問題はない。

 まずは、現代文、古文、漢文からやる。簡単そうなやつからだ。英語や数学は苦手だから、最後にしよう。好きな教科の中で、簡単そうなやつからやった方が、早く終わる気がする。


 気のせいかもしれないけれど。


 問題を解くことに集中していると、あっという間に昼になり、おばあちゃんの家でご飯を食べた。その時にはもう、雨は止んでいたけど、風は強かった。


 そのあと自分の部屋にもどって、宿題の続きをした。

 集中していたあたしの耳に、廊下を誰かが走るような音が届いた。


 ツバキたちだと思ったあたしが、シャーペンを置いてドアを見れば、閉まったままのドアから、二つのおかっぱ頭が……。

 ホラーだ。


「ドアを開けずに、顔だけ出すの、怖いからやめてくれない?」


「ごめんなさーい」

「ごめんなさーい」


 軽く謝る二人。


「でもね、ツバキ、かざねちゃんのためをおもって、ここにきたの」

「ユズもね、かざねちゃんのためをおもって、ここにきたの」


「へぇー、そうなんだー。それで?」


 思ったよりも冷めた声が出た。あたしゆっくりと、椅子から立ち上がる。そして、一歩一歩、ドアに近づく。


 二人は「こわーい。ヤバーイ」「こわーい。ヤバーイ」と言いながら、ドアから出てくる。

 椿柄の着物姿のツバキの小さな手には、あたしのスマホ。


「ツバキ。スマホを持ってきてくれたの?」

「うん、そうだよ。ひめのちゃんからでんわがきてた。メールもきてるよ」

「そう」


 頷き、小さな白い手からスマホを受け取る。

 その時、電話が鳴った。姫乃だ。


 嫌な予感がしたけど、出ないともっと悪いことが起こるような気がして、あたしは電話に出た。


「はい」


『――あっ! かざっちだ! かざっちー! もうっ、電話に出ないし、メールの返信もないからさっ、あやかし山に行こうかと思ったよ』


「――ハッ? 何言ってるの? っていうか、今何処?」


『今、どこにいるでしょう、か?』


「知りません。切っていいですか?」


『――ダメッ! 切ったらダメだからね! 何回も何十回も朝から晩までかけ続けるからねっ!』


「ストーカー?」


『違う! あのね、昨日、かざっちを送ってから帰った時にね、かざっちが家に泊まりにきてもいいって言ってくれたってママに話したんだ』


「そんなこと、言ってませんけど」


『うん、わたしもね、ランチの時にね、そういうことにしようって思いついたの。そしたらさ、かざっちの家に泊まれるし、あやかし山にも行けるから』


「へー」


『グサッ。傷ついた!』


「そう、じゃあ、今すぐ電車に乗ってママのところに帰るといいよ。ウソついてあやかし山に行くなんて、バレたらあの人、悲しむだろうね。台風がきてて風がすごいのに、何を考えてるのかな? いきなり駅にきて、泊まるって言われても迷惑なんだけどな」


「ドエスまおうだ」

「ドエスまおうだ」


 すぐそばでささやく二人。


『――えっ? 何っ? ドS魔王? ドS魔王って、最近人気のアニメの主人公だよね。勇者に負けて、死ぬ前にすべての力で異世界から転移して、女子高生に恋に落ちるやつ』


「そんなアニメがあるの?」


『かざっちは知らないか。SNS友だちに魔王好きの友だちがいて、それでわたしも知ったんだ。異世界転移でこっちにくるんだけど、身体の大きさが手の平サイズになってるし、魔法が使えなくなってて、さあ大変って話なんだ』


「そうなんだ」


『主人公の魔王はね、ドSで、自分以外はゴミだと思ってたから、相手を愛する気持ちとか、優しくする気持ちがわからなかったんだけどね、一目ぼれをしたことで、女神のように心優しい女子高生に好かれようって、がんばるんだ。あれ? わたし、なんでドS魔王の話してるんだっけ? そうだ。声が聞こえたんだ。誰かいるの?』


「いや……いない」


『幼いというか、可愛い声だった気がするんだ。でも、お姉さんがいるのは聞いたことあるけど、妹は知らないし』


「うん、姉はいるけど、妹はいない。姫乃があやかしのことばかり考えてるから、あやかしの声でも聞こえたんじゃないかな?」


「あやかしだー!! キャハハハハハハ!」

「あやかしだー!! キャハハハハハハ!」


 パタパタと足音を立てて駆け回るツバキとユズに、イラッとした。だけど我慢だ。我慢、我慢。


『――あれ? また声がしたよ?』


「疲れてるんじゃない? 今すぐ帰りなよ。あやかし山に行って、神隠しにあっても知らないよ。じゃあね」


 そう言って切ろうとすると、『もう、パパにもママにも泊まるって言ってきたの! だから泊めて! ピザ食べてきたし、お菓子もたくさん持ってきたから、晩ご飯はなくてもいいし、床で寝てもいいから!』


「ねえ、とめてあげよう?」


 あたしの服の裾を掴むのは、猫柄の着物姿のユズ。


「そうだね。ユズはやさしいね。ドエスまおうとはちがうね」


 よしよしと、ユズの頭を撫でるツバキ。


『やっぱり声がする……』


 電話の向こうで呟く姫乃。


 あたしは長いため息を吐いたあと、「わかった。迎えに行くから待ってて」と言って、電話を切った。


 そのあと、はしゃぐ二人を無視して、あたしはお母さんに姫乃のことを伝えに行った。


「食事は一人ぐらい増えても大丈夫よ。卵もお肉もあるし、畑に野菜がたくさんあるから。布団は、おばあちゃんの家のを出すから、あなたも向こうで寝なさいね」


「うん……」


「待ってるんでしょう? 早く行ったら?」


「わかった……」


 嫌だなぁって思いながら、あたしは家を出て、無人駅に向かった。

 風がすごくても、セミは元気に鳴いている。


 無人駅に入ると、「かざっちだぁ!」という嬉しそうな声と共に、元気そうな姫乃が、ピンク色のトランクキャリーをコロコロさせながら、こっちにきた。


 頭には、ピンク色のキャップ。その上に、ハリネズミが乗っている。

 空色の半袖Tシャツと、白いズボン。ピンク色のスニーカー


「パステルだね」


「うん! わたしね、ハチにも蚊にもムカデにも刺されたことないんだっ! だけどねっ、今は、ハチが元気な時期だし、山には危険なハチがいるらしいからっ、一応、パステルコーデにしてみましたー」


「そう……」


 ハチか。あまり気にしたことなかったな。

 ハチに刺されたことがないというか、敵と思われないみたいだし……。


「かざっち、明るい色の帽子とか服、持ってる?」


 姫乃があたしの恰好をジロジロ見ながら訊くので、「明るい色……水色のTシャツならあるけど……」と答えた。


「ズボンとかはないんだね。お姉さんの服とか置いてないの?」


「ない」


 と思う。たぶん。


「じゃあ、母親に借りるしかないね」


「いや、そこまでして山に行きたくないんだけど……風強いし、行かない方がいいよ」


「えー? 行きたい。すぐにでもハリネズミ見たいし。ここにいるってウワサのプリシェイラさんにも会えなかったし、ハリネズミだけでもすぐ見たいんだ!」


「あやかし山に行かなくても、あたしの家にくればハリネズミぐらいは見えるようになると思うよ」


「えっ!? なんで!?」


「今は言わない。行くよ」


 あたしがそう言って外に出ると、「待ってよぉ!」と、姫乃がピンク色のトランクキャリーを引っぱりながら、追いかけてきた。


 ちらっと姫乃の横顔を見る。今日もポニーテールな彼女が、ニコッと笑う。


 ハリネズミのあと、座敷わらしまで見たら大喜びするだろうな。

 ツバキとユズは、知らない人間が苦手だ。大人は特に。


 だが、子どもは好き。姫乃は一応高校生だけど、見た目も性格も幼いし、仲よくなりそうな気がする。


 あたしの人間の友だちがめずらしいのか、姫乃に興味があるようだったし。

 ああ、いろいろめんどくさい。

 強い風にたまに飛ばされそうになりながら、そう思った。


 あたしは嫌だなぁ、嫌だなぁと思いながら歩道を歩いているのに、姫乃は山を見て、「あれがあやかし山だよね! すごーい!」とか、「すごい田舎だね! 誰もいないねー!」とか、おしゃべりが止まらない。


 強風に飛ばされそうになりながらも、よく笑い、よくしゃべる。

 何故、こんなにしゃべろうとするのか、意味がわからない。


「あのね、ママがね、服とか小物とかね、作った物をネットで売ってるんだ! かざっちになら無料ただであげるって!」


「いらない……」


 あの人に借りを作るみたいで、嫌だった。

 裁縫や編み物は、あたしのおばあちゃんも上手だ。おばあちゃんの知り合いのあやかしが、それを買いにくることだってある。


「――あっ! 家がある!」

「あそこがあたしの家」


 そう、あたしが言うと、姫乃がダッシュで家に向かった。

 速いよ。


 そして、姫乃がダッシュでも、強風が吹いていても、落ちないハリネズミがすごい。


 あっ、のんびりしている場合じゃなかった。お母さんにはハリネズミのことを言ったけど、ツバキたちには話してない。

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