1章 第1話

「…えーと…。誰?」

何故か今、自分の目の前には深い緑色をした長髪の女性が立っている。目もそれに引けを取らない程の深い緑。それをノアは彼女のメガネレンズ越しに見つめた。それが然るべき場所、然るべきシチュエーションであったならばノアもこんなすっとんきょんな声は出さなかっただろう。しかし、今は午前四時。そして謎の女性がいるのは、たった今まで自分が寝ていたソファーの目の前。しかも叩き起された挙句、「早く準備して!」と激昂されたのだ。いくらなんでもこんな事態を瞬時に飲み込める人間なんていないのではないだろうか。

「何してるの?ちゃんと痕跡とかも残さなきゃいけないんだから、余り時間はないんだけど。」

「いや、それより誰だよ…。いきなり上がりこんできて不法侵入じゃ…。」

「その人は協力者だよ。君を匿ってくれる。」

「え。」

何と、あと数秒早く言ってくれれば…。そうノアは後悔した。仮にも自分を助けてくれる人間に対して失礼極まりない発言をしてしまった。この場から逃げられるものならば脱兎の如く逃げ去りたい。

「ああ、気にしてないから大丈夫よ。名乗るのが遅れたわね。私はジュリナ。役所からの調査期間だけ君を預かる事になったの。何でも訳ありらしいって聞いてはいるけど。」

「…何で、知ってるのに匿ってくれるんです?」

確証は持てないが、多分彼女は歳上だろう。加えて自分は匿ってもらう側だ。オフの日は封印している敬語を脳内の辞書から引っ張り出し、そう尋ねた。

「んー。別に、デメリットよりメリットの方が大きかったってだけかな。所謂損得勘定ってやつ?」

躊躇する様子を全く見せず、そうケラケラと笑ってみせる。しかし、メリットとは何の事だろうか。全く検討もつかない。まさかルウが…と思い至り視線を彼に移す。しかしルウは後ろめたそうに顔を背ける…なんて事はせず、寧ろ自分に憐れみの目を向けていた。

「…まあ、一応君の事情に付き合ってる側だからさ、僕。…後は頑張って。」

「は?いや、ちょっとどういう意味かわかんねぇんだけど…。」

「そ・れ・よ・りっ!早く支度してよ〜魔法でちゃちゃっと痕跡無くしたいんだからさ〜。」

「魔法自体は数秒でも、その準備に時間を浪費するしねあれ。」

いやそれは最早最初から物理的に片付けた方が効率的なのでは。だが、手負いのノアが二人の間に割って入る事は出来ず、本人を差し置いて勝手に話が進んでいく。このままただ見つめていてもしょうがないかと、ノアは半分諦めの表情を浮かべながら、数少ない自分の手荷物を確認する。気配りの良いルウによって、すぐ傍のテーブルに衣服一式と剣、そして仲良く壊された通信機とウィンフライの残骸が置いてあった。

…なんだ、既に準備終わってんじゃん。

本当に彼は頭が回るし、優しい。それも致命的な程に。それで実例の少ないシャドウメント抽出成功者なのだから、天は二物を与えずなんて言葉は絶対に嘘だとノアはこの時確信した。

そしてそこまで考えはたと気づく。何故彼はその事を発表しないのだろうか。そうすれば資金も地位も半永久的に約束されるかもしれないにも関わらず、だ。

「…やっぱ、お前にも何か理由があるんだよなぁ…。」

少し遠くでジュリナと会話しているルウを見つめ、二人に聞こえないようにノアはそっと独りごちた。

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