23話
店は思ったよりも遙かに混んでいた。
「今日は人が多いな……」
イベントのせいだろうか。
「沖さん、来たことあるんですか」
声に出ていた俺の心の声は、しっかりと明日見さんの耳に届いており、瞬時に突っ込まれた。
「一応社員なので……。ハイドランジアの新人教育カリキュラムで、本店での実習っていうのがあるんです。入社すれば、どこの部署であっても一度は本店で一週間だけ働くことになります」
へぇ~! と、二人は声を上げた。
そう。だから長船に言ったことはあながち間違いではないのだ。
ただし、この本店勤務は新卒や二十代で中途採用されたいわゆる若い人に限る。
「じゃあ、沖さんもここで働いていたことがあるんですね」
「ですね。とは言っても、本店と今の店じゃかなり環境が違うので、本店研修は何の役にも立たなかったですね……」
実際文房具がどういうふうに売れているのかという現場を見るための研修にしかすぎないので、仕方ないと言えば仕方ない。
大体、一週間で何をわかれと言うんだ。
「それで、イベントはどこでやっているんですか? 上?」
「五階のマステ売り場みたいです」
俺たちは、エレベーターに乗って一気に五階まで上がった。
降りてみて、人の多さに驚く。
「バーゲンセールみたいになってますね……」
志摩さんのたとえは的確だ。
まさにそんな状態だった。
「色んなメーカーのマステが集まっているんですよ!? そりゃあ皆さん気合い入りますよ! さぁ、行きましょう!」
果敢にも飛び込んでいく、明日見さん……
「……志摩さん。あっちのほうが人が少ないですよ」
「あ、本当だ……ありがとうございます」
人の少ないエリアに誘導し、パニックを起こさないよう見張るため、俺は彼女についていくことにした。
「わぁ、可愛い! 沢山あって迷うなぁ」
志摩さんは色んなマステを手に取って、悩み始める。
本当に色んな柄がある。
ありすぎて、メーカーごとに分けられているはずのスペースが、もうめちゃくちゃになっていた。
「志摩さん、志摩さん! いいの見つけましたぁ!」
そこへ、明日見さんがカゴをいっぱいにして、戦場から帰還した。
どれだけ買うつもりなんだ。
「すごいね、明日見さん。もうそんなに」
「スピードが大切ですよ! ――それよりこれ、どうですか! さばかんのマステです!」
「いいなぁ。どこにあったの?」
「そう仰ると思って、取ってきました! どうぞ!」
「ありがとう、明日見さん」
楽しそうで何よりだけど、さばかんって何だ?
会社名なのか? それともサバ缶の柄をしたマステなのか……?
気になる……
「沖さんは、何か気になる物はありましたか?」
「俺はいいですよ。見てるだけで十分……」
「駄目ですよぉ! せっかく来たんですから! 社会人の財力見せてください!」
「俺、そんなにお金持ちじゃあ……」
俺の声は聞いてもらえず、無理やり戦地へと引きずり込まれた。
「疲れた……」
買い物が終わり、俺たち三人は昼食を取った。
奢ると言ったが、二人は聞かなかったのでせめて食後のコーヒーだけでも出させてくれと、カフェに入った。
明日見さんがお手洗いで席を立った瞬間、本音が漏れてしまった。
「すみません……付き合わせてしまって……」
「いいんです……」
次からはちゃんと断ろう……
「そうだ……志摩さん。これ、あげます」
明日見さんがいない今のうちにと思い、俺は鞄から袋を取り出した。
「え? さっき買ったマステ……?」
「無理やり買わされた、マステです。間違いなく俺が持っていても使わずに終わってしまうので、もらってくれませんか。あ、もちろん明日見さんには内緒ですよ」
バレたら何を言われるかわからない。
「マステも使ってくれる人にもらわれたほうがいいと思います。あと……この間言い過ぎたので、そのお詫びに」
「あ……わ、わかりました。いただきます。ありがとうございます」
いそいそと、彼女はそれを自分の鞄にしまってくれた。
「本当にすみませんでした。大人気ない態度を取って……。けど、俺は自分が間違ったことを言っているとは思っていません」
「……」
志摩さんはうつむいてしまった。
やば。
また泣くんじゃないだろうな。
「……沖さんに怒られた後、就活ガイダンスがまたあったので、学校に戻ったんです」
突然、彼女はそんなことを話し始めた。
「何だか……いつもより、落ち着いて話を聞けました。私、いつも不安になってくるんです、就活の話を聞いていると。どうしよう、どうしようって。不安で、怖くなってくるんです……。でも、あの日はそんな気持ちが一切沸き起こってこなかったんです」
顔をあげる、志摩さん。
その目は、しっかりと俺を捕らえていた。
「就活も教育実習も……やってみせます。人見知りはいつ治るかわからないけれど、治します」
「……はい」
頑張れとか、応援しているよとか、無責任なことは言えなかった。
ただ、頷くだけ。
「もう、逃げません」
泣いているときのあの怯えた目ではない。
彼女の目には、決意が表れていた。
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