6話

 出勤二日目。

 イマイチ疲れが取れていない体を無理矢理起こして、俺は店へと向かった。

 微妙に通勤ラッシュとは外れた時間なので、難なくたどり着くことができた。

この店では新米なので、気を遣って早めに来たのだが。

「……早かったか」

 まだ誰もいなかった

 張り切りすぎだと思われても仕方ない。

 いや、全くそんなつもりはなかったのだけれど。

 しかし店の鍵を持っていないので、中に入ることも出来ない。

 ……待つしかない。

 俺はため息をつき、店の前で佇んでいた。

 10分ほどたった頃、その人は現れた。

「あらあら、ごめんなさいね。あなたが沖君?」

 ママチャリに乗った、一人の女性が息を切らしながら俺の前に止まった。

「あ……はい。衣斐さん……ですか?」

「ええ、そうよ。おはようございます。お待たせしちゃったわねぇ。悪いけどこれ、お店のシャッターの鍵だから、開けてくれるかしら? 私、自転車置いてくるわねぇ」

 彼女は俺に鍵を託し、店の裏へと回っていった。

 ……えーっと……

 落ち着こう、俺。

 シャッターを開けながら、俺は頭の中で今起きていることを整理した。

 昨日、志貴君は衣斐さんのことを「普通のおばさん」と言っていた。

 普通のおばさん。

 人はそれを聞いて、どういう人を想像するだろうか。

 こういう接客業をしているのだから、良く言えば活気のいい、悪く言えばやかましい小太りなおばさん。

 偏見かもしれないが、そんな感じだと思っていた。

 だが、俺の前に現れた衣斐さんは?

 スラリと細身の体型で、スタイルが良い。

 服装こそはジーンズにTシャツという至って普通の主婦の格好だった。

 長くて黒い髪はとても綺麗で、一つに結っていた。

 顔はそこまで目立った皺もなかった。

 洋服より和服のほうが似合いそうだ。

 老舗料亭の女将のような出で立ちだったと言えば、わかってもらえるだろうか。

 ――どこが普通のおばさん!?

 碓氷さんよりも年上なのは、雰囲気でわかる。

 でも、いくつなのか全く想像できない!

 ……女性に年齢のことを聞くのは失礼だしなぁ。

 もやもやしながら俺は、正面玄関から店に入った。

 パッと店内に明かりが点く。

 衣斐さんが電気を点けてくれたのだろう。

「遅くなっちゃって本当にごめんなさいねぇ。母を見送っていたらバタバタしてしまって……。デイサービスに通っているのよぉ」

 聞いちゃいないのにペラペラと話してくれる。

 これは、おばさんっぽい。

 ……とてもこの上品そうな人から発せられるとは思えないような内容だが。

「秋谷君から聞いているかもしれないけど、私の母……と言っても主人の母なんだけどね。数年前から介護が必要になってしまって、私が面倒を見ているのよ。子ども達も仕事があるから頼れないしねぇ。昼間はデイサービスがあるからいいけど、それでもやっぱり大変ねぇ」

 子どもはすでに自立している、と。

 だとすると、俺の親と変わらないくらいの年齢なのでは……

 俺は自分の母を思い返してみる。

 こんな……こんな若々しくないぞ……

「……すごいですね。介護もあるのに、仕事も……」

「そうねぇ。長いことお世話になっているし、文房具も好きだからねぇ」

 ……驚いた。

 この人も文房具が好きでここにいるのか。

「それに、秋谷君も大変そうだし……少しでも私にできることがあればと思ってしまって。みんなには負担かもしれないけど、少ないシフトでも置いてもらっているのよ」

「負担だなんて誰も思っていませんよ」

 俺は慌ててフォローを入れた。

 この人、店長のことを〝秋谷君〟と呼んでいる。

 相当長い間ここにいるんだろうな。

「ありがとう、優しいのね。さぁ、ちゃっちゃと準備をして、お店を開けちゃいましょう! よろしくね、沖君」

「はい。こちらこそ」

 衣斐さんはおっとりしているが、とても優しく丁寧かつ的確に仕事を教えてくれた。

 碓氷さんはスパルタだったからな……

「朝はねぇ、あんまりお客さん来ないのよ。だから、この隙に棚の掃除をしたりするの。まぁ、沖君の場合は事務所のほうで仕事をすることが多くなると思うけどねぇ。私と君佳ちゃんは商品の発注も任されているから、今空いているうちに教えておくわね」

「キミカちゃん?」

「あ、碓氷さんのことよ。ごめんなさいね。本当はこういうの良くないわよね」

「いえ……俺はそのままでいいと思いますよ」

 碓氷さんは君佳という名前らしい。

 一つ、どうでもいい情報を得た。

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