1章 第7話

「おい!」

「え…?」

彼女が振り返る前に、相手はもうこちらに向かってきていた。

……まずい、得物がない…っ!

先程校舎内で剣を手放した事を思い出した。今の自分には何かを守る手段が一つもない。ただ、今出来るのは…。

「く…っ!」

「きゃっ!」

目の前のジュリナを思い切り突き飛ばし、自ら闇影の進行方向に躍り出る。我が身を犠牲にしてでも、他者を守る事を優先したのだ。

…今度こそ、命はないかもな…。

ノアは半ば本気でそう思った。そもそもこの傷で生きてる事が奇跡だと言いたい程なのだから。

来たるべき痛みに備え、瞼をきつく閉じる。がしかし、何と闇影はこちらを無視し、真っ先に校舎へと向かった。それも、調理室に。

「な、何であいつが…!…って、不味いわ!早く追いかけなきゃ!」

「ああ、早く…ん?」

ノアが体の向きを変えたその時、すぐ側の地面に何やら鉄の棒らしいものが転がってるのを認識する。ノアはそれを、ジュリナの魔法により破損した何処かの一部かもしれないと当たりをつけた。

…持ってくか。今は何だって戦えさえすれば良い。

重いそれを拾い上げ、ジュリナが再度生成した風に足をかける。すると上昇気流が二人を空へと持ち上げた。

「これなら一瞬で二階に戻れる。さあ、行くわよ!」

「何としても止めるぞ…!」

そのまま割れた窓ガラスから屋内に侵入し、調理室へと入っていった闇影を追う。ガララッ!と勢い良く扉を開けると、そこには…。

「…女の子?あれ、闇影は?」

少女を見た途端ジュリナは混乱の声をあげる。だが、ノアは険しい顔をしながら、そういう事か、と一人納得した。

「…記憶の具現化。お前の失技だな。恐らく、コアとなった人間の姿だ。」

「え、そんな…こんな小さな子が?」

闇影のコアとなる負の感情の残滓は、他のものよりも一際強い。つまり、腕にライオンのぬいぐるみを抱えた幼い少女が、それ程の何かを抱え込んだのだ。このタイプの闇影は、その記憶に深く関するものに固執する個体が多い。わざわざ調理室に戻ってきたのも、それが理由だろう。

「…火。」

「え?」

喋り出した。少女の口から、か細い華奢な声が漏れ出ている。先程の奇声とは程遠い、鈴の様な声だった。

「熱いの。お湯が熱くて堪らないの。身体が火に包まれて痛いの。私のランちゃんも、炎で消えちゃった。」

たどたどしく語る少女…もとい闇影が、ライオンのぬいぐるみをぎゅっと力強く抱き締める。そうこうしてる内に、小綺麗なピンクのワンピースに白い肌、金色のロングヘア…。それらがどんどん変化していく。服は焼け焦げ、ボロボロに。肌はただれ、髪は散り散りに。

「熱くても逃げられない。止めて貰えない。そしたら、おめめが開かなくなって、暗い所に閉じ込められたの。」

…もう、誰もが分かるであろう。少女は、酷い虐待を受けていたのだ。そして、亡くなった。自分が死んだ事にも気付かぬまま、ただその残滓が残ってしまったのだ。調理室に固執したのは、きっと少女にとって恨めしい場所だから。

「…私、何が悪かったの?ちゃんとランちゃんとお利口にしてたのに。お腹が空いても、我慢したのに。だから…。」

一拍置いて、目を瞑る。次の瞬間、ガスコンロから火が漏れ出た。それらが有り得ない大きさに膨れ上がり、一瞬にして辺りは赤に染まる。

「私も燃やすの。こんな場所、無くすの。そうすれば、もう熱くなくなる。痛くなくなる…!」

…きっと、あいつの具現化の失技は、炎に関する記憶も再現したのだろう。本来の攻撃パターンも扱えると考えたら、とても厄介だ。何より、少女の記憶を知ってしまった事で感情移入してしまった自分がいる。一時の同情は、時に己を殺しかねない。そう分かっていても、完全に割り切れない。だが、此処で止めなければいけないのだ。ノアは鉄の棒を構え、一つ深呼吸して攻撃態勢に入った。

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