33話

「あ、あの、私、人を探してて……」

「え? 何? 俺の名前? 君、大胆だね~。俺はこういう者です……」

「へっ!? あ、はい! ありがとうございます……」

 全く話が噛み合っていない。

 志摩さんは、なぜか長船から名刺をもらっている。

 きっと、初めて人から名刺を受け取ったのだろう。

 緊張気味に彼女は、その小さな紙切れを手にしていた。

 何やってんだか……

「ご、ごめんなさい。私、名刺とかないんですけど……」

「大学生がそんなものを持っていたらビックリするよ! その代わりに君の名前を教え――」

「あのー……」

 ちゃっかり彼女から名前を聞き出そうとしている長船の前に、大きな何かが立ちはだかった。

「大丈夫ですか、志摩さん。何かお困りになられているとか……」

 初めて見る人は、その風貌に言葉を失う。

 長船も、まさにそうだった。

 まるで態にでも遭遇したかのように、固まっている。

「こちらの方は……?」

「す、すみませんでしたあぁぁーっ!」

 まだ何も言っていないというのに、長船は叫び声をあげて、脱兎のごとく逃げだした。

 しめしめ……

「あ、ありがとうございます! 宇津木うつぎ先生!」

「いえ、私は何も……。今の方は一体……?」

「ハコベラのスタッフさんみたいなんですけど、捕まってしまって……助かりました!」

 志摩さんは大男――、宇津木先生にペコペコと頭を下げている。

「全く、しっかりしてくださいよ。あんな長船ごときに捕まるなんて……」

「わ! 沖さん!そんな所にいたんですか!?」

 俺は先生の後ろから顔を出した。

 ずっと先生の背後に隠れていたのだが、長船のやつは全く気づいていなかった。

「……え? 沖さん、さっきの人と知り合いですか……?」

「いいえ。全く知りません」

「え? でも……」

「知りません」

 疑いの目を向けてくる志摩さんから、視線をそらした。

「……宇津木先生もこういう文房具のイベントとか、結構行かれたりするんですか?」

 とにかく話をそらす。

「いえ、そんなには……。今回は、明日見さんからお聞きして、参加してみた次第です。何でも、画材も沢山あるとか……」

 そうか。宇津木先生は美大の先生だった。

「うろうろしていたら、何やら困り顔の沖さんをお見かけしたので、余計なお世話かと思いましたが……」

「とんでもない! 本当に助かりました!」

 頭を下げる俺と志摩さんに見送られ、先生は人混みへと消えて行った。

 人混みに飲まれても、彼の姿は目立つ。

「ちょっとぉぉー……沖さあーん……」

「わっ!」

 すっかり油断していたところに両肩をつかまれ、俺はビクッとした。

 振り向くと、そこには……

「あ……どうも……長船さん。……いたんですね」

 追い払ったはずのやつがいた。

チッ……

 戻ってきやがったか。

「いたんですね。じゃないですよ! 何なんすか、あの人は! どう見たって堅気の人間じゃない!」

「堅気の人ですよ。失礼ですね」

 当初、完全にビビッていた自分のことは棚に上げてしまった。

「うちのお得意様なんで、悪く言うのはやめてもらってもいいですか」

「そりゃどうも失礼しました……」

 納得していなさそうな、長船の顔。

「で、そっちの彼女は沖さんの彼女だったんですか?」

 さらにやつは、俺の背後に隠れる志摩さんに目を向けた。

「まさか。うちのバイトのです」

「バイト? 怪しいなあ。どうしてバイトの人とこんな所にいるんですか?」

 ……面倒だな。

 俺はこれ見よがしに、大きなため息をついた。

「言っておきますけど、他のメンツもいますからね」

「マジすか……学園前店どうなっているんすか……」

 こっちが聞きたいわ。

「そういう長船さんは何をしているんですか」

 首からSTAFFと書かれたネームプレートをぶら下げているので、聞くまでもないが……

「もちろん! ハコベラの売り子でーす! 何せ俺は営業部の期待のホープすからね! こういうイベントにも駆り出されちゃうんですよ~!」

 聞いてない聞いてない。

 後半の情報、いらない。

「……志摩さん。一応紹介しておきます。うちの店を担当してもらっている、ハコベラの長船さんです。ナンパ野郎ではないので、ご安心を」

「は……初めまして……」

「ナンパ野郎ってひどくないっすか、沖さん」

 ほぼナンパだったじゃねえか!

「志摩さん! よろしく!」

 長船がにこやかに彼女に近寄ろうとすると「ひっ!」と、声をあげて志摩さんは再び俺の後ろに隠れてしまった。

 やれやれ……

「なんか..……怖がられてる……」

 自業自得だろ。

「二人ともせっかくだし、ハコベラ見て行ってくださいよ」

「いいです。御社の商品は見飽きたので」

「ひどい!」

「それじゃあ長船さん。頑張ってください」

 一刻も早く、この場を離れたかった。

 残念がる長船を無視し、どこでもいいから早く……と進路を決めたときだった。

「あっ、沖君」

「……平打ひらうちさん」

 また……また、知り合いに出会ってしまったのだった……

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