7話
「お疲れ様です、衣斐さん! 交代しますね!」
お昼前になると、元気よく明日見さんが出勤してきた。
「沖さんもお疲れ様です! ゆっくりと休憩してください!」
「ああ……そうか。もうそんな時間か……」
店の時計を見上げると、あと30分ほどで、正午になろうとしていた。
「あらあら、お疲れ様。明日見ちゃん。それじゃあ私は帰らせてもらおうかしらねぇ」
衣斐さんはここであがりなので、明日見さんに店番を任せ、二人でバックヤードへと向かった。
「沖君はまだ若いから、飲み込みは早いわねぇ」
「そんなことは……」
衣斐さんはそう言ってくれるが、俺自身はいっぱいいっぱいである。
「みんな良い子たちばかりだし、お店を回すのはちょっと大変だけれど……きっとやりがいも見つかると思うわ。私は好きよ、このお店」
「……はい」
気を遣ってなのか、彼女は俺に微笑みかけてくれた。
「……あら。お疲れ様。秋谷君」
事務所の前まで来ると、眉間に皺を寄せ、煙草をくわえながらパソコンとにらめっこをしている人がいた。
あえて〝人〟と表現したのは、俺が昨日会った秋谷店長とはえらく装いが違っていたからだ。
スーツなんか着て、小綺麗にになっている。
「……誰?」
「開口一番それか。失礼なやつだな、君は」
あまりにも別人だったので、思わず声に出してしまった。
「どうしたの、そんな格好して。誰か来る予定だったかしら」
「ホラ、明日から新商品が入るだろ」
店長がうんざりした表情になる一方で、衣斐さんが「あぁ!」と、嬉しそうにな声を上げた。
「
「鋏?」
俺は首を傾げて、衣斐さんを見た。
「ええ、そうなのよ! ハコベラの鋏!」
「ハコベラ……」
これまた大手文房具メーカーだ。
ハイドランジアは幅広い種類の文房具を取り扱っているが、最近はお洒落で可愛い感じの女性をターゲットとしたステーショナリーに力を入れている。
それに対しハコベラは、地味なオフィス向け文房具が多い。
でも、うちと同じくそれだけでは駄目だと、女性や子ども向けの商品も展開し始めたようだが……
地味なのには変わりない。
しかしまぁ……
「鋏って新商品を出しても売れるんですね」
「言いたいことはわからんでもないが、文房具沼っていうのは深くてだな、沖君」
沼?
「ここにこういう人がいるから、案外需要はあるんだよ」
「え?」
楽しみねぇ。と言っている衣斐さんを見る。
衣斐さん、買うのか……?
「やっぱり鋏って、切りやすいのがいいじゃない?」
「そりゃあ……」
「新しいのは、切りやすさが売りなのよ。だから期待しているの。ハコベラはオフィス文具に特化しているでしょう? ハイドランジアも鋏を出していたけれど、あれは駄目ね。デザインばかりで肝心の切りやすさはどこにもないわ」
衣斐さんのダメ出しに、店長は「しゃあねぇだろ」と、顔をしかめた。
店長の言う通り、仕方ないんだ、あれは。
ハイドランジアの出した鋏は、普段使いというよりかは携帯用をメインとしたものだった。
デザインを重視し、小さくしてペンケースやポケットに入れやすくした。
つまり女性や学生、俺たちのような接客業をターゲットとした商品であって、切れ味のことを言われると、仕方ないと言わざるを得ないんだ……
結局このポケット鋏も、別の競合会社が上回るものを開発してしまった為、虫の息である。
「沖君も学生のとき、切れにくい鋏にイライラしなかった?」
言われてみれば、図工の授業のときにあったような。
糊がくっついたりして、切れ味が悪くなった記憶がある。
「鋏はスッと切れるほうがいいわよねぇ」
確かにそうだけど、わざわざ高額なのを買う?
という気持ちが俺にはあるが、衣斐さんの笑顔の圧がすごくて「そうですね」としか言えなかった。
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