第二話 駅のホームの人形のあやかし、プリシェイラさん。
朝ご飯のあと、あたしはお母さんからお弁当と水筒を受け取って、黒いリュックサックに入れてから、お母さんの車に乗った。
傘もちゃんと持ってきた。
今は、朝六時ちょっと過ぎ。
だいぶ明るくなったけど、梅雨で、雲がどんよりしてるから、朝って感じはしない。
車が動く。道路に出た時に、離れた場所に
あやかし山には、昔から、あやかしがいる。そう、言い伝えられている。
昔、神隠しがあったり、人間が鬼や化け猫に食べられたりしたのだそうだ。
今は、そんなことはない。
鬼も、化け猫も、人間を食べなくなったと聞いている。
江戸時代とか、昔はもっと美味しかったけど、どんどん美味しくなくなったという話だ。
明治、大正、昭和、平成、令和と、食べる物や服が変わっていった。今も変わり続けている。
匂いとか、味とか、昔の人間とは違うはずだ。
今の時代なら、もっと美味しい物がいっぱいあるだろうし。
山には、山菜や木の実を採る人も行くと聞いてるし、道もあるから、普通に人が入ることができるんだけど、子どもたちは、山の近くに住むあたしのことを気味悪がった。
まあ、あたしが他の子たちには見ることができない存在を見るのも、原因だったと思うけど。
それは仕方ないと思う。
だって、あやかし山に行けば、霊感がない人でも、あやかしを見ることができるんだけど、何度もあやかし山に行くと、別の場所でも、あやかしが見えるようになるんだ。古くからそう、この土地では伝わっていて、ネットにも書いてある。
ネット情報では、何度もあやかし山に行けば、別の場所でもあやかしが見えるようになるけど、三年ぐらいの効果らしい。
それでも、あやかしが見たい人には人気のスポットのようだ。ネット情報だけど。
ネットの人たちは知らないようだけど、うちの敷地に入るだけでも、あやかしが見えるようになる。
一度や二度なら、それから数日の間だけらしいんだけど、何度も出入りをしたり、数日、泊まったりすると、もっと長い期間、あやかしを目にするようになるのだ。
とは言っても、力の強いあやかしは気配を消すのが上手だから、簡単に見つけることができないと聞く。
窓の外をじっと見ていると、駅と自動販売機と電話ボックスの明かりが見えた。
車が停まったあと、黒いリュックサックと黒い傘を持って、ドアを開けた。降りたあと、「ありがとう」と言ってから、バタンと閉める。
木造の小さな無人駅に入ると、木製の長椅子に腰掛ける数人の学生がいた。
パッと、あたしの顔を見たあと、全員がうつむいた。
しゃべりかけられても困るからいいけど。
ふと、顔を上げれば、細長い蛍光灯が、駅の中を照らしている。
ホコリっぽい匂い。鼻がムズムズした。
どうしようかな。
ちょっとだけ考えたあと、今日は立つことにした。
リュックサックを背負い、人がいない方を向く。
七月になったらすぐに期末テストがあるのに、教科書を開く気分じゃない。
朝読の本を持ってきてるけど、今は読みたくない。
この空気から逃れるには、何か読めばいい。気分じゃなくても、あたしは読んでますオーラを出せばいい。そうすればこの空気から、少しでも逃げ出せるし、周りが、あっ、読んでるんだなって、安心するだろう。
怖いと感じている相手がすぐそばにいるというのは、緊張をさせてしまうだろうし、ただ立っているだけでも、この広くはない空間で、何をするかわからない存在がいるのは、不安だろう。
別にあたしはあやかしじゃないんだから、変なことはしない。害はないと、言いたい。言ってもよけいに怖がられるから、言わないけど。
今までの体験で、それぐらいのことはわかるけど、今は、読書なんかしたくなかった。
本当に嫌なら、駅から出ればいいんだけど、そこまでじゃないし、今は特にやりたいこともないので、意味なく壁を見たりする。
中学生の時、知り合いがいない場所に、行こうと思った。
お姉ちゃんが遠くの高校に行ったから、あたしもそうするって決めたんだ。
でも、お姉ちゃんと同じところに行けば、その妹ということで、何か言われるかもしれない。
たくさん悩んで、お姉ちゃんとは違う駅にある高校を選んだ。
その高校は、隣の隣の市にあるし、同じ高校の先輩がいないと先生が言っていたから、そこにした。
もちろん、同じ中学にいた同級生もいない。
だから、今、夢が叶ってここにいる。
高校生になって、クラスの子たちと普通に話すことができて、とても幸せだと思う。
一人だけ、困ったちゃんがいるのだけど、悪い子ではないと思う。その子――
あたしはあやかしが見えることを隠してるから、とても困るんだけど、何故か、姫乃はあたしに近づいてくる。
電車通学でもないのに、家が近いからと言って、夕方、駅まで一緒にくるし、朝も迎えにくる。
他の子には遠くからきてると話して、どの駅かは教えず、スマホの番号やメルアドを教えなかったんだけど、姫乃は違う。
姫乃には先月、定期を見られてしまった。
『あやかし山があるとこだぁ! ねえ、プリシェイラさん知ってる!? あのねぇ、人形のあやかし――』
って、姫乃が駅で騒いだから、すぐに黙らせて、他の子に言ったら絶交って言ったら、捨てられた子犬のような目をしてた。でも、本当に嫌なんだ。
駅のことがクラスの子にバレたら、ウワサが広まって、あたしの過去が知られてしまうかもしれないから。高校にはあたしの過去を知る人はいないはずだけど、何処からバレるかわからないし。
スマホ番号とメルアドを教えたのはそれより前だ。ものすごいしつこいので、教えてしまった。
学校に行く時はどうせ会うし、あたしはあまり返信をしないんだけど、今日も姫乃からおはようメールきてたし、行動力がすごいというか、あきらめない子だなと思う。
一人、また一人と、駅のホームに移動する。
ちらっと壁にある時計を見上げたあと、あたしも駅のホームに出た。
「あらっ、風音ちゃんだわ。今日も元気そうねー」
やわらかな声音に立ち止まり、顔を上げれば、空中に浮かぶ人形のあやかしがいた。
栗色のツインテールと緑色の瞳の人形が、ふわふわと浮いている。髪のリボンは濃い緑色。服装は、ラベンダーと白のチェック柄のワンピース。
彼女の名前は、プリシェイラ。
あたしは彼女のことを、プリシェイラさんと呼んでいる。
プリシェイラさんには、周りに人がいる時は話せないって言ってある。だけど、今も、「楽しんできてねー」って、声をかけてくる。
あたしは返事をしないけど、プリシェイラさんは気にしない。声を聞いてくれる人がいるだけで嬉しくて、とても幸せな気持ちになるって言っていた。
プリシェイラさんは、元々普通の人形で、五歳の女の子に大切にしてもらっていたらしい。
だけど、駅のホームから電車に乗る時に、女の子が手を離してしまった。
わざとではない。だってその女の子は泣き叫んでいたから。父親と母親に、新しいのを買ってあげると言われて、無理やり電車に乗せられて、何処かに行ってしまったと聞いている。
女の子は旅行中だったらしくて、それからは会ってないのだそうだ。
駅のホームと電車の間に落ちたプリシェイラさんは、電車にはねられてしまった。人形なので痛みはない。
だが、そのあと雨が降り、風が吹き、ゴロンゴロンと動かされ、ある日、人間が拾ってくれたのだけど、『汚いな』という一言が、ものすごいショックだったという。
『オーノー!』
そう、プリシェイラさんが叫んだ時だった。
眩しい光を感じて、気がついた時には、あやかしになっていたのだそうだ。
自由に動く身体。鏡を見れば、女の子と一緒にいた時の美しい自分がそこにいたという。
プリシェイラさんはものすごく感激して、ボロボロになった元の身体がどうなったかは気にせずに、新しい人生を生きようと思ったのだそうだ。
新しい人生。
それは、駅のホームから、誰かや何かが落ちないようにすること。
彼女は、危ないと思ったら、人間の耳元で、大声でわめく。
霊感のない人間は、見ることも、声を聞くことも、何かがいると感じることもできないのだけど、彼女はあきらめない。
全く気づかず、ホームで歩きながらスマホを見ていれば、『歩きスマホはダメよー! 落ちたら大変なんだから!!』って、しつこく注意する。
しつこく注意された人は、その声に気づかなくても、急に頭が痛くなったり、お腹が痛くなるらしくて、このホームによくくる人は、何かをしながら歩いたりはしない。
このことはネットにも載っているから、それ目的でここにくる人もいるようだ。
あやかし山にも、あやかしを見る目的でくる人がいるし、そういうのが好きな人には人気らしい。
プリシェイラさんの過去もネットに書いてある。あたしは直接聞いたけど、彼女があやかしになったのは、別の駅だ。
美しい元の姿にもどったのに、人間たちは見てくれない。とてもさびしい思いをしていたプリシェイラさんは、あやかし山のウワサを聞き、ここまできたのだそうだ。
ここなら、プリシェイラさんを見ることができない人もいるけど、見える人もちゃんといる。孤独じゃないから幸せなのだそうだ。
少し待つと電車がきた。
ボックス席に黒いリュックサックを置き、一人で座ると、電車が動き出した。
テレビなどを見ると、田舎でよかったなと思う。たくさん人がいるとか嫌だ。
高校がある駅まで一時間半ぐらいかかるから、しばらくヒマだ。
読書をしたり、なんとなく教科書を読んだり、窓から外を見たりした。
スマホもあるけど、あまりしない。
それよりも、紙に触れたり、自然を見る方が好きだ。
この時期は、紫陽花がたくさん咲いているし、木の葉や草の色も生き生きとしてる感じがする。
電車に乗っていたら、雨がポツポツと窓を濡らした。
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