第79話

 あれから一年が経った。

 それでも、ラ・マさんからの連絡はない。

 いつの間にか、ナビが僕の心のなかで言っていることがわからなくなるという変化はあったもののそれ以上の出来事は思い出せない。

 一年も経つと具体的に何をしていたのかを事細かに思い出せなくなっているものだ。

 もちろん、全てを忘れてしまった訳ではない。

 だが、やはり、詳細には思い出せない。

 嫌だったことも、嬉しかったことも、忘れたかったことも、忘れたくなかったことも、辛かったことも、悲しかったことも、良かったことも、楽しかったこともどれも強く印象に残っているもの以外は自然と記憶の片隅へと追いやられている。

 しかし、僕には今がある。

 過去を思い出すことのできない悲しみや苦しみよりも今や、これからをどう積み上げていくのかという視点を持っている。

 もしかしたら、これが一年の間に僕が得てきたものかもしれない。

 だからといって、ふと頭をよぎった記憶に一日中意識が引っ張られる日もある。

「勇気」

 という幻聴や、誰かの呼びかけがラ・マさんのものなのではないか、そんな期待を抱いてがっかりする時もある。

 まるで雲のような、掴みたくても掴めないものになってしまったラ・マさんやロ・マさん。そして、変身するために使っていた道具が今では夢の中の、空想のもので、実在はしていなかったのではないか。そんなふうに思う日もある。

 けれど、それは違う。

 絶対に違う。

 ラ・マさんやロ・マさん、変身するための道具は実在していた。

 その理由に、ラ・マさんが居なければナビが居ることはないし、変身するための道具がなければ、今も優美ちゃんと過ごすことができている訳がない。

 その他にも、両親との関係、学校での立ち位置、優美ちゃんだけじゃなく優美ちゃんの両親や山村、ゆうに僕の偽物、マヤさん。大勢の人との関係はラ・マさんやロ・マさん、何より、石やステッキのおかげだ。

 このつながりが嘘でも幻想でもなく、ましてや夢でないのだから、ラ・マさんやロ・マさん、変身するための道具が夢のはずがない。

 それに、これまでだって連絡の届かない日々が続いたことはあった。今はそれが今まで以上に長いだけだ。

 きっと、これまでと同じ様に何かの準備に時間がかかっているだけだろう。

 そもそも、ラ・マさんが休暇を与えてくれたのはそのためだったではないか。汎用性だけでなく局所的対応力をどうにか追加しようと頑張ってくれているのだ。

 それならば、夢や幻想ということにして、なかったことにしてしまわずに今の僕ができることをやるだけだろう。

 正解はない。

 今の自分の思いもどれだけの理由を持ってこようとただの現実逃避かもしれない。

 けれども、正解はないのだ。

 どちらの可能性もある限り、何もしないことよりも何かをすることのほうが僕は有意義だと考える。

 例え、父や山村やナビの支えのもと続けているトレーニングがただの健康を維持するためだけの、肉体を衰えさせないためだけのものとなってしまう日が来たとしても僕はトレーニングを辞めない。

 ラ・マさんがロ・マさんが、変身するための道具がまだあると信じて。

「そろそろ、行こう? 遅刻するよ?」

「もうそんな時間?」

「ボーッとしてるからだよ」

「ごめんごめん」

 僕は笑顔でナビに謝った。

 ナビも一年で大きく変わった。

 何よりですますを辞めたことが一番大きな変化だろう。

 最初は戸惑ったが、すぐに慣れた。

「行ってきます」

 2人揃って母に言った。

「行ってらっしゃい」

 僕は母のこの言葉で気持ちを作っている。

 玄関のドアを開けると朝日が僕の目に突き刺さる。青々と晴れ渡る空に目を向けて僕は一日の始まりとなる一歩を踏み出した。

 数歩進み、今日もまたいつもどおりの一日だろうな。そう思った。

「勇気。ナビ。やっと完成したよ」

 そのとき、僕の体は足から頭まで懐かしい声の響きに一気に鳥肌を立てた。

「ああ」

 玄関のドアはもうすでにしまっており母が僕とナビの変化を知る由もない。

「今から、時間は大丈夫か?」

 僕らは2人同時に叫んだ。

「はい!」

 これ以外の返事は僕らの中にはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ボッチ、少女を救う 川野マグロ(マグローK) @magurok

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ