16話

「あとは任せたのでよろしく」

「……はい?」

 そんなことを言うためだけに呼んだのか?

 しかも、外にいる志摩さんに聞こえないように、わざわざ扉を閉めて。

「俺、帰るから」

 今日の店長は早番だ。

 碓氷さんもいないし、今日のこの店の責任者は俺ということになる。

 ――それはまぁいい。

 俺だってそろそろ独り立ちしないといけない。

 それよりも。

「え。いつも残業三昧の店長が、定時に上がるんですか」

「説明文みたいに言わんでいい。――別にいいだろ。休日出勤だってしてるし。たまには」

「もちろん構わないですけど……」

 何か怪しいな。

「というわけで、仕事を引き継ぐ。まずは、志摩さんを家に送り届けること」

「何て言いました?」

 のっけから理解不能なことを言われた。

「君、本当はちゃんと聞き取れているだろ」

「聞き取れていますけど、本当に意味がわからないので。志摩さんが何ですか?」

「だから、仕事が終わったら、彼女を自宅まで送り届けろって。大丈夫。志貴も一緒にいてくれるから」

 大丈夫じゃねぇよ。

 なぜ俺がそんなことを。

「……これは業務命令ですか?」

「はい」

「その分の賃金はいただけますか?」

「わかったわかった! そんな顔するなって! 残業代つけるから!」

 ――そう言われても、やっぱり嫌だ!

「拒否します!」

「沖君、聞いて! 俺の言い分を!」

 俺が部屋から出て行こうとしたので、店長は慌てて扉の前に立ち塞がった。

「仕方ないんだよ。考えてもみてくれ。志摩さんが病的に人見知りなのは聞いた?」

「……聞きました」

「日中はともかく、夜だ。夜、一人で道を歩いていて人とすれ違ったとき、どうなると思う?」

「そこまで重症なんですか!?」

 今までどうやって生きてきたんだ!

 そりゃあ、見ず知らずの無害な人が、すれ違っただけで女の子に叫ばれたら、たまったもんじゃないよ。

 だからって、そこまでしてやるか?

「道行く人々には申し訳ないですけど、俺たちがそこまで面倒を見てやる義理がありますか? ご両親にでも迎えに来てもらえばいいじゃないですか」

「一人暮らしなんだよ」

「……」

 俺は言葉を失った。

 一番一人暮らしをしてはいけない人なのでは……

「ホラさ、最近痴漢の冤罪って多いじゃん? 被害者の男性を思うと、同性として非常に心苦しいし、自分もそうなったらどうしようって時々考えちゃうんだよね」

「言いたいことはわかりますけど……」

 確かにあれは冤罪だ。

「これまで何度か警察のお世話になってるし」

「……マジですか」

「そう。なぜか店に連絡入るんだよ。事情を説明したら、どの人も許してくれたけども。いつか訴えられてもおかしくないだろ」

 そこまで言われて、もう一度拒否はできなかった。

 ちくしょう。

「みんな総動員で彼女がシフト入っているときは、一緒に帰ってあげるようにしてるってわけ。衣斐さんですらこの為だけに夜出てきてくれるんだから」

 衣斐さん大変だっつってんのに……全く……

 迷惑な人だな……

「ただわりと勘弁してほしいのは、そうやって家まで送ってあげると、あの子の友だちに彼氏と思われたこと。なので君に引き継ごうと思います」

「俺だって嫌なんですけど……」

 俺も勘違いされろと言うのか。

「大丈夫大丈夫! 志摩さんの友だちの誤解は解いたから! そしたら友だちも時間があるときは、迎えに来てくれるようになったし」

 志摩さんの友だち、いい人だな……

 俺は名も顔も知らない人に、心の中で感謝した。

「そういうわけでよろしく!」

「え!? それだけですか!? 仕事の引き継ぎは!?」

「ない! 終わらせた! 君は夜に備えて体力を温存しなさい。――じゃ!」

 ちょ、ちょっと!

 あまりにもそれは無責任なのでは!?

 仕事を終わらせてくれるのは有り難いけど、俺、今日初めて碓氷さんも店長もなしで閉店まで過ごすんですけど!?

「大丈夫だって。問題発生したら電話くれてもいいし」

 そういうことじゃない。

 できれば電話をせずに済ませたいから言ってるんだよ!

「今日は頼りになる志貴君もいるし」

 男子高校生を当てにするのも駄目だろ、大人として!

「意外と心配性だね。本当に大丈夫だってば。君、営業に戻りたいんだろ。だったら自信を持たなくちゃ」

 そう言われると、何も言えなくなってしまった。

「君はまだ若いし、突然の店舗勤務で不慣れなことも多いだろう。でもやってみないとね。安心しなよ。君なら上手くやれるさ」

 ダイジョーブ、ダイジョーブ。と、呪文のように繰り返しながら、事務所の扉を開けた。

 ――だが、呪文は途中で止まる。

「……どうしました?」

「……志摩さん……まだいたの……」

 呆れを通り越して、超絶疲れた顔になる店長。

 そんな店長の背後から俺も顔を覗かせると、彼女は泣きそうな顔でまだ座り込んでいた。

「すすすすすみません……さっき叫んだときに腰を抜かしてしまって……」

「手をお貸ししましょうか……」

「本当にすみません!」

 ……先行きが不安だ……

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