14話
店長は結局、何をしに来たのか思い出せないまま、バックヤードに戻ることとなった。
俺も最近、記憶力が低下しているのではと思う節があるからな……
三十代を迎えるのが怖い……
「あのぅ……」
迫り来る三十代の波に怯えていると、野太い声がして、視界が急に暗くなった。
恐る恐る顔を上げると、文字通りヤバい人がそこにいた。
「い……いらっしゃい……ませ……」
何とか絞り出した声で言えたのは、それだけだった。
鋭い眼光、プロレスラーのようなゴツい体格。
そして……腕にある切り傷!
ななな、何なんだ、この人は!
どう見ても堅気の人間じゃないだろ!
暴力団? 暴力団の人なのか!?
そんな人が文房具屋に何の用だっていうんだ。
――ハッ!
まさか、紫陽花堂は暴力団との繋がりが……!?
「あの……大丈夫ですか……?」
大丈夫!?
何が大丈夫なんだ!?
命か? 俺の命か!!?
「――あ! こんにちは!」
タイミングの悪いことに、休憩を終えた明日見さんがやって来てしまった。
「こんにちは、明日見さん」
「いつものですか? 先生」
明日見さん、ここは危険だ。君だけでも逃げるんだ……って。
「え? 先生?」
「そうなんです。近くに美大があるでしょう? そこの先生なんですよ」
「せ……先……生……」
とてもそうは見えないけど……なんだ……先生……
安心して力が抜けそうになった。
「
「初めまして。紫陽花堂さんにはいつもお世話になっております」
おかしな妄想をしてしまったことが恥ずかしくなるくらい、先生は丁寧に頭を下げて挨拶をしてくださった。
俺は「いつもご利用ありがとうございます」くらいしか言えなかった。
教員の常連もいるのか、ここは。
「店長に確認してくるので、お待ちくださいね!」
明日見さんはそう言って、店長の所へ行ってしまった。
ま、待ってくれ!
まだ二人きりにしないでくれ!
「や、やっぱり学校で使われる物とかを、よくここで?」
俺は無理矢理明るい声を出して、何とか場を取り繕うとした。
「ええ、そうなんです。この辺は画材屋もなく、学内の生協でも取り扱いがないので、紫陽花堂さんに取り寄せてもらっているんです。本当に助かっています」
そんなことまでしているのか、この店。
「お待たせしましたー! 数はいつもと同じでいいですか?」
戻ってきたかと思うと、せっせと注文書を作り出す明日見さん。
すると今度は「ちょっと待って」と、店長が現れた。
「よく見たら少しだけ在庫残ってた。前に多めに発注かけてたの忘れてた」
店長がレジカウンターに並べたのは、絵の具だった。
「最近、先生と同じ物を買われる方が多くて。もしかして、生徒さんですかね?」
「そうですかね……。すみません。店頭に並んでいないものなのに……」
申し訳なさそうに、先生はまた頭を下げた。
「いえ、とんでもない。うちの商品を買っていただけるのはとても有り難いことなので」
あ、この絵の具……ハイドランジアのものか。
そういや画材道具も扱っていたっけ……
「ひとまずある分だけ買っていかれますか? 足りない分はいつも通り発注ということで」
「はい。それでお願いします」
あとの処理は明日見さんが行い、俺はそれを横で見て手順をメモした。
宇津木先生は、絵の具を購入して帰って行った。
「はぁー……怖かった……」
彼の姿が見えなくなったところで、思わず本音がこぼれてしまった。
「怖かったですか?」
「明日見さんは怖くないんですか?」
彼女は何を言っているんだというふうに、首を傾げている。
「沖君、明日見さんを普通の人と一緒にしちゃ駄目だよ」
店長に言われて、納得。
長船のときといい、彼女は大物だ……
「あんな風貌で、おまけに大きな傷があるんですよ? 堅気の人間に見えないですよ……」
「宇津木先生、いい人ですよ」
そういうことじゃなくてだな……
「彫刻刀で切ったんだってさ。あの傷」
「うわぁ……」
それはそれで痛いし、怖い。
「ああ、そうだ。明日見さん。アンケート箱みたいなのを置きたいんだけどさ、いい感じに作れたりする?」
先程の消しゴムの件か。
店長は思い出したかのように、明日見さんに尋ねた。
「そうですねぇ……そういうのは、シマさんのほうがお上手だと思いますよ」
「あー……そうだっけ。言われてみれば、折り紙とか折ってくれてたもんな……じゃあ、シマさんに頼んでみる」
「お力になれずすみません」
シマさん……
志摩さん。
確か、明日見さんと同じく、女子大生アルバイトと聞いている。
彼女は明日見さんより一つ年上、三年生なので卒論やら就活やらで忙しいと聞かされているが……
「……俺、志摩さんと一度も会ったことないんですけど……」
ポツリとつぶやくと、二人は、そうだったっけ? という顔をした。
「シフトかぶったことないのか。そのうち会えるだろ」
「早くお会いできるといいですね!」
「明日見さん……」
別に明日見さんはおかしなことを言っていないのに、なぜか店長は恐ろしいものでも見るかのような目で、彼女を見たのだった。
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