第四話 河童は、マツリ様に会いにきた。

「とてもよい気をお持ちですね」


 駅のホームで話しかけられた。

 さわやかな声だ。若い男の。

 ペタリペタリと音がして、河童がきたんだけど、目の前に立たれると邪魔だ。


「こんなに素晴らしい気を持つ人間は見たことがありません。顔はちょっと怖いですが、心の清らかな人間なのでしょう。あれっ? 甘い香りがします。とても好きな香りですが、なんの香りなのでしょう?」


 うるさい河童だな。顔が怖いのはよけいだし。


 昔から、あやかしに好かれやすい体質だけど、知らないあやかしに話しかけられるのは好きじゃない。


「あれ? ワタスのこと、見えていますよね? 声、聞こえないんですか?」


 うーんと首を傾げる河童。


「どうしようかなぁ。困ったなぁ。あやかし山のマツリ様に会うためここまできたのに、大切なお金や、地図の入った荷物を猿のあやかしに盗られてしまったからなぁ、もう、どうしたらいいのか……」


 マツリ様に会いにきたのか。

 空気がどんどんと重くなるのを感じる。


「あー、ワタスはどうしたらいいのでしょう。このままでは息子が死んでしまう。そうなったら妻が悲しむ。ワタスにできることなら、なんでもしてあげたいのに、なにもできない……」


 ドヨーンとしてる。空気がものすごく重い。


 あたしはキョロキョロと周りを見た。

 近くに人はいない。離れたところにはいるけど、こっちを見てない。


「あやかしが使うお金は持ってないけど、あやかし山の隠れ里のマツリ様なら知ってるよ。連れて行ってあげる。でも、他の人間がいる時は、あたししゃべらないから」


 あたしは早口で言った。


「はっ、はい! ありがとうございます! ありがとうございます!」


 河童がペコペコとおじぎをしていると、電車のアナウンスが流れた。

 あたしが並ぶと、河童もペタペタついてくる。


「電車は、子どもの頃から何度も見ていました。まさか自分が乗る日がくるとは……。バスは乗ったんですけどね」


 乗ったんかい!

 まあ、河童が乗っても、見える人にしかバレないもんな。


 電車がきて、朝と同じようにボックス席に座った。

 向かいの席に河童が座り、窓の外を眺める。


 電車が動き出しても、河童はずっと外を見ていたが、しばらくするとこっちを向いた。


「しゃべらなくてもいいんで聞いてください。ワタスね、てんてんとことんたたたたん山の近くの谷に住んでいるんです」


 長い。そんな山、知らないし。河童がそう呼んでるだけなのかもしれない。


「ワタスには、ワタスの妻に似て可愛らしい、息子がいるんです。その大事な息子がですね、謎の病にかかったんですよ。まだ小さいのに。それで、いろんなあやかし専門の医者に見せたんですが、さじを投げられて、絶望しました」


 少しの間、うつむき、そして顔を上げた河童が、再び語り出した。


「もう、苦しくて苦しくて、壊れそうで、毎日意味なく走っていました。なにかしないと壊れてしまいそうだったのです」


 いや、走るよりも奥さんのそばにいるか、息子を見てろよ。


「そんなある日、カラスのあやかしに、マツリ様のウワサを聞きまして、わらにすがるつもりできたんです」


「子どもは?」


 つい、声が出た。


「すごい熱ですし、旅に連れてくるのは危険だと、判断しました。遠いですし、なにが起こるかわかりませんから」


「そう……」


 この河童だと、頼りない気がするから、しょうがないか……。


 シロウサが何か言うかもしれないけど、マツリ様は優しいから、どうにかしてくれるだろう。


「あの……マツリ様は元人間で、人魚の血肉を口にして、すごい力を手に入れたと聞きました。その力で、多くのあやかしの大きなケガや、病気を治したと。本当なのでしょうか?」


「……うん」


 小さく頷き、電車の窓に視線を向けた。雨に濡れた窓から、鉛色なまりいろの雲と、広い田んぼが見える。


 マツリ様は昔、マツという名前だったそうだ。


 マツは大きな家の子で、大切に育てられていたという。幼い頃から病弱で、他の同い年の女の子よりも身体が小さいと、周りに言われていたらしい。


 大切に、家の奥で育てられていたので、友だちはいなかったし、親戚の子にも会ったことはなかったようだ。だが、彼女には、二つ、年の離れた兄がいた。


 そしてマツには、会ったことがないが、生まれる前に祖父が決めた許婚いいなずけがいたらしい。彼女は、物心ついた頃から、祖父に、『大きくなったらケンゾウ様の嫁になるのだ』と言われて育った。


 他にも、『ケンゾウ様のためにお前は存在しておるのだ』とか、『ケンゾウ様の子を産むために元気になれ』と、祖父に会うたび、言われていたらしい。


 マツは素直に、『はい』と答えて、ケンゾウ様のために生きようと思っていたのだそうだ。幼い頃から、ずっと。


 だが、マツの身体は弱かった。よく熱を出し、周りに心配ばかりかけていたことを彼女はとても気にしていたらしい。


 このままでは、マツがケンゾウ様と結婚できないまま死んでしまうかもしれない。

 そんな話を周りの大人たちがしていたのを、マツは耳にしていたのだそうだ。


 マツが十四歳の時のこと。


 これは、彼女が見てないことで、あとから周りの人に聞いた話のようだが、マツの祖父の元に、知らない人魚売りの男がきたのだそうだ。


 顔だけが人間の女で、それ以外は赤い鯉。ギョエーと大きな声で鳴く不思議生物を人魚だと、人魚売りの男が言った。


 人魚売りの男は、江戸では普通に食べられているが知らないのかと、マツの祖父をバカにしたという。


 バカにされたマツの祖父は、顔をタコのように赤くしたが、『この人魚の血肉を口にすれば、お前さんの可愛い孫は、今までにないくらい健康になるだろう。子もたくさんできるかもな』と言って、ニヤリと笑ったのだそうだ。


 マツの祖母は、怪しい男にもらった変な物を食べさせるなと言ったそうだ。マツの父と母と兄も、必死になって、おかしな物を食べさせようとするのを止めようとしてくれたらしい。


 だが、何かに取り憑りつかれたかのように目をギラギラさせたマツの祖父は、全く人の言葉を聞かなかったという。


 そして、マツは人魚の血を飲み、生肉を食べた。


 気持ち悪くて吐いたけど、化け物のように変わった祖父が怖くて、必死に食べたという。


 そのあと彼女は高熱を出し、数日寝込んだ。


 目が覚めると、ものすごく身体が軽くて、世界が綺麗に見えたのだそうだ。

 そして、あやかしと呼ばれる不思議な存在が見えるようになっていたという。


 マツは、そのことが祖父にバレれば恐ろしいことが起こる気がして、言えなかった。祖母や母にも、言えなかった。だが、さとい兄にはバレたらしい。


 彼女の兄は、妹のことを受け止めた。何が見えてもお前はお前で、大事な妹だと、マツに伝えたという。


 マツは、部屋に遊びにくるいろいろなあやかしと仲よくなった。


 そして、祖父に人魚を渡した男は、マツの許婚のケンゾウ様と結婚したいと願う少女の祖父が命じた者だったと知った。


 人魚売りの男の正体は、人間のお金を集めてあやかしに高く売るのが好きな狐のあやかしだったらしい。


 その狐のあやかしがどうやって人間に近づき、何を言ったかはわからないが、マツと仲よくなったあやかしたちは彼女に、人魚の血肉を口にすれば、死ぬか、生きると教えた。


 生き残ったとしても、普通の人間ではいられない。不老不死になり、人間にはない力を手に入れる。


 そうなると、どうなるのか。


 人間は自分と違う存在を恐れるから、周りの者に差別され、攻撃されたりする。争いを好む者はよいだろうが、そうでない者は逃げるしかない。結果、何処かに隠れ住むでもしないと、同じ土地に長くいられなくなるのだ。


 争うことを選んでも、力のある者に封印されたりするらしい。人魚の血肉を食べた人間は、人間と関わると幸せになれない。そう、あやかしたちはマツに教えた。


 そのことも、マツは兄にだけ話したという。大切な兄だったのだそうだ。


 兄は、マツのことを守ると言った。だが、マツは、大好きな兄に迷惑になるなら、屋敷を出た方がいいと思い、何かあったら、家を出ようと考えていた。


 人魚の血肉を口にしてから二年が経ち、マツが十六歳になっても身体が成長せず、初潮がこなかった。


 祖父は、マツの身体が子どもを産めるようになってから嫁に出そうと思っていたらしく、なかなか初潮がこないことにイライラしていたという。よく、お酒を飲んで暴れていたようだ。


 マツの祖母と母は、生理に関してのご利益のあるお寺や神社があると聞けば、遠くても足を運んだらしいのだが、それでも初潮はこなかった。


 そんなある日の晩のこと。


 お酒に酔った祖父が灯りを持って、ふらりと部屋にきたという。ちょうどその夜、マツの部屋には、白いうさぎのあやかし――シロウサがいたのだそうだ。


 マツはシロウサと仲よしで、大きくなったシロウサに、何度か乗せてもらっていた。シロウサに乗ったマツのことを誰も見ることができないし、そのまま障子や壁をすり抜けてしまうので、とても面白く、楽しかったらしい。


 お酒の臭いをムンムンさせた祖父は、フラフラしながら、マツに近づいたのだそうだ。


『のぉ、マツ』


『はい、何でしょうか?』


『お前のケンゾウ様がな、他の女をはらませたようだ』


『はい?』


『別の女に、ケンゾウの子ができたんだよ!!』


 いきなり祖父は怒鳴り、マツの布団をダンッと、力強く踏んだという。


 驚き、固まるマツ。彼女のそばで、スクッと立ち上がるシロウサ。

 音に気づいたのか、隣の部屋から、マツの世話をしてくれている女性が駆けつけた。


 その時。


『――出てけ! 子を産めないお前は用無しじゃ! 出て行け!』


 大声で叫んだ祖父が襲いかかってきたので、マツは走って、廊下に逃げた。


『待て! 一発殴らせろ!』


 叫びながら、追いかけてくる祖父。


 マツが必死に走っていると父と兄が出てきて、祖父を止めてくれたらしいが、男三人が言い争いをしている内に、シロウサが、どんどんと大きくなったのだそうだ。


『逃げるッピ! 遠くへ逃げるんだッピ! 乗るんだッピ!』


 そう、シロウサが叫んだ時、マツは覚悟を決めたのだそうだ。


『今までお世話になりました!』


 マツは大声で言ってから、シロウサに乗った。


 ぴょんっと、大きく跳ねたシロウサは、あっという間に、屋敷の外に出た。


 月の綺麗な晩だったそうだ。


 そのあとマツとシロウサは旅をして、あやかし山にたどり着き、そこに住むようになったという。


 その話をあたしは、マツリ様から直接聞いた。


 マツリという名前は、あやかし山を見た時に、ふと浮かんだのだそうだ。そして、あやかし山にあるあやかしの隠れ里に行って、いろいろなあやかしと仲よくなり、ここでなら、安心して楽しく暮らせる気がすると、そう思ったのだそうだ。


 ここで、マツリという名で生きようと、心に決めたという。


 マツリ様は、人間以外の動物や、あやかしなら治せるけど、純粋な人間の血を引く者には効果がないと聞く。

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