36話
「……ありがとうございました。助けていただいて」
会場の外に出て、煙草に火をつけ始めた
店長に頭を下げる。
「助けたなんてそんな大げさな。こっちこそ悪かったよ。無理やり連れてきてしまったせいで、嫌な思いをさせてしまって」
「それは……」
確かにここへ来なければ、磯川と会わずに済んだかもしれない。
とは言え、起きてしまったことをあれこれ言っても仕方ないし、店長を責める気もなかった。
「さっきのやつ、同期? 沖君のことずいぶん嫌っているようだったけど」
「……はい。あいつ、あんな感じですけど仕事熱心で、すごく負けず嫌いなんです。だから、俺みたいなのが気に食わないらしくて……」
そう。俺がとんでもないミスをしたときも、あいつは軽蔑するかのような目で見ていた。
あいつだけが俺に、やる気がないなら辞めればと言った。
上司たちですら、何も言わなかったというのに。
「んー……あまり根掘り葉掘り聞くつもりはないけどね。俺はこの仕事をしているからって、文房具に興味を持つ必要はないと思うよ」
「……えっ?」
おもむろに意外なことを言われ、少し驚く。
「そりゃあね、ある程度の関心は必要だよ。だって営業に戻りたいんでしょ? 知識としての興味は必要に決まってるじゃん。だからって、好きにならなきゃいけないかって言われると、それはまた別の問題」
「好きに……なる……」
「うん。もちろん、文房具が好きな人のほうが断然有利だろうよ。でも、仕事だから。何をモチベーションにするかは、人それぞれ。これは、あくまで俺の持論ね」
……モチベーション。
俺は、何を糧にこの仕事をしているのだろう。
採用されたから入社したとは言え、どうしてこの会社にしたのだろう。
給料が良かった。
他の会社より待遇が良かった。
業界では大手だった。
……そのくらいにしか考えていなかった。
転献するにしたって面倒だ。
ここよりいい所へ行ける保証なんてない。
それなりに仕事をこなしていれば……きっと上手くいくと……
「明日見さんは君に文房具を好きになってもらいたいようだけど、俺は無理して好きにならなくていいと思うよ。ただ、少しでもこの店で働いて、関心を持ってくれて、その経験や知識が君の武器なれば俺は嬉しいよ」
俺の武器……
「なんてな。ちょっと説教臭かったか? それよりさ……志摩さん、何とかしてやりなよ……泣きそうだから……」
「……ハッ!!」
志摩さん!
忘れていた!
俺は首がもげそうな勢いで振り向く。
志摩さんは目に涙をいっぱいためて震えていた。
「す、すみません! おかしなことに巻き込んでしまって!」
慌てて謝ると、彼女は首を左右に振った。
な、何だ?
「わ……私……沖さんがどうしてお店にやって来たとか、詳しいことは全く知らないけど ……あの人が沖さんやお店のことを悪く言ったのに、長船さんや店長にみたいに何も言い返せなかった! 沖さんだって頑張って働いているのを見たことないくせに……! 何も知らないくせにって、腹が立ったのに、何も言えなくて悔しいんですぅ……!」
わあーっと、志摩さんは声をあげて泣きだした。
ああ……また、泣かれてしまった。
俺のせいで。
会って間もないアルバイトの女の子を俺は何度泣かせたら気が済むのだろう……
「良かったね。そんなふうに言ってくれる子がいて」
……喜んでいいことなのかはわからない。
俺は以前、彼女にひどいことを言ったというのに……
「……んじゃ、俺は飲み物でも買ってくるネ」
「――おい待て」
しれっと逃げ出そうとした、店長の肩をつかむ。
「妹が泣いているのに、放っておくんですか……?」
「……その設定、まだ生きてたの……?」
あんたが考えた設定だろうが。
「志摩さん……泣かないでください……その気持ちはとても嬉しいんですけど……」
端から見れば、いい年した大人二人が女の子を泣かせているようにしか見えないこの構図。
早々に泣き止んでいいただきたい。
「……あ! そうだ。これ……」
俺は突然、いいものを持っていたこと思い出した。
「よかったら、もらってください」
いいものと言うか、さば缶で無理やり買わされた文房具だ。
「これ……さば缶の……」
「志摩さんを待っている間に色々ありまして……とにかく、俺じゃ持て余すので」
「……ありがとうございます……」
大事そうに、彼女は受け取った袋を抱きかかえた。
「良かったねー志摩さん」
鼻をぐずぐず言わせながら、彼女は店長の言葉に頷いた。
「皆さーん! 探しましたよー!」
そこへ、大荷物の明日見さんと志貴君が走ってきた。
そうだ……彼らのことをすっかり忘れていた。
「……あれっ? 志摩さんどうしたの? また沖さんに泣かされたー!?」
「志貴君!」
嬉しそうな顔をするんじゃない!
全く!
「何かあったんですか……?」
明日見さんが不安そうな目で俺たちを見る。
「ううん、何でもないよ。気にしないで」
志摩さんは、ハンカチで涙をふきながら笑ってみせた。
「詳しい話はさーご飯でも食べながら聞くよー。俺、お腹ペコペコー」
「そうだな……飯にするか」
「わーい。店長のおごりー!」
「待て! 誰がそんなこと言った!?」
スキップをしだす志貴君。
それを店長が「絶対おごらねーぞ!」と言いながら、追いかけていく。
「待ってくださぁーい!」
明日見さんは、大きな袋をガサガサさせながら、必死についていこうとする。
やれやれ……
「俺たちも行さましょうか」
呆れながら、俺は志摩さんにそう声を掛け、彼らの後を追うのだった。
紫陽花が咲く頃に ホタテ @souji_2012
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