序章 第5話

「そうだな…。…はあ、明日からの寝床、どうしよ…。」

「何言ってるの?そんな怪我で自由に動き回れる訳ないじゃない。まあ、明日明後日は事実確認の為に役員が来ると思うから別の場所に身を寄せる必要があるけど…一応、宛はあるから安心しなよ。」

「え?…え?」

その言葉にうっかり困惑の声をあげてしまう。あくまでノアは“今夜自分が目を覚まして会話をした”事実を話さないという意味だと捉えていたのだ。それに「何処かで姿を見られてもバレない」とは、つまりはそういう事ではなかったのだろうか。

「まさか、僕が怪我人を外に放り出す鬼の様な人間だとでも思ってた?最低限働ける様になるまで衣食住は保証してあげるよ。不本意だけど…。一度手を差し出した以上、僕にも最後まで面倒見る義務があるからね。ローエン出身の君はもしかしたら知らないかもだけど…。」

いや…存在を忘れていたが、たしかに知っている。六地方に分けられたこの国は、それぞれ代表となる貴族が各地方を統治しているのだ。理由は単純明快、国土が広すぎて王都からの偵察や人員派遣、更には布告ですら無駄に金を浪費するからだ。また各地方から王都への伝達等も然り。ならば最初からある程度の政治においては、現地にいる信用たる者達に任せてしまおうとなった訳だ。これは今から凡そ百五十年前に“六分地方統治法ろくぶんちほうとうちほう”として正式に定められ、その時権限を与えられた六つの家柄…六皇貴族ろくのうきぞくによって現在のエルナド国は成り立っている。

「確か、六皇貴族のジョネス家が定めている…Sの理念だったか…。」

「…よく知ってるね。そう…このスガノウス地方では、施し、支えて、使役する義務がある。だからホームレスも行く宛てのない孤児も殆ど居ない。まぁ…たまに行き過ぎだと感じる時もあるけど…。」

…何か弊害でもあるのだろうか?聞いた限りでは、現ジョネス家当主による政策は貧困層の者達にとって救いの手とまで揶揄されているが。

俺の疑問を感じ取ったのか、ルウは軽く咳払いをして再び口を開いた。

「兎も角、今僕が君を放り出したら、社会的地位が危うくなるんだよ…。分かったら、僕を前科持ちにしない為にも大人しくしてて貰いたいんだけど。」

「あ、ああ…分かった。」

追い打ちをかけるかの如く、鋭い目でこちらを睨むルウ。もしその姿仕草と言葉を率直に捉えれば、彼は彼自身の為に自分を助けている様に見えるかもしれない。しかし…。

…なあ、気付いてるか?役員の調査さえ乗り切れば、そのまま素知らぬフリして俺との縁を切れる事。

そもそも自分が寝床について悩んでいた時点で、この家に居座るつもりがなかった事など分からない筈がないのだ。ならば役所に駆け込んで嘘がバレるのを恐れた?…いや、それも有り得ない。まずこんな話に発展した原因は、ノアが個人情報を開示する事を躊躇したからである。ならば答えは必然的に一つに絞られる。

「…ふっ…はっ!…い゙っ!?イテテテテ…ッ!」

「……何勝手に笑って勝手に悶えてんの?怖いから止めてくれない…?」

彼はさも恐ろしそうに自身の肩を抱いて身震いしてみせた。少し長めの銀髪に隠された紫色の瞳が、ノアに対してどん引きしている事実を悲しい程正直に物語っている。

「い…や、悪い…。……はぁ…。なんか、お前ってツンデレって言われない?」

やっと痛みの波が和らいだ頃を見計らい、そう尋ねてみた。やはり、自分を助けてくれるのは彼の優しさ故だとしか思えなかったからだ。それなのにわざわざ冷たい人間を装うのは、萌え的な意味ではなくともツンデレと言わずなんと言うのか。

「はあ?いきなり何を…。言われた事なんて一度もないよ。これでも僕は柔和な秀才キャラで通ってるからね。」

「…柔和?」

一体彼の何処が柔和なのだろうか。そんな率直な感想が、つい態度に表れてしまった。しまったと気付いた時にはもう遅い。

「…君さ、さっきから喧嘩でも売ってるのかな?」

…やばい、目が笑ってない。

ともすればこめかみに青筋が見えそうな黒い笑みを浮かべ、そう問いかけてくる。本気で地雷を踏んだか…。

「…誰だって多かれ少なかれ自分を偽って生きてる。そういうもんだよ。」

その声に俯いていた視線を戻すと、彼の顔はぷいっと向こうを向いていた。その表情は伺い知れないが、何処か寂しそうな印象をルウの背に感じたのは、自分の考えすぎだろうか。

「そりゃそうか。…ふわぁ…なんか、ねみぃ…。」

「さっきまでずっと寝てた癖に、まだ眠いの?まあ怪我人だし仕方ないかな…。ちょっと待ってて、新しい毛布持ってくるから。」

「ん…ああ…。さんきゅ…。」

返事も朧気な声だったが、やがて頭が船を漕ぎ出し、いつの間にかノアは眠りについていた。真新しい寝具を抱え戻ってきたルウが、ノアの体にそっとそれをかける。

「…本当は、助けるべきじゃなかったんだろうけどね…。」

ともすれば微かな生活音にさえ負けそうなその声は、誰にも届くことなく消えていった。

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