2章 第3話

「ほら、入って良いよ。」

「お、お邪魔します…。」

あれから一日挟んだ今日。役所の調査が切り上げられ、漸くお忍び生活ともおさらば出来た。そして今、二日ぶりにルウの家に足を踏み入れた訳だが…。

…どうしたもんか。何か落ち着かない!

ノアは頭を抱える。何故だか、ルウとの距離感が掴めなくなっていたのだ。ノアが変わった訳では無い。ルウ自身が、己の立ち位置に迷っていた。

「何、今更。早く入りなよ。」

「あ、ああ…。」

玄関に突っ立ったままの自分を見兼ねて、彼は入室を促す。口調も、表情もそのままなのに、何故か近寄り難いものを感じた。

「……傷はどう?」

「いや、流石に一日二日じゃ治らないって…。まあ、マシにはなったけどな。」

「そっか。……実はずっと、聞きたい事があったんだ。君は、星霊と契約を結んでいたりするの?」

それはまた唐突な…。そうノアは呟く。確かに契約はしている。元来とは少し、特殊な経緯ではあったが。

そう伝えると、ルウは一つ、そっかとだけ頷く。

「なぁ、何でわざわざそんな事を?」

「…いや、何でもない。ただ何となく思ったんだ。もし仮に、星霊の近くで深度四以上の特殊能力者イレギュラーが力を使ったら、悪影響はあるのかなって。深度はそのまま、負の影響が反映されやすいかどうかの数値だから…。正の力の思念体とも言える存在には辛いのかなって疑問に思っただけだよ。」

「あー…。それは個体によって違うらしいぞ。だがまあ、全く悪影響がないと言えば嘘になるかもな。てか、そんな事考えるとか、研究者かよ。」

「事実、僕は色々研究してるから間違いでもないよ。」

「うへぇ…。」

自分とルウの明らかすぎる頭の出来の差に、思わず変な声が漏れる。だが、だからこそ自分は助かった。彼が居なければ、シャドウメントに侵食され続け、将来は堕天人になってしまっていただろう。 つまり、二重の意味で彼はノアの恩人なのだ。

「じゃあ、僕は買い出しに行ってくるから大人しく待ってて。」

「ほーい。」

…男なのに自炊までするなんてすげぇな。

ルウが消えて行った扉を見ながら、ノアは素直に賛美した。やはり、優等生は生活面でもキッチリしているものなのだろうか。

「っと、そんな事考えてる場合じゃないな…。まず言い訳を考えねぇと。」

此度の事件で、兄姉から強制的に白き鷹ブランファルケを辞めさせられるかもしれない。それだけは絶対に阻止しなければ。

「…心配性になるのも、仕方ないけどさ…。」

そしてノアは思い出す。二人が過保護になった原因の出来事を。 確か、七歳だった頃の話だ。


その日ノアは、何時もの勉強、レッスンを終え、一人中庭でブラブラとしていた。まさかこんな場所で危険に晒される事はあるまいと、皆思い込んでいた。事実、自分もその中の一人だ。

しかしそれは、音もなく歩み寄る。池に映る、鏡の世界の景色に魅入られていた時、突然背中を押された。余りに突然の事で、冷静になれないままただ溺れるしかなかった無力な自分。何となく、傍に立っているシルエットが黒かった。闇影が入り込んだ…そう確信し、恐怖する。そしてそいつは消えたが、今にも水に引き込まれてしまいそうな状況。その時、たまたま団長と、当時身寄りがなく団長が一時的に保護したリナが通りかかり、助けてくれたのだ。

一連の出来事を知った兄はとても悔しい面持ちで怒りを顕にし、姉は泣き崩れた。それからだろう、兄が闇影を異常な程憎み始めたのは。


「…リナ、きっと責任感じてる、よなぁ…。」

彼女はその後自分を助けてくれた存在として、由緒正しき家系の養女として預けられた。そしてそれを機に、ノアと幼馴染みの関係となったのだ。そんなリナが、裏で兄に「ノアを守るように」と命じられているのも知っている。本人達は気付かれていないと思っているだろうが。だからこそ、精神的に追い詰められていないか、心配で仕方がなかった。

「でも、どうしようもねぇしな…。早く路銀を稼ぐしか…。」

一体自分にはどんなバイトが適しているのか。全く分からないが、やるしかない。

「取り敢えず…寝るか。」

活動に必要な栄養の殆どを全て治癒力に宛てているかの如く、ずっと眠い。こういう時は本能のまま寝るに限る。

「あいつが帰ってくるまでまだ時間も…あるしな…。」

時計を一瞬見遣った後、二日ぶりのソファーに横になり、ノアは静かに目を閉じた。

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