2章 第8話

「ほら、こっちだよ。」

そう彼が注意を引くと、面白く思える程あっさり闇影はシノに視線を合わせた。

彼の特異属性・魅了はその名の通り、誰であろうと誘惑する事が出来る。本人から詳しく聞いた試しはないが、どうやら精神介入が容易な相手ならば、多少無理難題な内容でも命ずる事すら出来るらしい。例えるならば制限付きの洗脳術とも言えた。

「キ…キ…。」

「さあ、近付いておいで。」

「キャハアアアッ!」

命令通り、闇影はシノへと一直線に接近する。但し、狂気的に無数の蛇を振り回しながら、だ。

「うぉっと!あは、流石に穏便に…とはいかないか。うん、ならこっちも応えないとね。」

そして背中が鳥肌立つ瞳をした瞬間、相手が伸ばしてきた蛇をほぼ同時、槍で真っ二つに薙ぎ払った。刹那の間で迫る第二波。それをシノは柄で撃ち落とし、次彼の姿を認識出来た時には既に間合いを取っていた。

「…。」

もし今我武者羅に攻撃を仕掛けたとして、魅了の効果が途中で切れれば、ノアに注意が向くのは目に見えている。槍よりもリーチが短く、その分の接近を強いられる剣では致命的だ。故に、一撃で決める必要があった。その機が訪れるのを待つしかない歯痒さと、失敗出来ないプレッシャーがのしかかるが、今までの経験を思い出し、気持ちを無理矢理奮い立たせる。

「君は、何で僕達みたいな男を狙うのかな。恨みでもあったの?例えば、恋人に騙されたとか。」

恐らく意味が無いであろう、シノの問い掛け。勿論闇影の反応はゼロだ。

ノアは少なからずの戸惑いを覚えながら、静かに成り行きを見守る。

「…でもさ、それって相手だけが悪いのかな?僕だって、なりたくてこうなった訳じゃない…。」

そう言いながら、悔しさを抑え込む様に槍を持つ手に力が篭ったのが遠目にも分かった。普段の彼を見ているととてもそうは見えないが、シノはかなりの激情家なのだ。過去にも何度か、感情に翻弄される姿を見た事がある。又、ノアは彼が抱えているトラウマも知っている…というか、紆余曲折あって“共有”した時に勝手に覗き見てしまったのだ。自分ではどうしようもないので不可抗力なのだが、それが逆に良い方向へと転がってくれた。

「キィイイイッ!」

その咆哮で過去へと遡っていた思考が現実へと呼び戻される。まるでシノの。まさか、意思疎通が出来る程の上位個体なのだろうか。しかし、それならば今までの、獣を思わせる動きは何だったのだろう。

「キィ!キイイ!」

ヒステリックな叫びをあげながら、半狂乱になったかの如く暴れる闇影。

「ちょ!シ、シノ!」

これではとてもじゃないが近付けない。堪らずノアはシノに制止の意を込めて声をかける。

しかし、彼の方を見ればどうした事か。こんな状況にも関わらず寧ろ笑みを浮かべていた。つまり、この戦況に陥ったのは計算通り。彼の頭にある筋書きに沿っているのだ。

「…ったく。上手くやんなかったら許さねぇからな…!」

任せろと言わんばかりの、自信に満ち溢れた顔。きっとシノは、自身の能力を使うつもりだ。魅了が効いたのならば、と踏んだのだろう。しかし、何故言葉で揺さぶろうとしたのか。先程もチラついた、今目の前にいる闇影が上位個体という可能性。しかし、その兆しは全く無かった筈だ。現に暴走状態となっている今でも、人間味はそこまで感じられない。

「あはは、ノア君はやっぱりまだまだだなぁ。勘を鍛えるのも、戦況を切り開く為に必要な力だよ?」

そこまで顔に出ていたのだろうか、ノアの思考を読み取ったシノは、回答を口にする。というか、本当に勘だけで動いたのか甚だ疑問である。

「まあまあ、もしかしたらノア君の手を煩わせずに片付けられるかもだし、そこで見ててよ。」

出会った頃はあんなに敵意を感じていたなんて信じ難い、人懐っこい笑み。嘘にも本当にも見える、アンバランスな表情を見つめながら、ノアは一つ頷き、一歩退きさがった。

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